冷端葵

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枯葉

「年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。」
「君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく。」
(命に嫌われている。/カンザキイオリ)
 今回のテーマを見て一番に連想したのはこれらの歌詞だった。人生が終わっていくことを枯葉に例え、朽ちることに恐れをなしているように見える。
 しかし「枯れ葉のように朽ちる」とは具体的にどういうことだろう。枯葉と青葉で大きく異なる点は、その色と水分量か。
 色が変化するということは、緑色が失われ、栄養を生み出すことができなくなるということだろうか。であれば「枯れ葉のように朽ちる」絶望の一つは、かつてできていた生産的な行動ができなくなることかもしれない。
 水分量が変化するのは、水の供給が絶たれるからかな。栄養を提供してきた相手に、これ以上水を供給する価値がないと思われやがて捨てられる。極めて合理的な判断だが、そうして瑞々しさを失っていく葉っぱの立場に立ってみれば恐ろしいものかもしれない。歌詞にも「誰にも知られず」とあるけれど、他人に無関心でいられるのは苦しいのだ。
 地面に落ちてしまった枯葉は、子どもたちの遊びの一環で、あるいは大人たちのストレス発散で見る影もなくなるまで踏み潰されるのだろう。天命を全うした先にあるのが赤の他人の快楽の道具だとしたら、生命とはひどく残酷なものだと思う。
 せめて、いつかは小さな生き物の栄養となって新たな生命の糧になると考えれば、人生の終わりが枯葉だとしても気持ちも少しは救われるかな。

2/20/2024, 1:15:42 AM