『雨上がり』
雨が好きだと言った君は、雨に殺された。
透明な傘をクルクルと回しながら前を歩く君は、踊るように歩いて水溜まりをパシャリと踏んだ。
下校時間の夕暮れ時。
静かに降る雨に少し白っぽい橙の夕焼けが反射する。
不意に君は振り向いて僕に言う。
「世界最後の日は雨がいい」
そう言ってまた傘をくるりと回す。
僕はそんな最後の日は御免だと思った。
雨は嫌いだ。
服は濡れるしジメジメしてる。生まれつきのくせっ毛は本領発揮していつもの倍はくるくるになる。
さらさらとした黒髪を揺らしながら、彼女はふふっと笑う。羨ましい限りだ。
その日の夜。君は死んだ。
本当に世界最後の日になってしまった。
それを知ったのは翌日で、よく晴れた朝だった。
昨日の雨が嘘のように、太陽がうざったいほど輝いていた。
彼女はきっと雨の神様に魅入られてしまったのだろう。
目立った外傷はなく、眠りについたまま目を覚まさなかったらしい。
どこかのプリンセスと同じでキスをしたら目が覚めるんじゃないか、なんて思ったが僕にそんなに資格はない。
だからきっと彼女は連れていかれしまったんだと僕は思う。
雨の神様に見初められて、雨上がりとともに君も連れてかれたんだ。
雨が好きだと言った君は、雨に殺された。
だから僕は、雨が嫌いだ。
2025.06.01
39
『空に溶ける』
ほのかに揺らいだ水面に自分が映る。
パッとしないなんとも情けない顔だ。
不意に魚が顔を出し、滑らかな鱗をキラリと光らせて水底に沈むんでいく。
自分の顔がぐにゃりと崩れていく。
遠くではカモの夫婦が寄り添い浮かんでいる。
穏やかな昼下がりだった。
空は淡い水色で白い月が浮かんでいる。
雲は風にゆっくりと押し流されていく。
頭の奥からぼんやりと幼い頃の記憶を思い出す。
僕らは露に濡れることもいとわず野原に寝そべって空を見上げている。
穏やかな風がそっと頬をなでる。
そう、まるで今日みたいに気持ちのいい日だった。
隣りには君がいて、瞼を閉じて世界を感じた。
土や草の匂い、そよそよとした風の音、鳥のさえずりと魚の跳ねた水の音。
そして、君の柔軟剤。
君は流れる雲を見つめ
「龍がいる」
と呟いた。「龍?」と僕が聞き返すと君は雲の塊を指さしもう一度
「あそこに、龍がいる」
と言った。確かにそれは、龍だった。
悠々と空に浮かぶ龍を僕らは眺めていた。
ポチャンと魚が跳ねる。
スーツが汚れるのも気にせず、黒いネクタイを解く。無駄に大きく成長した身体であの日と同じように寝そべる。
流れる雲を見つめていると、だんだんそれは形を変えていき大きな龍となった。
驚いた。大人になってしまった自分にはもう見ることは叶わないと思っていた龍がいた。紛れもなくあの日見た龍だった。
君にも見せたかった。視界が滲んだと思ったら頬が濡れた。龍はゆっくりと空に昇って消えていった。まるでじんわりと熱が冷めるかのように溶けていった。
そして二度と姿を見せることはなかった。
2025.05.20
38
『ラブソング』
その昔、私には愛する人がいました。
少し赤みがかった茶髪に色素の薄い瞳、ブラウンの柔らかい色のメガネが良く似合う人でした。
出会いは大学のサークルでした。
それは文化祭の実行委員会で総勢100人ほどの大きなサークルでした。
5月の爽やかな風が気持ちいいある日の昼下がり、私は入部届を出そうと部室に向かいました。
少し立つけの悪いドアをゆっくりと開けると、そこには誰もいませんでした。
電気は点いていない部屋は少し仄暗く、しかしそれが落ち着く明るさでした。窓からは日が差し込んでいてホコリが反射してキラキラと輝いていました。
私は荷物をいくつかある椅子の適当なところに置いて、部室内を観察しました。
壁にはたくさんのポスターと写真が貼り付けてあり、そのどれもに眩しいほどの笑顔が写っていました。
ふと、一枚の写真に惹かれ手を伸ばしました。
その時、ガタンッと扉の開く音がして反射的に振り向くと背の高いメガネの男性が立っていました。
それが、貴方でした。
あれから私は貴方に猛アピールをしましたね。
偶然を装って授業終わりに会ったり、コンビニについて行ったり。今思うとストーカーだとか、うざったい存在だったと思います。
それでも優しく笑ってくれた貴方の、そんなところが好きでした。
貴方の卒業の日。
私は貴方に曲を送りました。
昔から趣味で作詞作曲をしていて、その話をしたら貴方がぜひ聞かせて欲しいと言い約束をしていたのです。
これは私の最初で最後の人に贈った曲です。
私の精一杯の、等身大のラブソングです。
もう二度と作ることは無いでしょう。
貴方のいないこの世界では、私の作るラブソングなんてなんの価値もないのです。
どうして私を置いていったのですか。
優しすぎるのも困りものですよ。
それでも、私は貴方のそんなところも愛しちゃうのですから、お互い様ですね。
もう一度会う時には、また曲を作りますね。
貴方の為だけのラブソングを。
2025.05.06
37
『すれ違う瞳』
すれ違う瞳、混ざらない視線。
高校の廊下の窓から暖かな日が差し込む。
あの日の僕はとても急いでいた。提出物の遅延で先生に呼び出されて、部活に遅刻していたため全力で走っていた。
グラウンドに続く1階の廊下の窓際に、一人の女子が立っていた。
肩より少し下くらいで真っ直ぐに切られた黒髪と、膝丈のスカートが風で揺れている。
僕の視線は自然と彼女に釘付られた。
穏やかな5月の日差しに照らされた彼女は輝いて見えた。
廊下から見えるのは人工芝のグラウンド。
サッカー部が準備体操をしているのが見える。
青々とした葉をつけた木が少しの日陰を作って木漏れ日の輝きをより際立たせていた。
家に帰りたくない、このまま光に溶けてしまいたい。そう思いながらぼんやりとグラウンドを見つめる。
ふと、一人の男子に目を奪われる。周りより少し明るい髪色で背の高い男の子。相手から颯爽とボールを奪い、あっという間にゴールを決める。
爽やかな5月の風のような彼の名前を知りたくなった。
夏休みが明けると、彼は転校してしまっていた。
しばらく体調不良で学校に行けない日が続いて、そのまま夏休みになり、明けたら君はもう居なかった。
昔から体が弱く入退院を繰り返していた。
友達はいないし親もいないけれど、君と会えない方がもっと寂しかった。
転校先でも僕はサッカーを続けた。
そんなある日、入院が必要なほどの大きな怪我をした。
歩く練習で院内をぼんやりと歩いていると、あの人同じように窓の外を見つめる女の子がいた。
彼女だった。
夏休みの直前、転校が決まった僕は彼女にデートの誘いに行った。後悔をしたくなかったから。
しかし、彼女は一度も学校に来ることは無かった。
そんな彼女が今目の前にいる。
すれ違う瞳、混ざらない視線。
それでも今、また彼女に巡り会えた。
今度こそ、きっと。
2025.05.04
36
『どんなに離れていても』
君が僕の前からいなくなってまる1年が経った。
桜が散り終わり、青々とした葉が風に揺られる頃、君は突然何も言わずにどこかに行ってしまった。
最初の半年は必死に探した。
君との思い出を遡って、思いつく限りの場所に足を運んだ。
君が好きだと言っていた公園。
1人で泣いていた浜辺。
お気に入りのカフェ。
いつか一緒に行きたいと言っていた街。
そのどこを探しても、君の痕跡はなかった。
探し尽くしてからの半年は君の思い出を反芻してるだけの毎日だった。
噛んで味のしなくなったガムと同じで、思い出も日が経つにつれて薄れていく。
声も、顔も、言葉も。
本当の君なのか、僕の作りだした君なのか、どれが君が分からなくなってしまうほどに。
君のいない世界はどうにも味気なくて、雪の降らない冬のような、咲く花全てが同じ色のような物足りなさがある。
ねぇ、君はどこまで行ってしまったの?
旅好きなのは知っていたけれど、急にいなくなるなんて酷いじゃないか。
僕を置いていくなんて、酷いよ、うん酷い。
よくもこんな残酷なことができるなと思う。
それでも君を愛おしく思ってしまうのは、きっと、それが僕の生きる意味だからなのだろう。
今日で君が旅に出て1年が経つ。
僕もね、そろそろ覚悟を決めようと思うんだ。
君を探して僕も旅に出ようと思う。
旅好きの君を見習って、まだ見ぬ世界を見てみようと思う。
どれだけ離れていても大丈夫。
僕の旅のゴールは君だって決まっているから。
君に会うための長い旅を、僕も続けてみようと思う。
じゃあね、また逢える日まで。
2025.04.26
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