理想郷
「これは桃ではない! 」
見慣れない白服を着た人は、木にぶら下がっているモモの実を指して言った。
モモの実は握りこぶし大で、表面には産毛が生えている。果実の頂点はきゅっと窪んでいて、その中心から垂れ下がるように割れ目がある。
「いいや。これはモモだね! 」
私は腕をぎゅっと組んで言った。
「根拠はなんだね根拠は! 」
「先月この樹に白い花が咲いたんだ。そしていま、ピンクな実をつけている! 貴方には分からないだろうがね! 」
私はモモを栽培している。モモの特性や植生はお手の物であり、絶対の自信がある。
「白い花が咲いてピンクの実をつければ桃だっていうのか!」
「なにを、それだけじゃないぞ! 産毛が生えているし、割れ目もある! 見ればわかると思ってあえて言わなかったんだ」
「それじゃ白い花が咲いてピンクの実をつけて、産毛が生えていて割れ目があったら桃だって言うんだな! 」
「あぁ。そう言ってるんだ」
「横暴な桃農家め! 」
「なんだとこのわからず屋! 」
これがモモでないならなんだって言うんだ。
まさか「食べるには少し小さいからモモとは呼べない」なんてくだらないことを言うんじゃないだろうな。
「……そんなに気になるなら、もいで齧って見るといい。モモの味がするはずだから」
「それじゃダメなんだ! 」
「どうして」
「仮に桃の味がしたとして証明する手段がない! 」
証明?
なぜそんなことをする必要が……。
……!!
私は先日届いた電報を思い出した。
「……もしや、生物学者の百木(ももき)先生でしたか!」
「そうだとも」
電文には、生物学者の百木という人がモモの樹を調査するとの事が記されていた。
百木は遠い島国からニ日以上かけて、飛行機なるもので飛んできたらしい。
「大変失礼致しました。百木先生だとは知らず……」
「それはいい。それよりもこの実は、この地域では桃なんだな」
「はい」
「君の常識を疑うような真似をしてすまなかった。私は本当に、このような果物を見たことがなかったのだ」
「と、いいますと?」
「私の知っている桃はもっと白っぽいピンクをしている。品種によっては濃いピンクのものもあるが、こんな蛍光色めいたものは見たことがなかった。それに、この樹の樹皮にはトゲが生えている。私の知る限り、桃の木に棘は生えていない」
なるほど。そういうことだったのか。
島国と私たちの国が国交を持ったのは、つい最近である。正確に言えば、島国だけじゃなくて、世界と、なのだが。
つまり、常識が違うのだ。
聞いた話では、大海原を超えた先に住む彼らの地には、砂漠なる死の土地があり、雪なる白い綿のようなものが降ったりするらしい。
年中暖かく、沢山の植物に恵まれているこの地とは、やはり常識が全く違うのだろう。
「その、君たちはその実を食べているのか? 」
百木先生はおっしゃった。
「はい。まだ少し小さいですが、これくらいの実を食べることもあります」
「さっきは証明なんて言ったがね、私は君たちの食性にも興味があるんだ」
「はぁ」
「これを食べてもいいかな? 」
百木はモモを指して言った。
「ええ。是非をお食べになってください! とても美味しいですから」
私はそう言うと、モモの実を二つもいだ。
片方にかぶりつく。
ジュワッと優しい味が広がって、美味しい。
「私たちはこう食べてます。どうぞ」
百木にモモの実を渡した。
「頂こう。……うん、……うん。美味いな」
「本当ですか! よかった」
「美味いが、これは桃では――」
直後、百木は倒れた。
口から泡を吹いている。
「先生、先生! どうしたんですか! 大丈夫ですか! 」
背をトントン叩いてみる。が、呼吸はどんどん浅くなって、やがて止まった。
「先生!!! 」
体はもうピクリとも動かない。死んだらしい。
私は背中の羽をパタパタ動かして空を飛んだ。
死体は土に帰ってやがて養分となり、モモの樹の栄養となって実になるだろう。その時、私は先生のことを思い出しますね。
しばらく空を飛んでいると、電文の一部を思い出した。
「モモは人には猛毒である。案内する翼人は、人がモモを食べないよう十分注意すべし」
11/1/2023, 2:29:04 AM