カーテン
梅雨になってしばらくしてからだったと思う。
いつものように起きようとしたら体が動かなくなった。
だから仕事はやめた。一人暮らしもやめて、私は実家の自室、ベッドの上で休んで2週間になる。
そうしてから、彼とは連絡をとっていない。一切連絡を絶っている。
特に理由はない。強いていえば疲れたからなのだろう。
ただなんとなくムカついて、気持ち悪い気がして、触れたくない。それだけだ。
動画でも流そうと思った。
それしかできないし。
携帯を開くと、緑色のアプリに通知が溢れんばかりに溜まっていた。
一応見ておくか。
既読をつけないように、最新のメッセージだけチラ見する。
「横浜駅のパフェやばい」
と彼から。
聞いてもいないことをメッセージで送られている。
返信が欲しいのだろう。
彼の通知はあの日から20件溜まっている。
なんでこんなに自分勝手なんだろう。返事を考える身にもなって欲しい。
無性に腹が立ってきたので、メッセージを無視して動画サイトを開く。
大して面白くもない動画を流していると、やはりイライラしてきた。
彼は私を思ってメッセージを送ってきたのだろう。
私のことを思うならしばらく話しかけないで欲しい。
信頼しているなら、1ヶ月や1年。10年だって待てるはずだ。
人には人のペースがある。
いまはペースが合わない時なんだ。これまでは偶々波長があって。いや、違うな。これまでは波長を合わせていて、それで疲れてしまったのだ。
別に悪い人じゃない。
私みたいな先のない人を好きになる訳の分からなさははっきり言って異常だけど、それなりに大切には思ってくれているのだろう。
好きなブランドを覚えていてくれるし、心配もしてくれる。
最もいまはその心配が嫌だ。
まるで私に近づくために優しい人の仮面を被るおじさんみたいな、生々しい気持ち悪さを感じる。
彼は好きな方の人間だ。
嫌いになりたくないから、黙って待っていて欲しい。
そうしてベッドに寝転んだまま過ごしていると、
「夕飯は? 」
と一階から母が尋ねてきた。
えっ。もう夜なのか。
「いらない」
私は返事した。
「焼き鳥だよ」
「大丈夫。さっき食べた」
食べてないけど。
「あらそう? わかったわ。……それと、彼から手紙来てるわよ」
入らない。捨てて。と言いかけて口ごもる。
母に余計な心配はかけたくない。ただでさえどうしようもない私を気にかけてくれているのだから。
「いま行く」
重たい体を起こしてリビングに向かうと、母は心配そうに私を見た。
「ありがと」
と言って、私は母から手紙を受け取る。
「今どき珍しいわね。手紙なんて」
「そうだね」
「返事してるの」
「メッセージで返してる」
「……そう」
母は不思議そうな表情で頬に手を添えた。
これ以上詮索されたくない。
私は部屋に戻ると、テーブルに手紙を置いた。
封筒が2枚に重なる。
1枚目の手紙は見ていない。そして少なくとも見る予定は無い。
そんな気力ないから。
優しい言葉が綴られているのだろう。そんな言葉で私は救われないから無意味だけど。
そう思ってしまう冷たい自分に腹が立ってきた。
なんだか眠たくなってきた。
カーテンを閉めて布団に潜る。
「来週の水曜日で梅雨が明ける予報です。これからはお出かけの際には日差しに注意しましょう」
流しっぱなしだった動画がうるさいので、私は携帯の電源を落とした。
死神の暇つぶし
空はこんなにも澄んだ闇色をしている。
折角なのだからどこにでも遊びに行けばいいとは思うものの、私は地獄の一丁目にいた。
一丁目はいつも通りで、赤い暖簾が列になってぶら下がっていた。そのうちの一角にひっそりと提灯が二つぶら下がっている。
1週間ぶりに、私は提灯の間をくぐった。
「あっ。また来てくれたんすね」
腰にエプロンを巻いた死神は言った。
「そうですね。また来ました」
「あはは……。……そこのテーブルにどうぞ」
彼は乾いた笑いと作り笑顔で奥のテーブルを進める。
「そこでもいいですか」
私は一番席、いつ来たって盛り上がっているテーブルの隣を指す。
「えっ。……えー、まぁいいですよ」
「どうも」
席に腰を下ろすと、
「一般入試じゃないよ」
「えー、そんな風には見えないですよー。ガッツリ勉強してたんでしょー?」
「下から数えた方が早いくらいだ。指定校推薦でね」
「えー! ギャップー!」
なんて話し声を耳にした。
「……その、いつもここの席を選んでますけどいいんですか? 」
腰エプロンは私に尋ねる。
「いいとは? 」
「……いえ、いいならいいんです。注文はいつもので? 」
「はい」
「す”み”ま”せ”ん”。冷やしトマトくださーい」
隣席の長髪の死神は酒に焼けた声で注文する。するとエプロンはくるっとターンして、
「はいよっ! 」
とやけに調子よく答えて厨房へ戻った。
なるほど。エプロンは冷やしトマトの注文が好きらしい。
これから注文を頼む時は冷やしトマトを追加しよう。喜ぶらしいから。
テーブルの足についているメニューを手に取る。開いてみると、真っ赤な料理の写真が並べられている。その隣ページには、飲むと頭が痛くなる味の着いた水の名前が、これでもかというくらいに載っている。
「おにーさん飲んでるぅー? 」
ふわふわとグラスを浮かばせて、トマトを頼んだ死神は話しかけてきた。
「いいや」
「なにそれー。まーいいや。私にアイス奢ってよぉ」
「飲みすぎだぞ」
スーツを着た死神がそいつの首の黒いところを摘む。
「すみません後輩が」
「あぁ。全く構わない」
「……そうですか。……ほら、こっちで頭冷やせ」
「はーーーい」
グラスを浮かばせていた死神はすごすごと席に戻っていく。
願わくばその明るさを続けたまえと、私は心の中で祈ってみる。
私はコップに水を注いだ。
よし。準備は出来た。音楽を聴く、その準備が――
「ところで先輩。先輩って最近東京で仕事されてるんですよねー? 」
グラスを浮かせていた死神は、答えも聞かずに続ける。
「とーきょーの下の方なんですけどぉ、大釘公園って知ってます? 」
「地蔵があるとこか? 」
スーツは一口酒を飲んで尋ねた。
「そーです。先月からそこで仕事してるんですけど、全然人が死なないんですよぉ」
「あがったりだな」
「そーなんです。それでなんかあんじゃないかなって思ってて。先輩知りません? 」
「あの地蔵、天使のやつらが手をかけてるらしいぞ」
なるほど。地蔵には天使の加護があるらしい。しかしそれは天使の業務なのだろうか。
気になっていると、
「私の持ってるマップには天使の業務範囲外って書いてましたよ」
グラスを浮かばせていた死神は言った。
「勝手にやってんだ。アイツら」
「えー。それじゃ人の数の調整できないじゃないですか」
「まぁな」
「まぁなじゃないですよー。いい方法知らないんですか」
「さぁ。全然知らないな」
「あっ。それ知ってるやつですよね? 」
ぷかぷかグラスは今度は徳利を浮かべて、先輩なるもののグラスに注ぐ。
「袖下は受け取らないぞ」
「うそつけぇー」
「黄金色じゃないとな」
「キスもつけますよ」
「生前が男だったら嫌だからいらん」
先輩なるものはグラスをぐびっと仰ぐと、
「天使を殺るんだよ」
とどこか楽しそうな口調で言った。
「へいお待ち。いつものズーズー麺ね」
ガタンと音を立ながら、エプロンはズーズー麺を置いた。
今日の音楽はここまでか。
私は念力で麺を浮かせると、よく絡んだ汁とともに飲み込んだ。
春爛漫
目覚めると朝で、ゴミ捨て場だった。
私を避けるようにゴミ袋があって、起き上がると大の字ができていた。
粗大ゴミ置き場に保冷バッグが横たわっている。
どうしてここに?
身体中からアルコール臭がする。それと、燃やす予定のゴミの臭いも。
こめかみを押さえながら、昨日を思い出す。
眠い。
瞼を擦って左腕を見る。短針は午前7時を指していた。花見まではまだ2時間もある。それまでの間、肌寒さに身体を震わせながら、花弁の小雨を眺めなければならない。
私は花見の席取りを任された、5時起き6時到着のブルーシートマンだった。
まったく。
日曜日なのに出社するよりエネルギーを使った。こういうのは新入社員の仕事と、暗黙の了解かあったはずのなのだが。
しかし、仕方がない。昨日の夜。急にその暗黙の了解に従う後進達が不憫になって、「家から近い」と口走ってしまったのは私だからだ。
しかし。いやしかし、やはり許せん。それはそうとして、許せん。
だから私はカパッっと音を立てた。この音を聞くだけで今が夜な気がする。麦芽の匂いがして、飲み口に桜がついた。
「おっとっと」
沸き立つ泡に一人芝居して、喉に通した。
「その味がわかるようになったら大人だよ」
学生時代の、にへらにへらしていたミステリアスなショートカットを思い出した。
「ええ! じゃあ僕、子供ってことですか」
「そうだよ、僕」
「……いまから私にします」
「似合わないぞ、僕」
「それじゃどうすればいいんですか! 」
「どうもしなくていいよ、僕」
先輩はまたにへらにへら笑って、そうして卒業していった。
「僕は辞めちゃったの? 私」
なんでそう言ってくれなかったんですか。私は僕の方が良かったって、貴方は思っていたでしょうに。そう言ってくれれば、私はまた僕に戻ったのに。
お陰で私は、あれからずっと私ですよ。
ブルーシートの右端が折れていた。それを正そうと思った。
保冷バッグを持つ。と、重い。当たりを見回して、知り合いはいない。
秘密の扉を開けるみたいにバッグを開けて、350mlを取り出した。
1本分軽い。よし。ブルーシートを正すと、随分軽くなった気がするバッグをその上に置いた。
また、パカッっと音をさせた。
……その後は確か、一番最初に来た新人が空き缶を片付けてくれて、私は空を見ていた。あとはもう上を見たり下を見たりしながら、夜になった。
左腕を見る。朝6時で、今日は月曜日だ。
酒臭い欠伸をシャツの袖で隠す。
するとボタンの横にサクラの花びらがついていて、こりゃ豪華だなって、僕は笑った。
逆さま
高校入学してすぐ。部活・同好会説明会でのことだった。
「来なくていいよ、うちにはさ。サッカー部とか、吹奏楽部とか、華々しいとこあるから。そっち行った方がいいと思う」
束ねた黒髪を真っ直ぐ降ろした人だった。
彼女は他の部活を見に行けとでも言うように、ほっそりとした白い腕をふらふら振った。
何かを諦めたようにたまらなく冷たい言葉。目尻は緩んでいる。世相から外れた様はどこか魔術的な魅力を持っている。
だから僕は、宙ぶらりん同好会に入会を決意した。
その日の放課、文化棟最上階。廊下は使わない教材の入ったダンボールがところどころに山積みされていた。下階と違って人がいない。静謐が一体を支配している。
その最奥。世界の隅っこのような場所に、宙ぶらりん同好会の会室はあった。
「反対になってる……」
思わず僕は呟く。
『宙ぶらりん同好会』と書かれたプレートが、逆さに吊られている。
……思った通りの場所だ!
僕はドアを叩いた。
「どちら様ですか」
ガラガラとドアが開くと、あの時の先輩が眉をひそめて僕をじっとみてくる。やけにピンと背筋を張っている。
「新入生です!」
「……何しに来たの?」
「青春しに」
「馬鹿じゃないの」
先輩はぷいっと背を向けて中へ戻って行った。
「彩珠ちゃん! ……ごめんね。彼女、不器用なんだ」
代わりというように、男の先輩が出てきて告げた。
彩珠先輩。あの方は彩珠先輩というのか。放課なのに、セットしたばかりみたいに髪が整っていたが。
「大丈夫です」
僕は言った。
「小嶋(こじま)といいます。新入生だよね?」
「はい」
「来てくれて嬉しいよ。いや、ほんとに」
小嶋さんは胸をなで下ろし続ける。
「説明会でキツイこと言われなかった? 」
「いや全然」
「そりゃよかったよ。彩珠ちゃん、言葉が選びが悪いところあるから。……立ち話もなんだから、ささっ、中へ」
どうも。
会釈して中へ。辺りを見回す。ドア側にロッカーや棚が、窓側に長テーブルがある。彩珠先輩は椅子に座って窓外を眺めている。夕日が当たって眩しそうだ。
テーブル上のお菓子とマグカップが風景によく馴染んでいた。ここだけ時間がゆっくり進むような、そんな気がした。
「そこの椅子にどうぞ」
小嶋さんはやけに低姿勢に言った。
「ありがとうございます」
座るのを見計らって僕も座る。
「彩珠ちゃん。黄昏てないで」
「黄昏てる訳じゃありません」
「じゃあスカイフィッシュ?」
「スカイフィッシュ探してる訳でもありません!」
「照れてるんだって。説明会上手くやれなかったって言ってたから。来てくれて嬉しいよね」
小嶋さんは独り言のように言った。彩珠先輩はキッと睨みつけるが、小嶋先輩は意にも返さない。
「彩珠ちゃんの自業自得だよ。黄昏てることにしてあげようと思ったのに」
「そんな事頼んでません。それに、黄昏るなんて変な人だって思われるかもしれないじゃないですか! 」
「そうかなぁ?」
「そうですよ!」
聞いている限り、小嶋さんが3年生で、彩珠先輩が2年生なんだろう。
「ほら、彩珠ちゃん。新入生くんが暇そうにしてるから。何か話してあげないと」
小嶋さんは母のように言った。
「新入生くんって酷いですよ! 名前聞いてないんですか!」
「……うっかりしてた」
小嶋さんは頭の後ろを撫でながら言った。
「『うっかりしてた』じゃないですよ! 」
「ごめんごめん」
「『ごめんごめん』じゃないです! 」
彩珠さんは小嶋さんがわざと名前を聞いていないことに気がついていないらしい。
「……霧払 彩珠(きりばら いりす)。君、名前は?」
彩珠先輩は俯いて言った。
「夏寄 冬喜(なつより ふゆき)です」
「ふーん……」
彩珠先輩は鼻を鳴らすと、黄昏に目を向けた。眩しいのか、大きな目を細めている。白い肌は赤みを帯びていた。
「『ふーん……』じゃ駄目でしょ! 彩珠ちゃん、先輩なんだから」
小嶋さんは言った。
「新入生の自主性を育てようとしてるんです」
「早すぎるよ! というか一方的すぎるよ!」
2人のやり取りは楽しそうだ。あの時の直感は正しかった。ここならば僕の望む学生生活が送れる。
「彩珠先輩、でいいですか?」
「……なんでもいいよ」
彩珠先輩は居心地悪そうに告げる。
「じゃ、彩珠先輩って呼びますね!」
「……君はなんて呼べばいいの」
「なんでも構いませんよ」
「困るんだけど」
先輩だってそういったじゃないか!
「じゃ、夏寄で」
「……夏寄くんね」
彩珠先輩は俯いた。
「夏寄くん。僕のことは小嶋先輩と呼んでくれ」
「小嶋さんは小嶋さんがいいです」
「なんで!」
「小嶋さんっぽいから」
小嶋さんはガクッと肩を下ろした。
「夏寄、いいね」
彩珠先輩は意地悪に笑った。
「小嶋さんっぽいですよね」
「うん。小嶋さんっぽい」
「でもずっと小嶋さんって呼ぶのも他人行儀な気がしません? 」
「わかる。そういう時はコジコジって呼んでるよ」
彩珠先輩は口角を緩めて言った。
「コジコジですか」
「そそっ。昼休み遭遇した時に『コジコジ、ジュース奢って』みたいな」
遭遇って。小嶋先輩はエイリアンなのか? もちろん違うに決まってる。けど、……。
「黙って聞いてれば酷くないか。夏寄くんも笑って! 」
小嶋さんは全く調子を崩さない笑顔で言った。
「すみません小嶋さん」
「コジコジごめんね」
「まったく……」
小嶋さん全然怒ってない。むしろ喜んでるまである。何となくそんな気がしたから小嶋さん呼びにしたんだけども。
「ほら、夏寄くん。一応、活動内容を話すね」
「いいよコジコジ。夏寄なら入ってくれるよ」
「彩珠ちゃんの仕事でしょ! ほら、ちゃんと教えてあげて」
「……話すことなくないですか? 小嶋先輩、お手本見せてください」
「しょうがないなぁ……」
彩珠先輩は僕を見て眉を上げた。困ったことがあったら先輩呼びするといいらしい。
「じゃ、説明するね。宙ぶらりん同好会の活動目的は『逆さまから物事を見ること』です。噛み砕くと、世間と逆さまのことをしてより物事を深く見て、知り、考えることかな。例えば、皆が右を見たら左を見ます。青シャツが流行っていたら白シャツを着ます。私生活には取り入れなくていいよ。ここだけの話、形骸化してるから」
皆と逆さまのことするの大変ですもんね。とは言う気にならなかった。
「で、活動内容なんだけど。『会話より汲み取れるあらゆる推定を思考しつつ、積極的なコミニュケーションを取り社交性を身につける』です」
「つまり? 」
「『会話より汲み取れるあらゆる推定を思考しつつ、積極的なコミニュケーションを取り社交性を身につける』」
小嶋さんは笑顔で静止している。つまり、何もしない雑談部らしい。
僕は頷いた。
「理解が早くて助かるよ。活動日は毎週火・木・金曜日。お昼の4時から6時までって一応決まってます。基本もっと早くからいるけどね。学校外の活動があれば僕に言ってね」
「はい」
「それで、入会届だね」
小嶋さんは屈むと、もそもそと動いてバッグから取り出した。
「来たら渡す決まりになってます。入ってくれると嬉しいな。要らなかったら捨ててくれて構いません。連絡も要らないからね」
小嶋さんと彩珠先輩は僕から視線を逸らした。今日みたいなことをずっと続ける同好会なんだろう。U18とか、甲子園とか、目的がある新入生には暇で仕方ないだろう。
だから入会を断られてばかりなんだ。
僕はペンケースからボールペンを取り出した。
「説明会の時から入会を決めてました。いま書いてもいいですか?」
小嶋さんは口をすぼめた。
時計は17時を指している。地平線に落ちかけた夕日が、彩珠先輩の顔を真っ赤に染めた。
また会いましょう
地球から真っ直ぐ、アンドロメダ銀河を抜けてどこまでも。星間1号線に終わりは無い。日々膨張し続ける宇宙と同じスピードで道路は伸び続ける。
終わりない道路の先が見たくて、僕は5年前から軽星間走行車(うちゅうようバイク)に跨っている。
「馬鹿なことを考えるやつだな」
友達の言葉を思い出すには、これまで走った道を双眼鏡で4光年見返さないといけない。もうきっと会えないから、僕は前を見る。
道路を真っ直ぐ横切る道灯の列が見えた。
「交差点か」
星間101号線と唯一の交差点。
交差点には星間走行車のエネルギー補給ステーションがある。僕はエンジンを思い切り吹かして、ステーションに向かった。
「ゴショモウノ サービスハ ナンデスカ」
相変わらず無愛想なロボットだ。
各ステーションには全く同型の補給用ロボットが常駐している。わざと機械音声風に作っているらしく、聞く度なんだか笑ってしまう。
僕はいつも通り光子エネルギーの補充と、1ヶ月分の食料、休憩用にブルーベリージャムベーコンサンドを注文した。
「いい趣味してんじゃん」
背後から声がした。
「ロボ。私にもブルーベリージャムベーコンサンドを頂戴。ベーコンはカリカリにね」
「カシコマリマシタ」
ロボはカウンター奥へ颯爽と抜けていく。
振り向くと、そこには赤毛を肩まで伸ばしたラフな格好の女性がいた。
「誰?」
僕は尋ねた。
「ギンガノ・ワタリドリ」
嘘つけ。偽名だろ。
「キミは? 」
彼女は大袈裟に腕を振って聞いてきた。
「スーツケース・ノ・ワタリドリ」
当然、僕も偽名を名乗る。
「スーツケースって呼んでも?」
「勿論。ギンガノ、でいいよね?」
「もちろん!」
フフフ――…………。
ウフフ――…………。
なぜだか分からないけど、僕と彼女の目的は同じで、お互いそれを察した気がした。
「ギンガノは何処から?」
ギンガノに僕は尋ねる。
「森の星から」
「森の星?」
そう聞くと、彼女は人差し指を口の前に立てた。
「それもそうだね」
「分かってくれて嬉しい」
彼女は寂しげに呟く。
それは別に当たり前のことだった。
僕たち旅人は昔のことをあまり話さない。行き先が帰り道になってしまう気がするから。
「スーツケースはどこから?」
「水の星から」
「……それじゃ分かっちゃうよ?」
「まぁ、いいじゃんか」
「……それもそうだね」
僕と彼女にブルーベリージャムベーコンサンドが届いた。
「いただきます」
手を合わせて一礼する。
「丁寧だね? 」
上目遣いのギンガノ。
「今日は特別だから」
「カッコつけたい相手、いるんだ」
「まぁね」
ウフフ……
彼女も一礼した。どうやら彼女も特別で、カッコつけたい相手がいるらしかった。
「丁寧だね」
僕と彼女は同じタイミングでサンドにかぶりついた。
「なんだ。僕の真似?」
「私の真似でしょう?」
「かもしれないね」
「私も、君の真似な気がしてきた」
「適当言って」
「それがそうでも無いんだよ」
彼女は優しく微笑んだ。
……。
「ギンガノも宇宙の先が見たいの?」
「うん。101号線の先が見たいの」
「そっか」
「スーツケースも?」
「うん。1号線の先が見たくて」
僕は彼女を見なかった。
お互い妥協点は無さそうだ。
なら言えることなんてもうなさそうだ。一緒かはともかく、隣を見ながら目指したかったんだけど。
「ロボ。僕のサンド、ホイルで包んでくれないか」
「カシコマリマシタ」
ロボットは僕のサンドをあっという間に持っていく。ちょっとくらい待ってくれてもいいのに。
「私もそうしようと思ったのに。早いね」
「……」
「……ごめん。言い過ぎちゃった」
彼女は微笑んだ。もちろん、僕も。
「僕も言いすぎても?」
「うん」
「カササギ・ツカサ。本名。ギンガノも、良ければ教えてくれない?」
「……ナギウミ・カモメ」
彼女は視線を下ろして少し考えたあと、はにかんで告げた。
カモメ。あまり知りたくなかった女性。もう二度と会えないだろう彼女に僕は告げる。
「カモメ」
「……なに?」
「また交差点で」
「……うん。また交差点で」