「雪の静寂」
ねぇ、笑ってよ。
君の笑顔が好きなんだ。
寒さで鼻先が赤らんでて、あぁ、可愛いなって。
でも手のひらは暖かくて、あぁ、好きだなって。
その温もりが僕は大好きで、ずっと触れていたかった。
どこに惚れたのかは分からない。
何がきっかけだったのかも分からない。
でも出会った時からきっと運命を感じてた。
なんか、分からないけれど、君の傍は暖かかった。
寒さの苦手な僕は、君から離れられない。
コロコロと鈴を転がしたような声で君が笑う。
楽しそうにどうでもいいことを話す。
そんな時間が何より愛しかった。
雪の降る夜。
どうしてだろうか、鈴の音が聞こえない。
君が隣にいるというのに。
その温もりを感じられない。
両手には冷めた君の首筋。
雪の静寂に包まれて、君もどこかに紛れて降り積もってしまったのかもしれない。
2025.12.17
45
『凍える指先』
「ごめん」
あの日、君が僕に言った言葉。
ずっと後悔している。
ごめん、ごめん、ごめん
頭の中で何度も反芻する。思考に溶けて、ゆっくりと言葉の原型を失う。
もう、君の声も忘れてしまった。
寒い冬の日だった。
君はいつもと変わらない顔で僕に笑いかける。
だから気付けなかった。
いつもしていたピアスがなかったこと。
新しいコートを着ていたこと。
荷物が少なかったこと。
冬の海は静かで、寄せる波が少し荒い。
潮風が冷たくて、マフラーを口元まで上げる。
僕の前を君が歩いて、その足跡をなぞる。
白いマフラーが、ぼやけて世界に溶けだす。
ロングコートをひらめかせて君が振り向いた。
寒いねって言う君の鼻は赤くなっていて、赤鼻のトナカイだなんて馬鹿なことを考えていた。
そっと繋いだ君の指先は暖かかった。
その温度が心地よかった。
夕焼けに照らされる改札を君が通る。
またねと手を振る君は、どんな表情をしていただろうか。
歩き出した君の背を見つめる。
曲がり角でふと振り向いた君の口が動く。
「ご め ん」
確かに、そう動いた。
思考が止まる。追いかけなくちゃ。足が動かない。
どうしよう。君が遠くへ行ってしまう気がした。
電車の警笛が鳴り響く。
やっと我に返った僕は急いで改札を抜け、ホームへ続く階段を駆け下りる。
君はもう、いなかった。
誰かの叫び声が響く。
君の体温が冷えていくのがわかった。
凍える指先は寒さのせいか、それとも……。
2025.12.09
44
『冬の足音』
彼女は小動物みたいな人だった。
小柄で、柔らかくて、コロコロと変わる表情と寒いのが苦手なところが可愛らしかった。
12月に入るとモコモコのパジャマに毛布に包まり始める。それを見る度に、今年も冬が来たなという気持ちになった。
反対に僕は寒さには強い方で、体温が高めなのをいいことに彼女はいつも僕から温もりを奪う。
去年の冬、一緒に雪合戦をした日があった。
運動神経のいい僕の方が有利かと思いきや、彼女は意外と雪の中も俊敏に動き、最後は相打ちとなって引き分けた。そういう所も、小動物みたいだった。
真っ白な雪の上に2人で寝そべる。
空は快晴で雲ひとつない冬の空。
夜には月明かりが雪に反射して世界は銀色に輝く。
寒さに弱いくせに、彼女は冬が好きだった。
そんな彼女が好きな僕も冬が好きだった。
冬が近づくと胸が踊った。
彼女は今年もモコモコのパジャマを着て、毛布に包まる。守りたくなるような、そんな可愛らしい姿。
お揃いで買ったマグカップにはマシュマロ入りのココアが注がれている。あのマシュマロは僕が彼女のために買ったものだった。
「寒いなぁ」と彼女が言う。
僕が温めてあげようと手を伸ばす。
繋がれるはずの指先はそのまま空を切った。
「なんでだろ」そう言って俯く彼女の頭を撫でようにも触れられない。
大丈夫、ここにいるよ。
そんな声も届かない。
次から次へとこぼれ落ちる涙を拭うこともできない。
今年も冬の足音が近づいてくる。
僕はもう、彼女を温めることはできない。
寒い、寒い冬が来る。
2025.12.03
43
『今日だけ許して』
あなたの声に溺れてく。
低すぎず、高すぎず、優しさの詰まった穏やかな声。
その声が泣きたくなるほど好きでした。
思慮深いあなたはいつも、私の心の触れられたくないところを避けていく。
話すのが上手で、つい絆されてしまう。
あなたは不思議な人で、ずいぶん年下な私に心を許してくれる。
誰にも話せなかった深い傷を、私にも背負わせてくれる。心地良いって、この時間が心を満たしてくれるってあなたは言ってくれる。
あなたと話すのが好きでした。
あなたの考えを聞くのが好きでした。
辛いときも苦しいときも、あなたの存在に縋って、過去の言葉を強く抱き締めていたの。
ときどき、この関係を表す言葉が欲しくなる。
でもきっと名付けない方がいいのでしょう。
この関係が普遍的で薄く軽いものに変わってしまいそうで、私は怖い。
だから、名前なんてなくていい。
あなたは悲しいくらいに優しい人だから、私の気持ちも背負ってくれる。
苦しいと言えば話を聞いて寄り添ってくれるでしょう。
辛い過去を打ち開ければぎゅっと抱きしめてくれるでしょう。
だめだよ。あなたが私で苦しむ姿見たくないの。
でも、ごめんなさい。
今日だけ許して。
あなたに溺れたままでいたいの。
2025.10.04
42
『風を感じて』
彼女は自然を愛する人だった。
穏やかな陽の光、小鳥のさえずり、草木の匂いと散る花弁、寄せる波とどこまでも広がる青空。
彼女はよくこう言った。
「私も自然の一部になりたい」
生命力に溢れた自然と同じように私もなりたいと。
そう言う彼女の瞳は自然と同じ力強さを秘めていた。
彼女が自然を感じるのは決まってガラスを1枚隔てた世界からだった。
ベッドの上から雲の流れを見つめ、水平線のきらめきを見つめるだけだった。
しばらくして起き上がることができなくなっても、彼女は自然を愛した。
触れられない自然を、息をすることでしか感じられない世界を愛していた。
「波の冷たさを、空の高さを、風の揺らぎを、いつか私も感じられるかな」
そう涙を流す彼女の手を握り、僕は約束した。
「大丈夫、約束するよ。僕が叶えてあげる」
嬉しそうに、寂しそうに、ふわりと笑う彼女はそのまま深い眠りについた。
そして僕は今、海岸へと続く階段を降りている。
約束を果たすため、彼女と手を繋いで降りていく。
潮の匂いの混ざった風が優しく頬を撫でる。
僕は彼女に微笑みかけてそっと手を離す。
彼女がふわりと宙に舞う。
さらさらと風と混ざって自然に溶ける。
僕はこの先ずっと
風を感じて、彼女を感じるのだろう。
2025.08.09
41