『1つだけ』
君が置いてったものを、僕は今でも大切に残している。ただ、忘れられないという、どうしようない未練なのだろうか。
君が僕の前から消えて、8年が経った。
この8年間、僕は欠かさず君を思い出したし、置いていったものを忘れたことはなかった。
君は遠くに行くと言った。
行先は教えてくれなかった。
僕がきっと着いてきてしまうからだろう。
君は僕よりも何枚も上手で、僕の想像の何歩も先を読んで動く人だった。
あぁ、ずるい人。
いや、僕が単純なだけなのかもしれない。
君は僕を呪ったんだ。
きっと無自覚なのだろうけれど、君は確かに僕を呪った。
愛してしまったんだから、仕方がない。
僕らの出会いは風の冷たい、雨の降った夜だった。
死んだように生きていた僕は、傘を差し出してくれた君にほいほいついて行った。
まるで捨てられた子犬のようだったと君は笑った。
君の行くところなら、どこにでもついて行った。
犬でもなんでも良かった。
あの日救われてから、君だけが僕の世界だった。
それなのに、こんなに大切なものを残して君はどこかへ行ってしまった。
君のおかげで確かに僕は1人でも生きていけるようになった。
でもそれは、君がいなくなっても生きていけるのと同義ではなかった。
僕に愛を教えたくせに
ただ1つだけ、唯一君が残していったもの。
僕の心に生まれたこの感情だけ、未だに行き場がなくて、君がいなくなった世界では、僕は呼吸さえも上手くできない。
2026.04.03
63
『エイプリルフール』
雨がしとしとと降り注いで、私たちを濡らす。
私の「待って」という声で、貴方は歩を止めた。
振り向かずに、背中を向けたまま貴方が立ち止まる。
貴方の背中は相変わらず、大きかった。
私はその背中が好きだった。
そっと手を伸ばして貴方の腕に触れる。
雨で濡れたからか、体温が酷く冷たかった。
貴方がゆっくりと振り返って、長い前髪の隙間から貴方の目が見える。
行かないで、なんて言えなかった。
その瞳が朧気で、とても静かだったから。
じっとりと濡れる。
服が肌に張り付いて、靴が染みる。
髪もメイクも、とっくに崩れてしまっている。
私の体を包むのは雨か、血か。
彼は私の表情を見て、一瞬目を見開く。
それでもすぐに逸らして前を向き、歩き始める。
あぁ、もう止められない。私じゃ彼を止められない。
優しい貴方はきっと、自分を責めてしまう。
ひとりで抱えてしまう。
私が死んだのは、貴方のせいじゃないのにね。
私の声は、本当はもう届かない。
貴方と私じゃ住む世界が変わってしまった。
ねぇ、お願い。
私を殺したあいつを殺して。
でも、お願い。
私の後を追わないで。
なんて嘘。
エイプリルフールは言葉を嘘にして、降り注ぐ雨で涙を嘘にしてくれる。
会いたい、なんて言えない。
小さな私の嘘はエイプリルフールの夜空に溶けて消えていった。
2026.04.01
62
『ハッピーエンド』
君が死んだのは、3月の終わりだった。
淡い空と桜の美しい季節で、君の生まれた季節。
そして、僕と君が出会った季節でもあった。
君が好きだと言ったこの世界を僕は嫌っていた。
見るもの全てがモノクロで、楽しくも美しくもない。酷くつまらない世界を僕は生きていた。
ある日、僕はいつものように散歩をしていた。
桜の花弁が風に乗って空を舞う。ぼんやりとそれを眺めていると人にぶつかった。
すみません、と振り向くと相手は自分より幾つか年下そうな少女だった。
少女はふわりと笑って頭を下げる。
その笑顔が桜のようだと思った。
馬鹿みたいだろう?こんな表現、小説の中でしか見たことがない。
それでも、そう思ってしまった。
少し薄桃色に色付いた頬と綺麗に挙げられた口角に、僕は一瞬にして目を奪われた。
幸せだった。僕の世界は君によって鮮やかに色付けられて、たくさんの刺激に溢れた。
幸せとは何か、そう問われたら迷わず僕は答える。君と過した日々のことだと。
付き合って3年目の春、君が自ら死を選んだ。
僕だけのハッピーエンドを探してと遺して、桜と共に儚く散ってしまった。
どうして、僕を連れて行ってくれなかったのか。
一言、一緒に来てと言ってくれたら僕は喜んで命を差し出したのに。
桜の花弁が舞う。
君が死んでから、僕の世界はモノクロに戻ってしまった。君の遺書をもう一度読む。
いっその事、全て僕のせいだと言ってくれたら楽になれるのに。
書かれたものがどこまでも優しくて、読み終わると僕はいつも立てなくなる。
でもさ、君も分かっているんだろう?
君のいない世界で僕は幸せになんてなれないことを。ハッピーエンドなんて、どこにもないことを。
今日こそ、僕は君に会いに逝く。
出会った時と同じように、また桜が咲いたよ。
これが僕の描くハッピーエンドなんだ。
桜の木の下から君が消えて、僕も消える。
誰もいなくなって、花弁だけがはらはらと散る。
2026.03.29
61
『見つめられると』
君を確かに愛していた。
満開の桜の下でお花見をして、夏祭りで金魚すくいに夢中になって。月の綺麗な夜に本を読んで、雪の降る日にかまくらを作った。
そのどれもに君がいた。
僕が愛した君がいた。
色んなところに旅行して、色んな景色を見て、美味しいものを食べたね。
ずっと僕は君の横顔を見ていた。
長い黒髪をポニーテールにして、動くたびに揺れるそれが愛おしかった。
ねぇ、二人きりの世界はどうだった?
僕はね、君と見る世界がこの世の何よりも美しく思えた。君の笑顔が何より好きだった。
え?違うって?
何が違うのさ、僕は幸せだったよ。喧嘩した時もあったけれど、それは君が僕を思ってのことだろう?
ちゃんと分かってるから、安心してよ。
僕は怒ってる君も好きだから。
あぁ、そんな目で見つめないでくれよ。
君の瞳は真っ黒で、すっと切れ長で、その瞳が大好きなんだ。君に見つめられてしまうと僕は弱いんだ。
ん?ごめんもう一度言ってくれる?
二人で出かけたことなんてないって?
何を言ってるの、全部二人きりの思い出でしょう?
忘れちゃった?
仕方ないな、もう一度殴れば思い出せるかな?
あーあー、そんな、変に避けようとするから顔に当たったじゃないか。せっかく可愛い顔をしてるんだからもったいないよ。
あぁ!それに、僕のために白いブラウスでオシャレをしてくれたのに汚れてしまってる。
うーん、でも君は赤いブラウスも良く似合うんだね。
ねぇ、見てごらん?桜が綺麗だよ。
ほら泣いてないでさ、また二人でお花見に行こうよ。笑ってる方が僕は好きだな。
去年は僕と君だけで、君は僕を見て楽しいねって言ってくれたよね。
え、言ってない?
嘘だ!嘘だよ。嘘嘘。そうやって嘘つくのはダメだよ。あ、もしかして、僕の気を引きたくて嘘をついているの?なーんだ、かわいいね。
あー、ほらまたそうやって上目遣いで僕を見つめて。その表情に弱いんだから、やめてよね。
そんなに可愛い顔で見つめられると、僕は君を壊す衝動を抑えられなくなっちゃう。
2026.03.28
60
『ところにより雨』
小説や映画の好みに、その人の性格が滲む。
だから私は貴方の好きな本が知りたかった。
隣のクラスへ遊びに行くと、貴方はいつも教室の隅で本を読んでいた。
黒縁メガネで目に少しかかる前髪と、しなやかな指先が綺麗な人だった。
明日に卒業式を控えた生徒たちはどこか落ち着きがなく、まるで少し大人になったかのような顔をしている。
少し開いた窓から桜の花びらが入り、カーテンが揺れる。貴方の前髪がさらりと揺れる。
ゆっくりと規則的に捲られるページが、春風によって狂わされた。
眩しそうに顔を上げ、淡い水色の空を見あげた貴方の横顔から目が離せなかった。
卒業式当日。私は彼を探した。
みんなが校庭で涙を流し、思い思いに写真を撮る。
彼はどこにもいなかった。私は廊下を走った。
最後くらい、全力で走ったていいでしょう?私の後ろ姿を先生たちは何も言わなかった。
校庭の端から端、校舎の隅から隅、全てを探し終えた頃には日が暮れかけていた。
君はいなかった。もう帰ってしまったのかもしれない。そもそも来なかったのかもしれない。
家も知らないし、進学先も知らない。
もっと早く話しかければよかった。
言えばよかった。何も言えなかった。
泣かないって決めいていたはずなのに、次から次へと溢れて止まない。
少し冷たい風が私の髪を揺らす。
桜の花びらが舞って、世界を包み込む。
はらはらと散って、私を隠す。
今日の天気は晴れ予報。ところにより桜の雨。
2026.03.24
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