池上さゆり

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 梅雨が近づいてくると、毎年私は傘を買いに行く。二週間もない短い間だけ使う特別な傘。
 今日もそのための傘を買いに来ていた。駅前にある傘専門店で色んな傘を広げては閉じていく。特別好きな色や柄があるわけではない。直感でこれだと感じたものを買う。今年はなかなかその傘が見つからなかった。
 すると、私があまりにも長時間悩んでいるせいか、店主が出てきた。
「今年も来てくれたんだねぇ」
「お久しぶりです」
 まさか顔を覚えられているとは思わなくて少し驚く。
「どんな傘をお探しですか」
「特に決まってなくて、直感で探しているんです」
「いいですね。運命の傘探し、私もお手伝いさせてもらえますか」
 そう言うと、二人で店内の隅から隅まで思うがままに傘を開いては閉じてを繰り返した。
「お嬢さん、これはどうですか。私のお気に入りの一品なんです」
 そういって店主が広げたのは、真っ赤な布地にしだれ桜とその花びらが舞っている絵の描かれた傘だった。金色で縁どりされていてとても豪華だ。
「梅雨時になるともう桜は季節外れになってしまってね、売れないんですけどお気に入りなんですよ」
 これだと思った。今年の最傑作はきっとこれだと感じた。これにしますと言ってレジに持っていくと店主は嬉しそうな顔をして丁寧に閉じて、留めてくれた。学生だからという理由で割引すると言われたが、断った。
「こんな素敵な傘の価値を下げないでください。ぜひ定価で買わせてください」
「嬉しいねぇ。でもお嬢さんがこの傘を大切に使ってくれるだけで、この傘にはその価値が宿るんだよ」
 ぺこりと頭を下げて、お店を出た。雨は降っていなかったが、早速傘を広げた。
「やっぱりお嬢さんは赤が似合うねぇ。毎年買ってくれてありがとう」
「こちらこそありがとうございます。また、来年も買いに来ますね」
 きっとこの傘をあのお店で買ったことを母が知ったら怒るのだろう。だけど、それでも私は祖父が一から手作業で作った傘が欲しかった。認知症になっても、技術が手に残っているうちは傘を作り続けるのだろう。いつまで私のことを覚えてくれているかはわからないが、来年も祖父の最傑作を買うために私はあのお店を訪れる。

6/2/2023, 7:52:57 AM