池上さゆり

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 高校二年生の半ばにもなると進路の話が出始める。行きたい大学もなければ、就きたい職種もなかったのでゆっくり考えようと思っていた。
 だが、そのときはすぐにきた。
「進路希望調査、まだ空欄なの」
 放課後、先生に呼び出されて急遽、二者面談をしていた。来週には三者面談があるから、それまでには何か希望を出して欲しいと言われた。だが、やりたいことなんて何一つ思い浮かばなくて俯いた。
「ほら、国語や英語の成績がいいんだから、文学科とか国際科に進んでもいいんじゃないの」
「はぁ」
「やりたいことがないなら一旦進学するのが無難よ」
 そう先生はアドバイスしてくれたが、学費もバカにならないことを知っている。特別やる気があるわけでもないのに、両親にそんな負担をかけるのは申し訳なかった。
 真っ白の進路調査票を持って帰宅した。夕食の時に父から進路について聞かれた。どうするのだと。
「まだ、わからない」
 大ききなため息をつかれてプレッシャーを感じる。母がそれとなく宥めていたが、気まずいことに変わりはなかった。夕食後、自分の部屋に戻ると、母が部屋に入ってきた。話はやはり進路の話になった。
「これは女として社会を生きていくためのお母さんからのアドバイス。一人で生きていくつもりなら手に職はつけておいたほうがいい。大学に行くなら何か専門の資格を取れるところに行ってほしいの」
 今まで母から将来のことや、私のやることに口を出されたことはなかった。もちろん、こうやってアドバイスを受けることも。私の意思を全て尊重してくれた。だから、母がこうやって意見を言ったことが不思議だった。
「なんで、そう思うの?」
「お母さんは、なんの学もないから一人で生きようにも生きれないからよ」
 それは離婚したくてもできないという意味だろうか。じゃあ、そういう方向で考えるねと言うと母は申し訳なさそうな顔をした。本当は私が成人するまで言うつもりはなかったと。でも、どことなく両親が冷め切っていることを知っていた私は驚かなかった。
 その後、私は看護師を目指して医学部に進学した。元々成績は良い方だったから問題はなかった。就職するまでの間は母に我慢してもらったが、大学卒業して家を出るタイミングで両親は離婚した。私は母と一緒に暮らしながら仕事をした。やりたいことでなくても、やり続けるうちにやり甲斐を感じることができた。母と二人だけの生活は温もりがあって、どこか冷め切っていた感情を取り戻すことができたような気がする。

6/11/2023, 10:25:41 AM