池上さゆり

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6/18/2023, 12:55:58 PM

 どうせ自分の人生に花を供えてくれる人なんていないから。だから、花屋でとびっきり綺麗な花束を作ってもらった。母が誕生日だからプレゼントするなんて嘘をついて。
 そして向かった目的地。住んでいるマンションの屋上に上がった。気持ち程度の柵を乗り越えて腰を掛ける。特別、悲しいことがあったわけではない。人生に不満があるわけでもない。死にたいわけでもない。ただ、無意味に生きるのが嫌になった。他人からすればたったそれだけのこと。でも、私にとってはこれ以上ない大切なこと。太陽が沈むのを見届けたところで立ち上がった。空へ踏み出した一歩。花束を抱えて、真下に落下していく。これでやっと終われるのだと思うと幸福すら感じていた。それなのに、いつまで経っても終わりを感じなかった。気づけば手に持っていた花束は中身がなくなっていた。
「生きる目的が欲しいのですか」
 逆さの状態で目の前に顔が現れた。真っ白な肌に大きな瞳がまるで人形のような少女だった。
「生きる目的が欲しいのですか」
 再び同じことを言われて、曖昧に頷く。無意味に生きるのが嫌になったの反対はそういうことなのだろうか。すると、少女は私の手を引いて飛び降りた屋上まで戻らされた。下を覗くと、先ほどまで手元にあった花が散っていた。頷いたことを思わず後悔した。
「お願いがあるんです」
 そうだよね、だから止めたんだよねと言いたくなる。この天使のような少女の目的はなんだろうか。大きな瞳で見つめられ、ぎゅっと手を握られる。
「私を産んだ母を探して欲しいんです」
 意味がわからなかった。だけど、少女の表情は変わらない。
「私、公衆トイレで生まれた後、すぐに近くの花壇に埋められたんです。だから、母に会いたいんです」
 恨みがあるわけでもなく、純粋に会いたいだけなのだと伝わる。私なんかに探し出せるのだろうか。
「お願いします」
 断れなくて、再び頷く。この日から少女の母親探しが始まった。

6/16/2023, 10:05:45 AM

 中学二年生の夏休み。図書館で目が合ったような。そんな気がした。分厚い背表紙に描かれた緑がかった灰色の瞳の女性。ドキドキしながら手に取ると、ずっしりとした重みを感じた。中をパラパラと目を通したが、難しい言葉が多く使われていてよくわからなかった。だが、それぐらいのことでこの本を諦めたくないという強い思いを抱きながら、貸出カウンターに向かった。初めて借りた国語辞典よりも分厚い本に胸が高鳴っていた。
 それから毎日時間を見つけては読み進めていた。自宅にある国語辞典を隣に置いていた。わからない言葉が出るたびに索引する。本の貸出期間は一週間だったが、その期間では到底読みきれず、何度も一度返しては再び借りていた。
 二学期が始まってからも、まだ読んでいた。続きが気になって気になって、授業に集中できなかった。教室の中で一番後ろの席に座っていたこともあり、国語の授業中に国語辞典を使うふりをして、その本を読んでいた。
「これ辞書じゃないよね。本は片付けなさい」
 先生の巡回に気づかず、怒られてしまった。仕方なく引き出しの中に入れようとすると、先生にこんな難しい本を読んでいるのと感心された。先生がそれを没収したことによって、なぜかクラスメイトからは授業中に辞書を読んでいると勘違いされた。
 放課後、職員室に行って本を返してもらった。授業中は読まないようにと注意を受けただけで済んだ。だが、私はそれを授業中以外は好きに読んでいいと受け取った。それからは登下校中も、給食の時間も、休み時間も、部活の時間も全て読書に費やした。
 それぐらい、その本の虜になっていた。たった一枚の紙から伝わってくるピリピリとした緊張感や、主人公の感情が脳に流れ込んでくるような感覚があった。初めての感覚に私は息をするのを忘れてしまうぐらい集中していた。
 そして、二ヶ月ほどかけて読み進めたその本を閉じた時。頭の中には、私もこんな物語を綴れる人になりたいという欲に染まっていた。決して、後味のいい話ではなかった。胸糞が悪くなるような展開も多く、人が死ぬこともあった。それでも、それは私の今までの価値観すべてを塗り替えられたような感覚があった。
 返却期限がやってきて、私はその本を返した。あれから習慣のように読書を何年も続けているが、あの本を超えるものには出会えていない。間違いなく、私はあの本に恋をしていた。今でもあの本以上に好きな本は見つからない。

6/11/2023, 10:25:41 AM

 高校二年生の半ばにもなると進路の話が出始める。行きたい大学もなければ、就きたい職種もなかったのでゆっくり考えようと思っていた。
 だが、そのときはすぐにきた。
「進路希望調査、まだ空欄なの」
 放課後、先生に呼び出されて急遽、二者面談をしていた。来週には三者面談があるから、それまでには何か希望を出して欲しいと言われた。だが、やりたいことなんて何一つ思い浮かばなくて俯いた。
「ほら、国語や英語の成績がいいんだから、文学科とか国際科に進んでもいいんじゃないの」
「はぁ」
「やりたいことがないなら一旦進学するのが無難よ」
 そう先生はアドバイスしてくれたが、学費もバカにならないことを知っている。特別やる気があるわけでもないのに、両親にそんな負担をかけるのは申し訳なかった。
 真っ白の進路調査票を持って帰宅した。夕食の時に父から進路について聞かれた。どうするのだと。
「まだ、わからない」
 大ききなため息をつかれてプレッシャーを感じる。母がそれとなく宥めていたが、気まずいことに変わりはなかった。夕食後、自分の部屋に戻ると、母が部屋に入ってきた。話はやはり進路の話になった。
「これは女として社会を生きていくためのお母さんからのアドバイス。一人で生きていくつもりなら手に職はつけておいたほうがいい。大学に行くなら何か専門の資格を取れるところに行ってほしいの」
 今まで母から将来のことや、私のやることに口を出されたことはなかった。もちろん、こうやってアドバイスを受けることも。私の意思を全て尊重してくれた。だから、母がこうやって意見を言ったことが不思議だった。
「なんで、そう思うの?」
「お母さんは、なんの学もないから一人で生きようにも生きれないからよ」
 それは離婚したくてもできないという意味だろうか。じゃあ、そういう方向で考えるねと言うと母は申し訳なさそうな顔をした。本当は私が成人するまで言うつもりはなかったと。でも、どことなく両親が冷め切っていることを知っていた私は驚かなかった。
 その後、私は看護師を目指して医学部に進学した。元々成績は良い方だったから問題はなかった。就職するまでの間は母に我慢してもらったが、大学卒業して家を出るタイミングで両親は離婚した。私は母と一緒に暮らしながら仕事をした。やりたいことでなくても、やり続けるうちにやり甲斐を感じることができた。母と二人だけの生活は温もりがあって、どこか冷め切っていた感情を取り戻すことができたような気がする。

6/10/2023, 9:00:29 AM

 両親の顔を知らないまま育った私は家庭や家族というものに強い憧れがあった。
 だからそれを叶えてくれそうな人と手っ取り早く結婚した。愛し方がわからない私にとって、無条件に愛されることは一つの気持ち悪さがあった。だが、その生活も続いていくうちに慣れていく。愛し方はわからなくても、愛される心強さを知った。
 だけど、それが私を暴走させた。一人分の愛だけじゃ飽き足らず、バーに行ってはいろんな男を引っ掛け回した。その場限りの愛してるでも嬉しかった。
 その結果、誰の子かもわからない子どもを身篭った。旦那もそれに気づいてたが、何も言わなかった。私はそれを許してくれたのだと勘違いした。本当は呆れられて、愛想も尽かされているとも知らずに。
 だから、子どもが生まれてきたときは二人で愛せると思った。実際に最初はそうだった。旦那も子育てには協力的だったし、義実家とも関係は良好で特別苦労はしなかった。可愛い自分の子どもも心から愛することができた。
 だが、終わりは突然訪れた。子どもを抱いて出かけて帰ってくると、旦那が真面目な顔をして座っていた。大事な話があると言われて、子どもを寝かしつけてから向かい合う形で座った。
「もう、離婚してほしい」
 唐突な言葉にショックを受けた。恐る恐る理由を聞いてみる。
「自分の子かもわからない子どもを育てていくのがしんどいんだ。もう今月中には出ていってくれ」
 反論する言葉も出ず、従うしかできなかった。決められた一ヶ月、必死に物件を探したり、働き先を探したりもしたが何一つうまくいかなかった。気づけば、定められた期間は終わって荷物をまとめて車に乗せた。荷物を乗せるまでは手伝ってくれたが、旦那は見送ってくれなかった。行く宛もないまま、車を走らせる。しばらくして海が見えた。車を止めて、眠っている子どもを抱っこした。ぼんやりと海を見ていると、ポロッと涙が落ちた。これからどうしようと考えていると頭の中に浮かんだのは「死」の一文字だった。泣きながら、子どもを抱いて海に入っていく。一歩、一歩と深さを増すごとに芯まで冷たくなっていく。腰まで浸かったところで足が止まった。朝日が昇り始める。朝日の温もりが世界を照らしていく。涙が、止まらなくなった。私の手が冷たくても、子どもの身体は暖かい。死ぬなら自分だけにしておくべきだ。砂浜に戻って子どもを置いた。この子にもちゃんと愛してるを伝えて育てていきたかった。それでも、私の手ではそれが叶わない。
 もう一度、海に戻る。深く、足がつかなくなるまで深く、進んでいく。溺れる苦しさ。深い青に紛れた朝日に子どもの幸せを祈った。

6/8/2023, 2:28:06 PM

 人生における岐路は小さなものから大きなものまで様々ある。幼い頃から見ていくのであれば、誰と仲良くするか、誰を無視するか。授業を真面目に聞くか、全く関係のないことをやるか。進学先は自分のやりたいことのできるところに進学するか、楽に通学できるところを選ぶか、学力で楽できるところで妥協するか。大人になっても大して変わらない。
 それに気づいた時には全てが手遅れだった。自分の人生が後悔にまみれていることを痛感した。
 仲良くなりたかったあの子は、クラスの一軍女子に嫌われていたから関わらなかった。授業はつまらなくてほとんど聞かないでいたら、社会に出てから困った。資格を取るときに勉強のやり方がわからなかった。進学先も高校では楽して過ごしたかったから、偏差値の低いところに進学した。そのせいで、高校三年生の進路の時期になって、やりたい勉強が見つかっても大学に進学できるほどの学力はなかった。
 だから、結婚も妥協した。自分の容姿や学歴と見合う人と結婚した。愛はなかったが、共に生活をしていくだけならそんなもの必要ないとさえ思っていた。共働きだったため、金銭的にそこまで苦労することはなくても、旦那からの愛が重いと感じることは多々あった。離婚を考えたこともあったが、その後の生活が苦しくなるのは目に見えていたから我慢した。
 しばらくして、望まぬ妊娠をした。旦那に内緒で堕ろそうかとも考えたが、どことなくこの子を幸せにしなければならないという義務感が湧いた。
 その後、出産してから私は自分が諦めてきたもの、捨ててきたもの、欲しくても手に入らなかったもの全てを捧げるように子どもに与え続けた。教養、学力、コミュニケーション能力、自己肯定感、個性。挙げればキリがなかった。時折、嫌そうな顔をしていることにも気づいていたが、やめなかった。全てがこの子の幸せに繋がっていると信じて疑わなかった。
 それが今はどうだろうか。あれだけ熱心に力を注いできたというのに、私と瓜二つに育った。家での態度や、三者面談の様子、友達との付き合い方。気づいてはいたが、まだ変えられると思っていたのになにも変えられなかった。
 結局、カエルの子どもはカエルなのだと思い知らされただけだった。

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