湯船遊作

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逆さま

高校入学してすぐ。部活・同好会説明会でのことだった。
「来なくていいよ、うちにはさ。サッカー部とか、吹奏楽部とか、華々しいとこあるから。そっち行った方がいいと思う」
束ねた黒髪を真っ直ぐ降ろした人だった。
彼女は他の部活を見に行けとでも言うように、ほっそりとした白い腕をふらふら振った。
自分を諦めたようにたまらなく冷たい言葉なのに、目尻は緩んでいる。世相から外れた様はどこか魔術的な魅力を持っている。
僕は宙ぶらりん同好会に入会を決意した。

その日の放課、文化棟最上階。廊下は使わない教材の入ったダンボールがところどころに山積みされていた。下階と違って人がいない。静謐が一体を支配している。
その最奥。世界の隅っこのような場所に、宙ぶらりん同好会の会室はあった。
「反対になってる……」
『宙ぶらりん同好会』と書かれたプレートが、逆さに吊られている。
僕はドアを叩いた。
「どちら様ですか」
ドアが開いた。あの時の先輩が眉をひそめて僕をじっとみてくる。背筋をピンと張っていた。
「新入生です!」
「……何しに来たの?」
「青春しに」
「馬鹿じゃないの」
先輩はぷいっと背を向けて中へ戻って行く。レモンのような匂いがほんのり漂った。
「彩珠ちゃん! ……ごめんね。彼女、不器用なんだ」
代わりというように、男の先輩が出てきて言った。彩珠先輩っていうのか。放課なのに、セットしたばっかりみたいに整った髪をしていた。
「大丈夫です」
僕は言った。
「小嶋(こじま)といいます。新入生だよね?」
「はい」
「来てくれて嬉しいよ。いや、ほんとに」
小嶋さんは胸をなでおろした。
「説明会でキツイこと言われなかった? 」
「いや全然」
「そりゃよかったよ。……立ち話もなんだから、ささっ、中へ」
会釈して中へ。辺りを見回す。ドア側にロッカーや棚が、窓側に長テーブルがある。彩珠先輩は椅子に座って窓外を眺めている。夕日が当たって眩しそうだ。
テーブル上のお菓子とマグカップが風景によく馴染んでいた。ここだけ時間がゆっくり進むような、そんな気がした。
「そこの椅子にどうぞ」
「ありがとうございます」
小嶋さんが座るのを見計らって僕も座った。
「彩珠ちゃん。黄昏てないで」
「黄昏てる訳じゃありません」
「じゃあスカイフィッシュ?」
「スカイフィッシュ探してる訳でもありません!」
「照れてるんだって。説明会上手くやれなかったって言ってたから。来てくれて嬉しいよね」
小嶋さんは独り言のように言った。彩珠先輩はキッと小嶋さんを睨んだ。
「彩珠ちゃんの自業自得だよ。黄昏てることにしてあげようと思ったのに」
「そんな事頼んでません。それに、黄昏るなんて変な人だって思われるかもしれないじゃないですか! 」
「そうかなぁ?」
「そうですよ!」
聞いている限り、小嶋さんが3年生で、彩珠先輩が2年生なんだろう。
「ほら、彩珠ちゃん。新入生くんが暇そうにしてるから。何か話してあげないと」
「新入生くんって酷いですよ! 名前聞いてないんですか!」
「……うっかりしてた」
小嶋さんは頭の後ろを撫でながら言った。
「『うっかりしてた』じゃないですよ! 」
「ごめんごめん」
「『ごめんごめん』じゃないです! 」
彩珠さんは小嶋さんがわざと名前を聞いていないことに気がついていないらしい。
「……霧払 彩珠(きりばら いりす)。君、名前は?」
彩珠先輩は俯いて言った。
「夏寄 冬喜(なつより ふゆき)です」
「ふーん……」
彩珠先輩は鼻を鳴らすと、黄昏に目を向けた。眩しいのか、大きな目を細めている。白い肌は赤みを帯びていた。
「『ふーん……』じゃ駄目でしょ! 彩珠ちゃん、先輩なんだから」
小嶋さんは言った。
「新入生の自主性を育てようとしてるんです」
「早すぎるよ! というか一方的すぎるよ!」
2人のやり取りは楽しそうだ。あの時の直感は正しかった。ここならば僕の望む学生生活が送れる。
「彩珠先輩、でいいですか?」
「……なんでもいいよ」
「じゃ、彩珠先輩って呼びますね!」
「……君はなんて呼べばいいの」
「なんでも構いませんよ」
「困るんだけど」
「じゃ、夏寄で」
「……夏寄くんね」
彩珠先輩は俯いた。
「夏寄くん。僕のことは小嶋先輩と呼んでくれ」
「小嶋さんは小嶋さんがいいです」
「なんで!」
「小嶋さんっぽいから」
小嶋さんはガクッと肩を下ろした。
「夏寄、いいね」
彩珠先輩は意地悪に笑った。
「小嶋さんっぽいですよね」
「うん。小嶋さんっぽい」
「でもずっと小嶋さんって呼ぶのも他人行儀な気がしません? 」
「わかる。そういう時はコジコジって呼んでるよ」
「コジコジですか」
「そそっ。昼休み遭遇した時に『コジコジ、ジュース奢って』みたいな」
遭遇って。エイリアン見つけたみたいな言い方じゃないか。小嶋さんには悪いけど、ふ、ふふっ。
「黙って聞いてれば酷くないか」
小嶋さんは全く調子を崩さない笑顔で言った。
「すみません小嶋さん」
「コジコジごめんね」
「まったく……」
小嶋さん全然怒ってない。むしろ喜んでるまである。何となくそんな気がしたから小嶋さん呼びにしたんだけども。
「ほら、夏寄くん。一応、活動内容を話すね」
「いいよコジコジ。夏寄なら入ってくれるよ」
「彩珠ちゃんの仕事でしょ! ほら、ちゃんと教えてあげて」
「……話すことなくないですか? 小嶋先輩、お手本見せてください」
「しょうがないなぁ……」
彩珠先輩は僕を見て眉を上げた。困ったことがあったら先輩呼びするといいらしい。
「じゃ、説明するね。宙ぶらりん同好会の活動目的は『逆さまから物事を見ること』です。噛み砕くと、世間と逆さまのことをしてより物事を深く見て、知り、考えることかな。例えば、皆が右を見たら左を見ます。青シャツが流行っていたら白シャツを着ます。私生活には取り入れなくていいよ。ここだけの話、形骸化してるから」
皆と逆さまのことするの大変ですもんね。とは言う気にならなかった。
「で、活動内容なんだけど。『会話より汲み取れるあらゆる推定を思考しつつ、積極的なコミニュケーションを取り社交性を身につける』です」
カラスが鳴いた。
「つまり? 」
「『会話より汲み取れるあらゆる推定を思考しつつ、積極的なコミニュケーションを取り社交性を身につける』」
小嶋さんは笑顔で静止している。つまり、そういうことらしい。僕は頷いた。
「理解が早くて助かるよ。活動日は毎週火・木・金曜日。夕方5時から7時までって一応決まってます。基本もっと早くからいるけどね。学校外の活動があれば僕に言ってね」
「はい」
「それで、入会届だね」
小嶋さんは屈むと、もそもそと動いてバッグから取り出した。
「来たら渡す決まりになってます。入ってくれると嬉しいな。要らなかったら捨ててくれて構いません。連絡も要らないからね」
小嶋さんと彩珠先輩は僕から視線を逸らした。今日みたいな会話をずっと続ける同好会なんだろう。だから入会を断られてばかりなんだ。
僕はペンケースからボールペンを取り出した。
「説明会の時から入会を決めてました。いま書いてもいいですか?」
小嶋さんは口をすぼめた。
時計は18時を指している。地平線に落ちかけた夕日が、彩珠先輩の顔を真っ赤に染めた。

12/7/2023, 3:19:04 AM