湯船遊作

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11/11/2023, 3:34:01 AM

ススキ


ある夜の野原。
その日は風が強く、ちょっとやそっと話してもヒトには聞こえない。
だから、第1回ススキ会議は紛糾した。
「かの毛無し猿共は我らの身体を踏み折るのだ! これ以上、黙って同胞の死を見とることなどできぬ! よって、猿共が触れたら泡を吹くような毒を、我らは持つべきである!」
穂先が紫がかったスズキは言った。
彼は五体満足派と呼ばれるススキの過激派で、ヒト科ヒト属ヒトを毛無し猿と呼ぶ品のないやつだ。ファッションと称した紫ツンツンの穂先は、ヒトを怯えさせ近づかせないようにする武器らしい。
「そうは言うがね。そんな強毒を我らは内包し、かつ、これまで通りの生活ができるというのかね」
私は言った。
「不可能では無い、と考えています」
紫ツンツンの隣、やけに鋭い葉っぱのススキが言った。
「過去、私たちはセイタカアワダチソウ共の毒に犯され根を枯らしていました。しかし現在、私たちにとってかの毒は水をすするように取り込んでいます。よって、長期的観点から、強毒を取り込み、これまでの生活を遅れると考えます」
「ふざけるな!」
私の隣、まだ若い種子を身につけたススキは言った。
「アンタの言い分だと、ようは幾らかの俺たちは死んじまうんだろ! 」
「……ええ」
「ふざけるな! 俺やお前はともかく、じいさんや紫ツンツンだって倒れる可能性があるんだ! そんな不確定で危ない橋を、ススキ全体で渡ろうだなんて間違ってる! 」
……ふむ。
気持ちは嬉しいのだが、少し言葉が強すぎる。第1回ススキ会議は主張をぶつける場であるが、否定する場では無い。――まだ若いからであろうが。
案の定、
「ふむ。間違っている、とは?」
と鋭い葉っぱのススキは言いながら、ケイ酸を葉先でふしゅふしゅとたぎらせている。
「まぁまて」
私は言った。
「毒を持つことはヒトへの対応策の一つとして効果的だろう。だから、毒を持った後、ヒトがどんなことを考えるのか、考えようじゃないか」
「……ええ。それもそうですね」
鋭い葉っぱのススキは言った。
「それじゃ!」
若い種子を身につけたススキが言った。
「君の気持ちは本当に嬉しいのだよ。だけどね、私たちはもしかしたら、ヒトの手によって絶滅するかもしれないんだ。その危機に耐えるための毒で死んでしまうのなら、私は構わないのさ」
「……」
「それで、どうかね?」
「はい。人に対する毒を持つことで、人に刈り取られる可能性があります」
鋭い葉っぱのススキがそう言った瞬間、
「どういうことだ!」
と紫ツンツンは言った。
「触れられないための毒があるのにどうやって刈り取られるというのだ! 」
「彼らは道具を使います。鋭い刃は彼らの手を汚さずに、私たちの身体を、首を、いとも容易く断ち切るのです」
その言葉に議会の誰もが絶句した。
毒を持ってなお……。
勿論ヒトが道具を使うことを、知らなかった訳では無い。
どう、どうすれば……。
満月が頂点に達した。
「ここまで! 本日のススキ会議は終了! 続きは次の月が満ちるとき。以上。解散! 」
これまでじぃっと黙っていた背のいちばん長い議長ススキが言った。
すると風はふと止んで、荒野はすっかり静かになった。

11/8/2023, 3:16:57 PM

意味がないこと

僕は久しぶりに、鳥の鳴いているタバコ屋へ行った。
店主のお爺さんは相変わらず店先に立って居ない。呼び鈴を鳴らさねば裏から出てこないのだ。きっとドラマでも見て時間を潰しているんだろう。
でもそのお陰で、僕はじっくり銘柄を見られる。黄色いラクダ。引かれた矢。オリーブに鳩。白地に北斗七星。
ちょっと前までタバコにうるさいヤツがいて、このタバコ屋に通っていた。

「『あばばばば』って吸いたくてね」
タバコ屋に向かう道中、そいつはいつもの如く訳の分からないことを言い始めた。
「何の話?」
僕は眉をひそめて聞いた。
「おいおい。タバコ屋の前で『あばばばば』って言ったらバットに決まってるじゃないか」
「バット?」
「ゴールデンバットだよ」
全く彼はどこから仕入れてくるのかよく分からない雑学の蒐集家で、その日はゴールデンバットなるタバコの話をしているらしい。
「中原中也って授業でやったろう」
「聞いたことはあるような……」
「有名人だぜ? 杜甫、李白、白居易が唐の三大詩人なら、中也は昭和の詩を一手に担った詩の聖人さ」
自慢げに彼は話した。
こいつはいつもこんな調子だ。僕の知る有名人はテレビでコミカルに話す人達だ。教科書の人物じゃない。でも彼はその逆だ。俳優とかアイドルとか、そういう人たちの名前を一切知らない。
「中也の慣れ親しんだそのゴールデンバットを、僕は吸いたいんだよ」
「ふーん」
なにがそのだよ。どうせ憧れてるんだろう。彼はカッコつけ屋だから言わないだろうけど。
話を聞いていたのか、店の奥からお爺さんがのそのそやってきた。
「ゴールデンバットは無いねぇ」
「そんな……」
彼は肩を落とした。そんな落胆ある?
それっぽいことをしてみて、強がっているらしい。ゴールデンバットを吸って見たかったんだと思う。
「……。それじゃ、ピース缶ください」
「丸缶ね。はいよ」
彼はピース缶を受け取った。
どこか表情が暗い。よっぽどだったみたいだ。
「タバコなのに缶に入ってるんだ」
「うん。内蓋があってね、開けるとほんのり上品なバニラの匂いがするんだよ」
「ふーん」
「かの三島由紀夫が愛したタバコでね……」
そんなやり取りを、僕たちは毎週やっていた。

チリンチリン――
僕は呼び鈴を鳴らした。
「お客さん久しぶりだね。あれっ? いつもの元気な人はいないのかい?」
お爺さんは相変わらず、寝癖のまま奥からやってきた。
「ええ。オンライン出社ってやつに切り替わったらしくて、毎月引っ越しては色んなところで仕事をしてるんです」
「へぇ……。全然想像つかない仕事だね」
「ライターをやってるんです。ゲームかなんかのストーリーを作ってるらしくて」
「作家さんか!」
お爺さんは頭を降った。小説家か何かと勘違いしてるのかな? まぁ、同じようなもんだろうけど。
「物知りだったからねぇ。盗み聞きするのが趣味だったんだよ」
お爺さんはニカッと笑った。
「ごめんね。久しぶりに来てくれたからつい話しちゃったよ。それで、何を買うんだい? 」
「缶ピースください」
群青にオリーブと鳩が描かれた缶を差した。
「おっ。ヤニ食いだねぇ」
「これにハマっちゃって。全部あいつのせいなんですよ」
ポケットから三島由紀夫の文庫本を出して見せると、お爺さんはまた、ニカッと笑った。

11/7/2023, 3:56:05 PM

あなたとわたし

ザーザー降りの雨が止みました。
「雨が止むと虹が見えるんだよ」
って、おばあちゃんが言ってたので、ぼくは窓の外を見ました。
「わぁ……」
真っ暗だった空の隙間から大きな虹が降りていました。いつもお母さんが連れていってくれる公園の方に降りています。
「おかあさーん」
呼んでも返事はありません。
そうだ!
さっき、
「夜ご飯を買いに行ってくるから、いい子にしてるのよ」
って言ってたんだ。
なんとなく、ぼくはキョロキョロ周りを見ました。
「よしっ」
ぼくは黄色のレインコートと長靴を履いて、スコップを持って家を出ました。
「やりたいことがあったらお母さんに話しなさい」
って約束を破るみたいで、なんだかドキドキしました。怒られるかもしれません。でもどうしても、虹の根っこが見たいんです。
マンホールがいつもより大きく見えます。ブロックの壁が高く見えます。ネコのしっぽが太く見えます。
ひとりで外に出たのは初めてです。
いつもお母さんやお父さんが一緒にいる時は全然そんなことないのに。
怖くて、ぼくは公園に走りました。
公園につくと、虹はありません。
「どうして?」
公園の端から端までを見て回ります。雨でドロドロの土が長靴にくっつきました。
それでも虹はありません。少し雨も降ってきました。なんだか寂しくなってきて、ぼくは栗の木の下によりかかりました。
「はじめまして」
「だれ? いつからいたの?」
隣を見ると、知らない女の子がいました。
「さっきから。そんなこと、どうでもいいでしょ」
そんな気もしてきました。
「なんでスコップ持ってるの?」
女の子は言いました。
「虹の根っこがみたくて」
「ふーん」
女の子はつま先で地面を蹴りました。
「なんで泥だらけなの?」
「虹がなくなっちゃって。探してたから」
「ふーん」
「なんで泣いてるの?」
「泣いてなんかないよ!」
そう言うと、ぼくはなんだか寂しくなって泣いてしまいました。
「大丈夫。もうすぐ雨が止むから」
「雨じゃないよ!」
「大丈夫。そのうち空が晴れるから」
「空でもないよ!」
「大丈夫。ひとりじゃないでしょ」
「……うん」
同じくらいの歳に見えるのに、ぼくよりずっと落ち着いていて、なんだか安心してきました。
「スコップ貸して」
女の子は言いました。
「いいけど、なにするの?」
「栗、埋めるの」
「埋めるとどうなるの?」
「木が生えるの」
それならぼくも知っています。図鑑をたくさん読んだから。
「僕も一緒に埋めてもいい?」
「うん」
「やった!」
僕は女の子と一緒に栗を埋めました。
気がつくと、空は晴れていました。僕はすっかり栗の木の下で寝ていたようです。
土は乾いていて、長靴の泥を払うと落ちました。
女の子はいません。
あれ? 夢だったのかな。そう思ったけど、でも違いました。
だって、目の前にスコップが置いてあって、その横には
「寝ちゃうなんて酷いよ。また遊んでね」
と土を削って書かれていたから。

11/6/2023, 10:55:08 AM

暗い部屋で布団に籠って一日を終えればいい気がしていた。
そんな何も考えたくない日だった。
家の電話が鳴った。今日は父も母もいない。
……仕方ない。
布団を身にまといながら、受話器をとった。
「もしもし、雨後(あめあと)です。坂月(さかつき)さんのご自宅で間違いありませんか? 」
「雨後か」
「坂月さんでしたか! 」
「あぁ」
雨後は同級生だ。同じ部活に所属しているが、昨日の一件
は知らない。
「寝起きですか?」
「いや」
「そうでしたか……。いつもと調子が違う気がして。……疲れてるみたいですけど、大丈夫ですか?」
「あぁ」
「……そうですか」
雨後の声には重たい息が混じっていた。
「それでですね、えっと、その。コーヒーを飲んでみたいと思ってまして……」
恥ずかしがりやな雨後は話が長い。適当に相槌を打ちながら、俺は窓から空を見た。
空は暗く、重たい。いつ晴れるか知れない雲に覆われている。どうしようもない閉塞感が空をいっぱいにしていた。
受話器から雷の音が聞こえた。
「きゃっっっ」
「大丈夫か」
「えっ? 」
「大丈夫か、って聞いたんだ」
「えっ、あっ、そ、その……。はい……」
雨後は黙り込んでしまった。
雷に当たった、ということは無いだろうが。
雨後の家の方を見る。雷が落ちたからか分からないが、青空が雲間から見えていた。
「雨後」
「は、はい。なんでしょう」
「何か話してくれ」
「そ、そうですね。……えっと、そうだ。グッピーに餌をあげました! 」
「グッピー?」
「はい。グッピーです」
……。
「いま笑いました?」
「あぁ。間抜けな響きだなって」
「グッピーが、ですか」
「あぁ」
「酷いですよ! 」
「そんな名前をつけたやつに言ってやれ」
受話器から雨後の抗議の声が聞こえた。適当に受け流して、時計を見る。まだ12時か。
「雨後」
「何ですか?」
「今から空いてるか」
「空いてますよ」
「コーヒー飲まないか」
「えっ……! いいんですか!」
雨後は大きな声で言った。
駅前でコーヒー飲むだけなのに、そんなに喜ぶのか。全く。意味もなく壁を見た。
「駅前13時な」
「はい!」
受話器を置いた。
そうとなれば準備しなければならない。
駅前まで布団をズルズル引っ張っていけない。リビングに投げ捨てる。パジャマのまま会う訳にはいかない。寝癖もついたままだ。どれもこれも直して、外行の服に着替えた。
ポケットに適当な文庫本と財布を詰める。携帯を持たないいつものスタイル。
よし、行くか。
玄関の扉を開けた。
いくらか雨は降っているものの、雲間から青空が覗いている。通り雨だったのかもしれない。この調子なら、駅前に着く頃にはすっかり晴れているだろう。
飾りげのないコウモリ傘を差す。晴れるかもしれないのに重たすぎるか? まぁ、どうでもいいか。
家の軒先から垂れ落ちる水の音がよく聞こえる雨の中、俺は駅に向かった。

11/1/2023, 2:29:04 AM

理想郷

「これは桃ではない! 」
見慣れない白服を着た人は、木にぶら下がっているモモの実を指して言った。
モモの実は握りこぶし大で、表面には産毛が生えている。果実の頂点はきゅっと窪んでいて、その中心から垂れ下がるように割れ目がある。
「いいや。これはモモだね! 」
私は腕をぎゅっと組んで言った。
「根拠はなんだね根拠は! 」
「先月この樹に白い花が咲いたんだ。そしていま、ピンクな実をつけている! 貴方には分からないだろうがね! 」
私はモモを栽培して50年になる。モモの特性や植生はお手の物であり、絶対の自信がある。
「白い花が咲いてピンクの実をつければ桃だっていうのか!」
「なにを、それだけじゃないぞ! 産毛が生えているし、割れ目もある! 見ればわかると思ってあえて言わなかったんだ」
「それじゃ白い花が咲いてピンクの実をつけて、産毛が生えていて割れ目があったら桃だって言うんだな! 」
「あぁ。そう言ってるんだ」
「横暴な桃農家め! 」
「なんだとこのわからず屋! 」
これがモモでないならなんだって言うんだ。
まさか「食べるには少し小さいからモモとは呼べない」なんてくだらないことを言うんじゃないだろうな。
「……そんなに気になるなら、もいで齧って見るといい。モモの味がするはずだから」
「それじゃダメなんだ! 」
「どうして」
「仮に桃の味がしたとして証明する手段がない! 」
証明?
なぜそんなことをする必要が……。
……!!
私は先日届いた電報を思い出した。
「……もしや、生物学者の百木(ももき)先生でしたか!」
「そうだとも」
電文には、生物学者の百木という人がモモの樹を調査するとの事が記されていた。
百木は遠い島国からニ日以上かけて、飛行機なる羽の生えた鉄舟で飛んできたらしい。
「大変失礼致しました。百木先生だとは知らず……」
私は頭を下げた。
「それはいい。それよりもこの実は、この地域では桃なんだな」
百木はモモの樹を指さして言った。
「はい」
「君の常識を疑うような真似をしてすまなかった。私は本当に、このような果物を見たことがなかったのだ」
「と、いいますと?」
「私の知っている桃はもっと白っぽいピンクをしている。品種によっては濃いピンクのものもあるが、こんな蛍光色めいたものは見たことがなかった。それに、この樹の樹皮にはトゲが生えている。私の知る限り、桃の木に棘は生えていない」
百木は言いながら、果実を指したり棘をよく見たりして言った。
なるほど。そういうことだったのか。
島国と私たちの国が国交を持ったのは、つい最近である。正確に言えば、島国だけじゃなくて、世界と、なのだが。
つまり、常識が違うのだ。
聞いた話では、大海原を超えた先に住む彼らの地には、砂漠なる一面砂浜の死の土地があり、雪なる白い綿が降ったりするらしい。
年中暖かく、沢山の樹々に恵まれているこの地とは、常識が全く違うのだろう。
「その、君たちはその実を食べているのか? 」
百木先生は訝しげにおっしゃった。
「はい。まだ少し小さいですが、これくらいの実を食べることもあります」
「さっきは証明なんて言ったがね、私は君たちの食性にも興味があるんだ」
「はぁ」
「これを食べてもいいかな? 」
百木はモモを指して言った。
「ええ。是非をお食べになってください! とても美味しいですから」
私はそう言うと、モモの実を二つをもいだ。片方にかぶりつく。ジュワッと優しい味が広がって、美味しい。
「私たちはこう食べます。皮にも栄養があるし、特に裏地に蜜が乗っていて美味しい。どうぞ」
百木にモモの実を渡した。
「頂こう。……うん、……うん。美味いな」
「本当ですか! よかった」
「美味いが、これは桃では――」
直後、百木は倒れた。
口から泡を吹いている。
「先生、先生! どうしたんですか! 大丈夫ですか! 」
背をトントン叩いてみる。が、呼吸はどんどん浅くなって、やがて止まった。
「先生!!! 」
体はもうピクリとも動かない。死んだらしい。
私は背中の羽をパタパタ動かして空を飛んだ。
死体は土に帰ってやがて養分となり、モモの樹の栄養となって実になるだろう。果実をかじる時、私は先生のことを思い出しますね。
しばらく空を飛んでいると、電文の一部を思い出した。
「モモは人には猛毒である。案内する翼人は、人がモモを食べないよう十分注意すべし」

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