好きじゃないのに
好きじゃないからお別れをした。
一緒にいるのが苦しくなった。毎日のように別れたいと願った。別れるほかにお互いが幸せでいられる道が分からなかった。
別れを切り出したとき彼は自嘲した。その瞬間彼にとって私は敵になったのだろう。彼には私が見えていないのだろう。別に構わなかった。たった今私たちは赤の他人になったのだから。どんなに嫌われようが、今後一切関わらなければ済む話だ。
それなのに、帰るときになって躊躇ってしまった。どうして。これまでは帰る瞬間が一番幸せだったのに。
なるべく心を殺して歩いた。彼に背を向けて遠ざかる。心の声を聞いたら踵を返してしまいそうで、無心になって歩を進めた。
十字路を曲がって彼の視線から開放されたとき、途端に涙が溢れてきた。どうして。好きじゃないのに。好きじゃないはずなのに。
化粧が涙に流される中、私は歩みを止めなかった。歩みを止めたら動けなくなる。涙に頬を濡らして、人混みの中を一人歩いていく。
本当にこれでよかったのだろうか。そんな疑問が頭の中から消えてくれなかった。もう、好きじゃないのに。
ようやく落ち着いてスマホを確認した頃には、連絡先はすでに彼にブロックされていて、これで私たちは晴れて他人になった。なのに私の心は晴れないまま、何も見えなくなった未来を見据えて一つ大きなため息がこぼれる。
本当に好きじゃなかったのだろうか。でも、きっとこれでよかったのだ。そう思えなければいけない。全く動かない心と涙を抱えて、私はもう一度深くため息をついた。
列車に乗って
27世紀が終わった。
年明けは真っ暗な部屋の中で一人迎えた。簡単に身支度を整えて、まだ外が暗いうちに無機質なホテルをあとにした。そうして向かったのは最寄りの駅である。凍える寒さの中駅の周りを歩く人たちは、自分と同じ目的でここにいたのだろう。つまり、今日で営業運転を終了するこの列車に乗るためだ。
心地よい揺れに身を任せ、静かな雑音を聞きながら、真っ白に染まった外の世界を見る。真っ白なのに真っ暗で、果てしない闇を感じる。そっと窓に頬をつけてみると火傷しそうなほど冷たかった。
「――本日で営業運転を終了します」
いつも冷静なアナウンスに感情がこもっている。この列車は今日で営業運転が終了し、そして今日をもって、この世界を走る列車はすべて廃車となる。
ここ千年で地球の気候は極めて異常な状態になった。三百年ほど前まではみんな外に出て生活していたそうだが、今はほとんど外に出られなくなった。夏は50℃を超える日も珍しくなく、冬は今日のようにマイナス50℃近くまで寒くなることもある。下手に外に出たら死んでしまう。そのような生活の変化に伴って列車の需要は著しく落ち、どんどん数を減らしていった。
「――皆様とこのような――28世紀に――」
涙ながらに話す彼からは悔しさが滲み出ていた。残念ながらスピーカーが少し離れているのと、涙声なのとであまり内容が聞き取れない。正直彼の言葉には関心がないのでまた窓の外を見たが、丁度トンネルに入ってしまって黒しか見えなくなった。
「――遠くの街――の手段とし――今日も――」
今日の行き先はおよそ400キロメートル先の元観光地である。400キロメートル先の街を「遠く」などと言うのは昔の考えだ。今自分たちがいるのはもはや10年後に地球全体の統一化が図られている時代で、おそらくいずれは国という概念さえなくなる。距離の概念は地球規模になる。400キロメートル先など目と鼻の先だ。
……いや、距離という概念も消えていくのだろうか。
近年、人生データ化が話題になっている。なんでも、人間のデータをすべてコンピュータに落とし込んで、そこで生活させるというのだ。異常気象の歯止めが効かないのでなるべく家から出ないようにと検討した結果だ。仕事も学校も人付き合いもすべてコンピュータ内で完結する。そういう時代なのだ。
嫌気が差す。だからここに来た。今後の人間が生きるべき「データ」という現実から逃げて、この非現実的な現実体験を選んだ。全身で受け止める揺れも、頬の冷たさも、乾燥した暖房の風も、ちゃんとここにある。苦しい現実から離れた感じがして、気持ちが楽になる。
(過去に戻れればいいのにな)
この場所が現実として機能している時代に。なんて、それこそ非現実的な話だ。
1時間ほど揺られているとようやく目的地に着いた。
外は真っ暗で、真っ白で、列車の光を頼りに何とか前の人に着いていく。午前6時。今日の目的地となっているこの場所はかつて景観がきれいなことで有名だったらしいが、この天気ではどこまで見えるものか。
思いつく限りの防寒はしてきたがそれでも寒い。なぜか前の人がなかなか止まらないから、迷子にならないようにと歩き続けるほかない。列車の光もぼんやりとしてきて、いよいよ何も見えなくなってきた。
寒さと眠さで体が思うように動かない。辺りが一気に暗くなり、闇で包まれるように体が急に軽くなる――。
「おい、大丈夫か!」
ハッと目を開けると、光り輝く世界の中で見知らぬ顔が目の前にあった。抱きかかえられた自分の体は寒さで凍えて力が入らなくなっていた。
「よかった! 急に倒れるもんだから」
何が起こったか分からず目をパチクリさせていると、目の前の人はどこか遠くを指さした。それは黄金の光を放つ大きな美しい丸だった。
「ほら、初日の出だ」
何も返答できず、空気の寒さも忘れて息を呑む。真っ白に染まった木々が美しく立ち並び、凍った湖と滝が自然の強かさを見せつける。それらを従えるように堂々と構えるのは大きく美しい山だ。太陽の光は氷の粒に反射して自然を七色に輝かせていた。
噂に違わぬ美しさだ。心なしか体が暖かくなっていく。同時に想いと涙が胸の底から溢れてきた。この場所で泣いてはいけない。すぐに凍って肌に張り付いてしまうから。分かってはいるが、止められなかった。
(なにが「『データ』という現実」だよ)
見知らぬ人たちに心配されながら、それでも涙は止まらなかった。奇跡的に顔を見せていた太陽と自然は程なくして霧に包まれ、また真っ白な暗闇に戻ってしまった。
(この「現実」を捨てたくないよ)
列車はいつまでも泣きじゃくる人間を見守り、人間とともに過ごした長い生命を終えた。
あとがき
ここ数日投稿しそこねたテーマ、「列車に乗って」「遠くの街へ」「現実逃避」、うまいこと合わせられそうだと思って書きました。あと「タイムマシーン」がお題のときの投稿と同じ世界線です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
枯葉
「年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。」
「君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく。」
(命に嫌われている。/カンザキイオリ)
今回のテーマを見て一番に連想したのはこれらの歌詞だった。人生が終わっていくことを枯葉に例え、朽ちることに恐れをなしているように見える。
しかし「枯れ葉のように朽ちる」とは具体的にどういうことだろう。枯葉と青葉で大きく異なる点は、その色と水分量か。
色が変化するということは、緑色が失われ、栄養を生み出すことができなくなるということだろうか。であれば「枯れ葉のように朽ちる」絶望の一つは、かつてできていた生産的な行動ができなくなることかもしれない。
水分量が変化するのは、水の供給が絶たれるからかな。栄養を提供してきた相手に、これ以上水を供給する価値がないと思われやがて捨てられる。極めて合理的な判断だが、そうして瑞々しさを失っていく葉っぱの立場に立ってみれば恐ろしいものかもしれない。歌詞にも「誰にも知られず」とあるけれど、他人に無関心でいられるのは苦しいのだ。
地面に落ちてしまった枯葉は、子どもたちの遊びの一環で、あるいは大人たちのストレス発散で見る影もなくなるまで踏み潰されるのだろう。天命を全うした先にあるのが赤の他人の快楽の道具だとしたら、生命とはひどく残酷なものだと思う。
せめて、いつかは小さな生き物の栄養となって新たな生命の糧になると考えれば、人生の終わりが枯葉だとしても気持ちも少しは救われるかな。
今日にさよなら
なんてことない今日を繰り返す。
目が覚めるのは朝6時46分。そこから二度寝をかまして7時15分。制服はいつも通り。朝ご飯はトーストと目玉焼きとバナナ。朝の気温は11℃、最高気温は18℃の予報。家を出るのは8時3分。ホームルームの2分前に教室に駆け込む。
隣の席の友人と挨拶をする。その14秒後に先生が入ってくる。眠気を堪えて授業を受け、昼ご飯は3人の友人と一緒に。弁当の中身は白米と唐揚げとポテトサラダ。最初に食べるのは唐揚げ。午後一の古典の授業は開始26分後から19分間寝てしまう。
(タイムループってやつだよな)
この思考を開始するのは午後2時59分。48秒後に指名されるのでそれを待ってから思考を再開する。
(こういうのって、もっと劇的な1日を繰り返すものじゃないの?)
部活動は今日は休み。授業が終わった後は3人の友人に別れを言って、1人で帰路につく。校門を出るのは午後3時48分。
(変えようと思っても何も変えられないし)
駅につき3時56分の電車に乗る。運よく席が空いて、塾帰りらしき小学生とスーツケースを持った男性との間に座る。発車ギリギリにクラスメイトが駆け込んできて、相手は気まずそうに会釈する。
(この後だって何が起こるでもないし)
10分弱で降りなければならないのに眠気がやってくる。これもいつも通り。最寄り駅に到着した途端に目が覚めるから問題ない。いつも通り。
唯一、ここで見る夢の内容は毎回少し違っていた。自分は光る道のようなところに立っていて、目の前に誰かが立っている。これは共通しているが、目の前の相手のアクションが毎回違っていた。
「進みたい?」
今回は質問を投げかけてきた。この質問は4度目だ。
最初に聞かれたときは進みたくないと答えた。2度目は何も答えられなかった。3度目は質問には答えず「あなたは誰?」と聞いた。相手は「今日だよ」と答えた。
あぁなんだ、そういうことか。何百日分も時間を過ごして、ようやく理解した。
「進みたい」
今回はそう答えた。「今日」は寂しそうな顔をしたけれど、素直に道を譲ってくれた。前に一歩踏み出すと感じたことのない感覚が足の裏から伝わってきた。一歩、一歩と前に進むごとに景色が変化し、地面が広がり、視界が開けていく。もうずっと忘れていた感覚だ。
「さよなら、『今日』」
「うん、さようなら」
やがて視界が一色で染まっていく。どこかから聞き馴染んだ駅の音楽が聞こえてきてハッと目を覚ます。隣に座っているのはくたびれたサラリーマンと白髪夫人だった。最寄り駅についたのだ。慌てて電車を降り、スマートフォンで今日の日付を確認する。
「『明日』だ!」
思わず叫んでしまい、道行く人から奇異な目で見られる。それすらどうでもいいくらい久しぶりの感情でいっぱいになって、思わず輝く未知の世界の中で大きな大きな伸びをした。
お気に入り
人は死後どこに行くのか。ごく稀に世界の裏側に迷い込んでしまう人がいる。
彼らは現世の中からお気に入りの人を選び、その人間の一生をサポートすることが義務づけられる。所謂守護霊である。
お気に入りの人間への対応は様々だ。至れり尽くせりで幸も不幸も一生のほとんどの出来事を自ら与えようとする守護霊もいれば、何が起ころうと手出しせず本人の選択を見守る守護霊もいる。多くの守護霊は、最悪の事態が起こらないように見守り、たまにご褒美として幸運を授けるという形で対象の人間の人生を支えている。
お気に入りの選び方も多種に渡る。生前の自身に近い人間や憧れの対象となる人間を選ぶ者が多く、次いで好意を寄せていた人物を選ぶ守護霊が多い。自分とは何の関わりもなくても、好奇心や同情心を理由にしたり、直感を頼りにしたりして選ぶ守護霊もいる。
途中で人間を乗り替えることも可能だ。一度お気に入りを決めたらその人が死ぬまで支え続ける守護霊もいれば、少しでも理想を外れてしまったらすぐに乗り替える守護霊もいる。遊び感覚で人間を入れ替える守護霊も珍しくない。
人間たちは絶えず値踏みされており、死者のお眼鏡にかなえば人生をサポートされる。そんな世界の裏側のお気に入り制度は、生者が知り得ることはない。