光合成

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4/22/2026, 3:47:48 PM

『たとえ間違いだったとしても』

君を見かけたのは、市立図書館の窓際の席だった。
大きな窓から差し込む陽を静かに浴びながら、文庫本を読んでいた。
長い髪がさらりと机に垂れてカーテンのようになっている。廊下側の髪は丸く綺麗な形の耳にかけられていて、横顔が晒されている。

同じクラスの物静かな人。
いつも本を読んでいて、運動は少し苦手らしい。
鎖骨まで伸びた真っ直ぐな黒髪が綺麗で、すれ違うとふわりと甘い香りがする。

僕は彼女に気づかれないように、同じテーブルに腰かける。借りようと思っていた本を開いて、読むふりをしながら、彼女を観察する。

真面目な彼女はスカートは膝下で、ソックスもちゃんと伸ばして履く。
みんなはスカートとソックスが繋がってダサいと言うが、校則を守って派手さのないところが僕はむしろ好きだった。

本のページが細く白い指先でゆっくりと捲られる。
ぱらり、という乾いた紙の音がして、彼女の視線が合わせて動く。
耳にかけられた髪がだんだんとゆるみ、するりと顔にかかる。
本を抑えていた右手が顔元に近づき、顔を覆う髪を柔く耳にかける。
形のいい耳がきらりと光る。
シルバーが1つ、耳たぶで輝いていた。
あ、これは……。

視線に気づいたのか、彼女が顔をあげる。
僕と目が合って、少し驚いた顔をしてから固まる僕を見つめる。
「ねぇ、それ、いつ開けたの?」
僕は自分の耳に触れながら聞いた。
「……ずっと前に」
少し間があって、彼女が答える。
「校則違反? 意外だね」
真面目な彼女の思わぬギャップに、僕はなんとも言えない気持ちになった。
背徳感、とでも言うのだろうか。知っていけないことを知ってしまったように感じた。
彼女は人差し指を唇に当てて、微笑んだ。
「ないしょ」と柔らかそうな唇が動いた。

そのピアスは、いつ、誰に、何のために開けられたものなのだろか。
もしや、恋人とお揃いなのだろうか。
たとえ間違いだったとしても、僕の密かな恋は終わってしまったのだろう。
ピアスに触れる彼女は見たこともないほどに優しく、幸せそうな表情をしていた。
僕は知っている。
それは、恋をしている人の表情だった。


2026.04.22
68

4/20/2026, 12:10:36 PM

『何もいらない』

僕に世界の広さを教えてくれたのは君だった。
知らない言葉と知らない土地の匂い。
君は僕の知らない事ばかり知っていた。
僕が知っていることは、全て君も知っていることかのように思えた。

君は自由な人だった。
何よりも自由を求めて、好きな物を好きだと言える人だった。
僕はそんな君に憧れていた。

君は僕にたくさんのものを与えた。
それは実体のあるものばかりじゃなくて、手を伸ばしても掴めないものもあった。
それでも君がくれた最後の贈り物を、僕はどう受け取ればいいか分からなかった。

君は今、僕の目の前にいる。
力の抜けた身体が僕にもたれかかって、その重さを全身で感じる。その体温は酷く冷たかった。
手から二の腕、肩に順に触れ、鎖骨を撫でて、細い首筋をなぞる。顔にかかる髪をはらい頬に手を当て、額にキスをする。
その表情は静かで、滑らかな白い肌を月明かりがより青白く照らす。

僕の声はもう、君には届かなかった。
君を引き留めることができなかった。
共に行くことも、君は許してくれなかった。
君は深い眠りについて、夢のような、この世界のどこよりも遠い世界に行ってしまった。
この夜が明けたら、君はもういない。
この別れは君が最後に僕にくれたものだ。
この感情を、僕は知らなかった。
君がくれた感情だった。

あぁ、遠くに行ってしまう君へ。
僕はもう何もいらないから、どうか、どうか幸せでいてほしい。
その自由が、君の追い求めた真実でありますように。そして、叶うことなら、その世界に少しでいいから、僕がいますように。


2026.04.20
67

4/19/2026, 11:19:56 AM

『もしも未来を見れるなら』

「将来の夢って、ある?」
君が頬杖をつきながら、僕に問う。
少し肌寒い店内で、ホットコーヒーに口をつける。彼女の視線は窓の外に向けられ、その先には無邪気に走り回る子どもがいた。

将来の夢、そんな質問はこれまで何回も聞かれた。幼稚園、小学校、中学、高校、そして大学。
大人はなぜか知りたがる。最初は本当になりたいものを挙げるが、次第に大人の反応を伺って、だんだんと現実味を帯びた回答になる。

僕の、幼いころの夢は恐竜になることだった。
絶滅したなんてことは知っていたが、僕は成長するうちにいつかなれると信じて疑わなかった。
幼稚園児の夢に論理的な繋がりなんてない。

小学校、中学では警察官だとか、学校の先生だとかありきたりで親や教師が満足するような将来の夢を作っていた。
実際、僕の人生を通して教師なんかになりたいと思ったことは1度たりともない。

高校になると進路のために、ある程度真剣に考え始める。好きなことや興味のあることを挙げて、それらに関わる何か、そして自身の力量を正確に見積った回答をしなければならない。
この時の僕は大学に進学することが決まっていたから、他教科と比べて僅かに得意と言えた科目を選んだだけだった。

彼女と出会ったのは大学2年の後半だった。
好きなことがあって、将来の夢がある彼女と過ごすうちに、僕は自分が空っぽだということを嫌という程に突きつけられた。
自分の道を自分で選び、作り、歩むその姿が眩しくて、憧れで、恐ろしかった。

空白な自分はいつからか、その隙間を埋めるように死にたいと願うようになっていた。
将来何がしたいかと問われても、僕には死にたいしか出てこない。
中学も高校も、ぼんやりと過ごして、進路志望に死にたいと書いては消してを2度程繰り返した。

それでも僕は君を愛していた。
だからこう答える。
「君の隣にいたい」
もしも未来を見れるなら、この嘘に君は気づいてしまうかもしれない。
それでも、君の曇りなき歩みがたどり着く先を知りたいと思ってしまうんだ。

2026.04.19
66

4/15/2026, 11:35:11 AM

『届かぬ想い』

君の足跡をたどっていたら、知らぬ土地の知らぬ海にたどり着いた。

真っ白な砂浜がどこまでも広がっていて、海のコバルトブルーがグラデーションを描いていた。
砂はサラサラと風で模様を作り、陽の光に反射してキラキラと輝いていた。

その海は、静寂に包まれていた。人は誰もおらず、寄せては返す波の音だけが辺りに響いていた。
それさえもどこか遠い世界のもののように聞こえて、僕はこの世界でひとりぼっちになってしまったような感覚になった。

いや、もしかしたら僕は、本当にひとりぼっちになってしまったのかもしれない。
君の足跡を綴った手紙は、真っ直ぐ海に続き、波打ち際で途切れていた。

ふと、足元に薄ピンク色の貝殻があることに気がついた。
彼女の頬のような、柔らかく上品な色だった。
僕はそれに手を伸ばして、触れようとした瞬間に消えてしまった。波にさらわれてしまったみたいだ。

あぁ、また届かなかった。
遅かった。

ふと、風が強く吹いた。下からすくうような風で、数枚の白い紙が宙を舞う。
今度は僕の手から手紙がさらわれてしまった。

あぁ、いってしまった。
ちゃんと掴んでいたはずだったのに。

波打ち際をぼんやりと歩く。
ここはどこだろうか。
たどり着くまで、彼女の最期の手紙に書いてある通りに旅をしてきた。

結局僕は、彼女のことを何一つ分かってはいなかったんだ。分かった気になって、それきりだったんだ。

潮の匂いに混じって、桜の最後の花弁が舞う。
桜は全て散った。
君が好きな季節ももう終わる。
それなのに僕は、君の愛したこの場所を知るのにずいぶん時間が経ってしまった。

ポケットを探る。左人差し指に固く冷たい感触が伝わる。それをそっと掴んで取り出して、水平線にかざす。
白い塊に陽が透けて、その優しく穏やかな光に君の姿が見えたような気がした。

僕にはもう、これしかない。
たった一つの小さな、白い欠片だけ。
君の欠片だけ。
届かない思いを抱えて、残された唯一を無くさないよう、僕は静かな海に身体を溶かした。


2026.04.15
65

4/12/2026, 10:29:40 AM

「遠くの空へ」

もう、生きている意味がないと思った。
食っては寝るだけの怠惰な生活に、なんの価値もなかった。
大学生になって、いつの間にか3年が経っていた。
キャンパスの最寄り駅に向かう電車内には、新入生らしき初々しい若者で溢れていた。
この季節特有で、新入生にあるあるの、未来に期待を馳せるかのようなキラキラとした目が視界にチラつく。浮ついた空気が、俺という存在の異質さを浮き彫りにした。
自分にもあんな、真っ直ぐに将来を楽しみにできるような、柔く青い心がかつてはあったのかもしれない。考えるだけで反吐が出そうだ。

したいこともない。叶えたい夢もない。
課題もろくに出さなければ授業にも出席をしない。そんな日々が2年間続いていた。
新学期?だからなんだ。
一念発起だとか、心新たにだとか、そんなくだらねぇもん、俺にはなかった。

心残りなんざなかった。
どこまでも落ちて落ちて、底辺にまで堕落した俺に残されたもんなんかなくて、失うもんも当たり前になかった。
もう、どうでもよかった。
酒に溺れてタバコの煙を常に纏わせてる俺はいない方がこの世界には健康的だ。

大学の最寄り駅に着く。
立ち上がる気にはなれなかった。
どこでもいい、とにかくこのうざったいほどにふわふわして急ぎ足で、焦燥感に溢れた空気から逃げ出したかった。
電車内の大半が降りて、静けさが広がる。

このまま、遠くへ行きたかった。
目を閉じて、電車の揺れに体をあずける。
君の姿を思い出す。
長く綺麗な黒髪に、ふんわりと広がるロングスカート。白いブラウスが太陽に透けて、健康的な肌を柔らかく覆っている。海の良く似合う人だった。
鈴の音のような笑い声が好きだった。
会いたい、会いたいのに。
君がいなきゃ、俺はまともに生きていけない。

このまま、終点まで行けば海がある。
君が好きだと言った海がある。
2年前、最後に君と会った海ならば、そこにまた辿り着けたならば、君に会えるような気がするんだ。
遠くの空へ、なぁ、俺も連れて行ってくれよ。


2026.04.12
64

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