池上さゆり

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6/7/2023, 2:20:40 PM

 みんな、どこかに逃げてしまった。金のあるものは地球の反対側へ。ないものはどうせ死ぬならと、愛する人と自殺していった。
 僕はそのどちらにも属さなかった。人がいなくなると、街は廃っていく。街が人に生かされていたのか、人が街に生かされていたのか。今とはなってはもうわからない。残りものも少なくなったスーパーに立ち寄った。賞味期限が近かったり、腐ったりしてしまうものは袋にまとめてゴミ箱に移した。今日はなにを食べようかと店内を歩いていると、ボロボロになった姿で倒れている女の子がいた。見た目からして中学生ぐらいだろうか。久々に見た人の姿に驚いたが、声はかけなかった。この日はカップ麺を一つ手に取ってそのままかぶりついて食べた。
 次の日もスーパーに行くと女の子がいた。ぐったりとして床に倒れている。昨日と体勢が違うから生きていることはわかったが、近づく気にはならなかった。今日も通り過ぎようとしたが、こちらに気づかれてしまった。
「そこの方……助けてくれませんか」
 無視できず、足を止めてしまう。近づいて、目の前に立った。
「どうしたんですか。食べ物なら腐るほどあるでしょう」
「違うんです。目の前で両親が自殺してしまってから一人が怖くて仕方ないんです。傍にいてくれませんか」
 僕との境遇が似ていて驚いた。隣に座って自分の話をした。離婚したはずの両親がいつの間にか連絡を取っていて心中したこと。離婚の時に妹もいたが、その子とは母親に連れて行かれて以来会っていないこと。寂しさやショックよりも呆れの方が強かったこと。
「私も、似たような感じです。小さい頃に両親は離婚したみたいなんですけど、ずっと触れちゃいけない話題だと思って聞いてこなかったんです。でもお母さんが四人家族の写真をずっと捨てずに持っていて、お兄ちゃんが小さい時の顔しか知らないんです」
 似た境遇の人と、気持ちを分かちあえて嬉しく思っていた。それからは世界が終わるその日まで毎日一緒に過ごしていた。妹によく似たその子と一緒にいると気持ちが楽だった。
 だが、どんなに幸せに過ごしていても終わりはやってくる。ニュースで報道されていた通り、太陽はいつもよりもずっと大きく輝いていた。日陰なんて意味がないほど、地表の温度が上がっていく。精神的にも追い詰められていく中、出会った女の子と手を繋いで空を見上げていた。
 世界の終わりに君と過ごせたのなら、きっと死の苦しみにだって耐えられるような気がした。隣には妹とよく似た笑顔で彼女が座っていた。妹がこの子だったら良かったのに。最後に家族と過ごせたのならどれだけ幸せなことだろうか。その事実を確認できないまま、繋いだ手で苦しみを分かち合いながら僕らの人生は幕を閉じた。

6/6/2023, 12:50:51 PM

 練習したきた成果を出しきった合唱コンクール。金賞に選ばれれば、全国大会に進むことができる。その結果発表を待っていた。
 みんなで全国出場を目指して努力してきたのだから、金賞であることを祈っていた。そして、訪れたその時間。銅賞から順に発表されていく。まだ、私たちの学校名を呼ばないでください。心臓をバクバクさせながら、祈っていた。学校名が呼ばれたのは、予想していたよりも早かった。銀賞で終わった合唱コンクールは思っていたより、ショックは少なかった。
 まぁ、こんなものかとその結果を受け入れていた。そう思っていた私の横で同級生が膝を抱えて泣いていた。なんで泣いているのかがわからなくて、ついどうしたのと声を掛けてしまった。
「悔しい……全国、行きたかったのに。こんなのってないよ最悪!」
「本気で全国行けると思ってたの?」
 言ってはいけないことを言ってしまったと気づいた時には遅かった。その子は逃げるようにこの場を去っていった。
 高校三年生である私たちにとっては最後のチャンスだった。だけど、やり切ったと思っていた私はこの結果に十分満足していた。
 ホールから出て、バスに乗って学校に戻った。あの子ほど深くショックを受けている人はいなくて、賑やかな車内だった。最後に後輩が集まってきて、部長を務めた私に感謝の花束を渡してくれた。
 あぁ、後輩たちも全国に行けるなんて思ってなかったのだと気づいた。本気で部活に取り組んできたつもりだった。誰よりも部長として、最大限の努力をしてきたつもりだった。それでも、あの子が最後に吐き捨てた最悪という言葉が理解できなかった。

6/5/2023, 10:02:49 AM

 お金が貯まれば幸せになれると思っていた。だから私は狭い部屋で必死に仕事を続けた。イラストレーターとして成功するまでは、1DKのこの部屋で我慢すると決めていた。ベッドと作業用の机、冷蔵庫に電子レンジしか置いていない。好きなデザインのソファや大きな本棚が欲しくても、断念していた。
 そんな生活を続けて数年。周囲から現実みて正社員として働いた方がいいという注意すらされなくなった頃、やっと大きな仕事をもらえた。とある小説が映画化するから、登場人物のキャラクターデザインをしてほしいというものだった。これが成功すればすべてうまくいくと信じた私は必死に頭を使って、作品との解釈違いが起きないよう。それでいて個性的なキャラクターになるよう頑張って描いた。
 見事、その映画は大ヒットして、私の名前も少しは知られるようになった。それをきっかけに仕事を増えて、お金もたくさん貯まった。
 理想の家に引っ越しして、理想のインテリアを揃えようと決めた。新築で建ててもらったその家は私の理想通りだった。新調した家具も、庭に咲く花だって。なに一つ文句なかった。
 そんな広い部屋で再び仕事を始めた。はじめは人生における一つの目標を達成したせいか、あまりやる気が出なかった。だが、どれだけ長くこの家で仕事をしてもその状態は続いた。
 そして私は気づいた。成功するまで一人で頑張り続けたあの部屋が、家が恋しいのだと。あの部屋に詰まっていた努力した時間を無くしたように感じた。
 結局、お金が貯まっても私は幸せにはなれなかった。お金がなくても、幸せを感じられていたあの頃に戻りたくても、もう戻れない。自分が履き違えていた価値観に一人、虚しさを覚えるのであった。

6/3/2023, 5:50:07 PM

 その子は好きな人ができると、まるでその人しか世界に存在していないかのような、依存しきった行動をとるようになる。普通の人なら嫌ってしまうものの、彼女が誰よりも可愛いから誰もその異常に気づけない。
 僕だって彼女に恋をしたひとりだ。だけど、そのとき彼女には好きな人がいて僕のことなんて眼中にないようだった。
 だから、時が来るのを待った。彼女が彼氏に振られて傷心のところ狙おうと考えていた。毎日目で追っているとそれは実にわかりやすい変化だった。コロコロと変わる豊かで可憐な表情が、突然光を失ったかのように闇に落ちる。これを逃すわけにはいかないと思って、帰り道で彼女が一人になっているところに声をかけた。
「どうしたの? なにかあったのなら話を聞くよ」
 会話をするのは初めてだったのに、彼女は突然大きな声で泣き出した。そして、話し始めたのは自分を振った彼氏のことだった。振られた経緯を話した後に、まだ好きなのにと言って泣き止まなかった。
「僕で良かったらまた話聞くよ。いつでも連絡して」
 そう言って連絡先を交換してその日は別れた。その日から僕から連絡をするようなことは一切しなかった。というよりも連絡しなくても、毎日決まった時間に彼女から電話があった。始めはまだ未練が残っている元彼の話ばかりだったのが、次第に学校での出来事や家での楽しかったことの話が増えていった。少しずつ元気を取り戻していったところで、そろそろデートに誘おうと思った矢先。彼女から好きな人ができたのと連絡が来た。ショックだった。こんなに好かれるように、鬱陶しがられないように頑張って行動してきたはずが、裏目にでた。ただの都合のいい人に成り下がってしまった。
 しばらくして、彼女から付き合うことになったから連絡先消すねと連絡が来た。仕方のないことだと思った。
 だが、これは失恋ではない。彼女のことをちゃんと受け入れて愛せるのは僕だけなのだから。また、振られた時は誰よりも早く僕が慰めに行くね。

6/2/2023, 7:52:57 AM

 梅雨が近づいてくると、毎年私は傘を買いに行く。二週間もない短い間だけ使う特別な傘。
 今日もそのための傘を買いに来ていた。駅前にある傘専門店で色んな傘を広げては閉じていく。特別好きな色や柄があるわけではない。直感でこれだと感じたものを買う。今年はなかなかその傘が見つからなかった。
 すると、私があまりにも長時間悩んでいるせいか、店主が出てきた。
「今年も来てくれたんだねぇ」
「お久しぶりです」
 まさか顔を覚えられているとは思わなくて少し驚く。
「どんな傘をお探しですか」
「特に決まってなくて、直感で探しているんです」
「いいですね。運命の傘探し、私もお手伝いさせてもらえますか」
 そう言うと、二人で店内の隅から隅まで思うがままに傘を開いては閉じてを繰り返した。
「お嬢さん、これはどうですか。私のお気に入りの一品なんです」
 そういって店主が広げたのは、真っ赤な布地にしだれ桜とその花びらが舞っている絵の描かれた傘だった。金色で縁どりされていてとても豪華だ。
「梅雨時になるともう桜は季節外れになってしまってね、売れないんですけどお気に入りなんですよ」
 これだと思った。今年の最傑作はきっとこれだと感じた。これにしますと言ってレジに持っていくと店主は嬉しそうな顔をして丁寧に閉じて、留めてくれた。学生だからという理由で割引すると言われたが、断った。
「こんな素敵な傘の価値を下げないでください。ぜひ定価で買わせてください」
「嬉しいねぇ。でもお嬢さんがこの傘を大切に使ってくれるだけで、この傘にはその価値が宿るんだよ」
 ぺこりと頭を下げて、お店を出た。雨は降っていなかったが、早速傘を広げた。
「やっぱりお嬢さんは赤が似合うねぇ。毎年買ってくれてありがとう」
「こちらこそありがとうございます。また、来年も買いに来ますね」
 きっとこの傘をあのお店で買ったことを母が知ったら怒るのだろう。だけど、それでも私は祖父が一から手作業で作った傘が欲しかった。認知症になっても、技術が手に残っているうちは傘を作り続けるのだろう。いつまで私のことを覚えてくれているかはわからないが、来年も祖父の最傑作を買うために私はあのお店を訪れる。

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