池上さゆり

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 人生における岐路は小さなものから大きなものまで様々ある。幼い頃から見ていくのであれば、誰と仲良くするか、誰を無視するか。授業を真面目に聞くか、全く関係のないことをやるか。進学先は自分のやりたいことのできるところに進学するか、楽に通学できるところを選ぶか、学力で楽できるところで妥協するか。大人になっても大して変わらない。
 それに気づいた時には全てが手遅れだった。自分の人生が後悔にまみれていることを痛感した。
 仲良くなりたかったあの子は、クラスの一軍女子に嫌われていたから関わらなかった。授業はつまらなくてほとんど聞かないでいたら、社会に出てから困った。資格を取るときに勉強のやり方がわからなかった。進学先も高校では楽して過ごしたかったから、偏差値の低いところに進学した。そのせいで、高校三年生の進路の時期になって、やりたい勉強が見つかっても大学に進学できるほどの学力はなかった。
 だから、結婚も妥協した。自分の容姿や学歴と見合う人と結婚した。愛はなかったが、共に生活をしていくだけならそんなもの必要ないとさえ思っていた。共働きだったため、金銭的にそこまで苦労することはなくても、旦那からの愛が重いと感じることは多々あった。離婚を考えたこともあったが、その後の生活が苦しくなるのは目に見えていたから我慢した。
 しばらくして、望まぬ妊娠をした。旦那に内緒で堕ろそうかとも考えたが、どことなくこの子を幸せにしなければならないという義務感が湧いた。
 その後、出産してから私は自分が諦めてきたもの、捨ててきたもの、欲しくても手に入らなかったもの全てを捧げるように子どもに与え続けた。教養、学力、コミュニケーション能力、自己肯定感、個性。挙げればキリがなかった。時折、嫌そうな顔をしていることにも気づいていたが、やめなかった。全てがこの子の幸せに繋がっていると信じて疑わなかった。
 それが今はどうだろうか。あれだけ熱心に力を注いできたというのに、私と瓜二つに育った。家での態度や、三者面談の様子、友達との付き合い方。気づいてはいたが、まだ変えられると思っていたのになにも変えられなかった。
 結局、カエルの子どもはカエルなのだと思い知らされただけだった。

6/8/2023, 2:28:06 PM