『見つめられると』
君を確かに愛していた。
満開の桜の下でお花見をして、夏祭りで金魚すくいに夢中になって。月の綺麗な夜に本を読んで、雪の降る日にかまくらを作った。
そのどれもに君がいた。
僕が愛した君がいた。
色んなところに旅行して、色んな景色を見て、美味しいものを食べたね。
ずっと僕は君の横顔を見ていた。
長い黒髪をポニーテールにして、動くたびに揺れるそれが愛おしかった。
ねぇ、二人きりの世界はどうだった?
僕はね、君と見る世界がこの世の何よりも美しく思えた。君の笑顔が何より好きだった。
え?違うって?
何が違うのさ、僕は幸せだったよ。喧嘩した時もあったけれど、それは君が僕を思ってのことだろう?
ちゃんと分かってるから、安心してよ。
僕は怒ってる君も好きだから。
あぁ、そんな目で見つめないでくれよ。
君の瞳は真っ黒で、すっと切れ長で、その瞳が大好きなんだ。君に見つめられてしまうと僕は弱いんだ。
ん?ごめんもう一度言ってくれる?
二人で出かけたことなんてないって?
何を言ってるの、全部二人きりの思い出でしょう?
忘れちゃった?
仕方ないな、もう一度殴れば思い出せるかな?
あーあー、そんな、変に避けようとするから顔に当たったじゃないか。せっかく可愛い顔をしてるんだからもったいないよ。
あぁ!それに、僕のために白いブラウスでオシャレをしてくれたのに汚れてしまってる。
うーん、でも君は赤いブラウスも良く似合うんだね。
ねぇ、見てごらん?桜が綺麗だよ。
ほら泣いてないでさ、また二人でお花見に行こうよ。笑ってる方が僕は好きだな。
去年は僕と君だけで、君は僕を見て楽しいねって言ってくれたよね。
え、言ってない?
嘘だ!嘘だよ。嘘嘘。そうやって嘘つくのはダメだよ。あ、もしかして、僕の気を引きたくて嘘をついているの?なーんだ、かわいいね。
あー、ほらまたそうやって上目遣いで僕を見つめて。その表情に弱いんだから、やめてよね。
そんなに可愛い顔で見つめられると、僕は君を壊す衝動を抑えられなくなっちゃう。
2026.03.28
60
『ところにより雨』
小説や映画の好みに、その人の性格が滲む。
だから私は貴方の好きな本が知りたかった。
隣のクラスへ遊びに行くと、貴方はいつも教室の隅で本を読んでいた。
黒縁メガネで目に少しかかる前髪と、しなやかな指先が綺麗な人だった。
明日に卒業式を控えた生徒たちはどこか落ち着きがなく、まるで少し大人になったかのような顔をしている。
少し開いた窓から桜の花びらが入り、カーテンが揺れる。貴方の前髪がさらりと揺れる。
ゆっくりと規則的に捲られるページが、春風によって狂わされた。
眩しそうに顔を上げ、淡い水色の空を見あげた貴方の横顔から目が離せなかった。
卒業式当日。私は彼を探した。
みんなが校庭で涙を流し、思い思いに写真を撮る。
彼はどこにもいなかった。私は廊下を走った。
最後くらい、全力で走ったていいでしょう?私の後ろ姿を先生たちは何も言わなかった。
校庭の端から端、校舎の隅から隅、全てを探し終えた頃には日が暮れかけていた。
君はいなかった。もう帰ってしまったのかもしれない。そもそも来なかったのかもしれない。
家も知らないし、進学先も知らない。
もっと早く話しかければよかった。
言えばよかった。何も言えなかった。
泣かないって決めいていたはずなのに、次から次へと溢れて止まない。
少し冷たい風が私の髪を揺らす。
桜の花びらが舞って、世界を包み込む。
はらはらと散って、私を隠す。
今日の天気は晴れ予報。ところにより桜の雨。
2026.03.24
59
『特別な存在』
2人で見上げた空を貴方は覚えていますか?
少し欠けた月と咲きかけの桜。少し冷たい風が私と貴方の頬を撫でた。
遠くから波の音が聞こえた気がして、私は貴方を見る。ここに海はないけれど、私たちの世界にはいつも海があった。
静かに閉じられた瞼と少し口角の上がった唇。
穏やかな横顔から目が離せなかった。
貴方が遠くに行くことを、止める権利は私にない。
貴方の呼吸がすぐ側で聞こえて、繋いだ手の温度が忘れられない。貴方の手は珍しく冷たかった。
握る力を強めると、呼応するように貴方も握り返してくれた。
言葉はいらなかった。何も要らなかった。
貴方の空想世界と私の空想世界には必ず海があって、水平線のその先で繋がっていた。
誰にも分からない深いところで繋がっていると、そう信じていた。
貴方にとって私は特別な存在だったと信じていた。
私を置いていく貴方へ、どうか私を忘れて。
一人で逝く貴方へ、どうか幸せでいて。
なんて、嘘。
貴方の描く世界で、私も笑っていたかった。
連れて行って欲しかった。
どれだけ冷たい場所でも、暗い場所でも貴方さえいればそれで良かった。
あれから幾つもの月日が経って、この街もずいぶんと変わった。それでもこの場所は変わらず桜が咲いて、月は欠けて、海の音がする。
貴方のいないこの世界は、どこよりも冷たくて暗かった。私の体温が夜風で冷えて、あの日の貴方の温度と重なる。
今度こそ、私を連れて行って。
特別な存在だと言うのなら、私を貴方の元へ連れて行って。貴方は私の特別な存在なのだから。
2026.03.23
58
『月夜』
俺はずっと、あの夜に囚われたままだ。
あの頃の俺は、全てを投げ捨てたくてただ酒を煽っていた。この鬱陶しい考えも社会への苛立ちも、酔っている間だけは忘れられるような気がした。
全部がどうでも良かった。
死にたくて、死ねなくて。惰性で生きていた。
ウィスキーのロックを片手に机に突っ伏す。
ぼんやりとカウンターの先に並ぶ酒瓶に反射する灯りを見つめていた。薄暗い店内では十分眩しかった。上下がぐるぐるして胃が気持ち悪い。
それでも、俺は酒を飲むしかなかった。
そんな俺に君が声をかけてきた。
無視をしようとも思ったが、無様な男にナンパするような物好きな女の顔が見たくなった。
艶やかな黒髪は緩やかな天然ウェーブを描き、耳たぶに青く光るピアスが印象的だった。他の女とは違って薄めのメイクで、清楚風な装いが余計に男遊びをしていそうに思えた。
「おにーさん、ずいぶん飲んだのね」
そう笑って君は俺の隣に座った。
「うるせぇ」
乱暴に返すも気にも止めていないようで、ジントニックを頼んでいる。
「はい、乾杯」
君が俺のグラスに音を立てる。そうされたら飲むしかないのはあまりにも酒カスの思考だった。
「おにーさんさ、このあと少し付き合ってよ」
ここは私が奢るからと君は笑った。
作り笑いの反吐が出るような醜い笑顔だと思った。
ふらつく俺の手を引いて君は俺を海に連れて行った。こんな夜中に海に来て、何の意味があんだと思った。春とはいえまだ3月の初め、夜は少し冷える。それでも、酔いだけが俺の全てで、酔っていれば寒さなんて気にならなかった。
君は波打ち際まで来ると俺の両手をとった。
そうして「耳を澄ませてごらん」と言う。
何を言っているんだと思った。
それでも酔いが回りすぎた俺は何も言えなかった。大人しく黙って耳を澄ます。
穏やかな波の音だけが響いていた。
「落ち着くでしょう?」と笑う君が空を見上げる。つられて俺も顔を上げる。
そこには少しかけた満月の手前の月が浮かんでいた。綺麗だと思った。月を見上げたのなんていつぶりだろうか。
欠けているくらいが俺には、いや、俺らにはちょうどいいのかもしれない。
手を繋いだまま、2人で水平線を目指す。
靴やズボンが濡れることも厭わず、そうするのがまるで正しいかのようにゆっくり歩く。
月から君に目線を移す。視線に気づいた君と目が合う。「月が綺麗でしょう?」と得意気に君が笑う。
その笑顔はさっき見たものとはかけ離れていて、何よりも輝いて見えた。
そのあとの記憶はない。
目が覚めたら俺は海岸沿いの階段に酔いつぶれていた。君はもういなかった。
朝日が眩しくて、世界を薄いベールに包んで朧気にしていた。
あの月夜は夢だったのだろうか。
全身からする潮の匂いだけが、あの夜が現実だったと証明してくれる。
君の名前を聞き忘れてしまった。
俺だけがまだ、あの夜に囚われている。
2026.03.07
57
『絆』
貴方はみんなに優しい人でした。
笑ったときにできるえくぼと涙ボクロが魅力的な人でした。
小学生の時に出会って、中学高校時代を共にし、大学生でも一緒に飲み明かした僕らは、親友と言うには物足りない程の仲の良さでした。
これは僕の懺悔です。
小学生5年生の時に転校して、上手く馴染めなかった時に声をかけてくれたのが貴方でした。
中学の部活で怪我に苦しんだとき、リハビリを共に乗り越えてくれたのは貴方でした。
高校3年生で大学受験に精神を病んだときも、深夜に抜け出して一緒に星を見に連れ出してくれたのも貴方でした。
大学で初めてできた恋人に浮気されて振られたときに、免許取り立ての車で海に連れて行ってくれるような貴方でした。
全て、すべて、僕の全てに貴方がいました。
ずっとずっと、本当にずっと、貴方は僕の隣にいました。
本当は、本当は、本当に僕は貴方が好きでした。
叶わないと分かっていたから、隠して、握って、潰して、押し込めていたのです。
僕たちは親友でした。
でも、親友じゃ足りませんでした。
僕が愛したせいで、僕のせいで、全て僕のせいで、貴方は壊れてしまいました。
もうどこにもいない貴方。もうどこにもない絆。
深く深く、どこまでも深く繋がっていたはずの、僕たちの絆はいつしかほつれて、解けて、ちぎれてしまっていたみたいです。
この絆の糸は、赤い糸じゃなかったみたいです。
それでも、貴方の血で染まったこの糸を僕は勘違いしたいのです。
どうか、どうかどうか、許してください。
2026.03.06
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