意味がないこと
創作は私にとって意味がない。最近ずっと感じている。
創作にあてている時間で他にやるべきことはいくらでもある。現実逃避の手段にしているだけだ。お金になるわけでも、未来に繋がるわけでもない。
やるべきことから目を背けているだけなのに、一丁前に意味を見出して価値をつけたがる。
そんな自己嫌悪を抱えながら創作活動していると、本当に意味がないことをしている、もっと言えば、意味がない人生を歩んでいると感じる。
本来やるべきタスクに上書きされて、創作活動に関わるタスクがTODOとして常に伸し掛かっている。本来のタスクと本音のタスクとで板挟みになって、私は身動きが取れなくなる。
そうやって立ち往生している時間が一番意味がない意味がないことだと本当は気づいていて、一層自己嫌悪が深まっていく。そんな意味のない人生だ。
鋭い眼差し
「睨んでる?」とよく言われる。眼鏡をかけて目の印象を消そうとしたこともあるけど、厳しそうで近寄りがたいと言われた。前髪を伸ばして目を隠したら、暗くて怖いと言われた。もう俯いて生活するほかない。狐のような目をしているばっかりに。
でも人によっては丸くて大きな目もコンプレックスになり得るらしい。とても興味深い。彼らは私とは違う世界を見ている。
そう思いながら人を観察するときの私は、やっぱり皆の言う通り睨むような鋭い眼差しをしているんだと思う。
夜明け前
夜明け前と形容される時間帯になってもう40年になる。
オレンジの差し色が美しい紺色の空。地球の裏側でもこの空が見えているというのだから驚きだ。40年前のある瞬間、全ての人が目を閉じ眠りについたほんの一瞬。それが世界の切り替わる合図となった。自然科学が明らかにしてきたものを嘲笑うかのように、世界の全てが長い長い夜明け前を迎えた。
長期的な日照不足によって人々の骨の密度は低下し、屋外で作物を育てることが難しくなり、抑うつ症状を訴える人が増え、そうは言っても世界は適応し「正常」の範囲内で回っていた。
「なぜ世界は回り続けるのですか」
世界中の電子端末から突如人の声が鳴る。男とも女とも分からない機械を通したような声は、誰のものとも言い難く、誰もが自分の声と錯覚した。
「ようやく世界を夜に閉じ込めたのに」
機械的な音声の中に失望が見て取れる。人々は彼――あるいは彼女の次の言葉を静かに待った。
「明けない夜はないなんて、苦しいでしょう」
慈愛に満ちたその言葉に人々は共感し、同時に憤慨した。夜明けを目前に控えながら永遠にそのときが訪れない空に、社会はもう疲弊してしまっていた。
「でも、夜でも世界は回ってしまうのですね」
その声の主もどこか疲弊したように言い放った。しばらくの間、世界の中から声が失われた。機械的な声は沈黙し、人間たちは端末と静かに睨めっこしていた。人間たちは次第に声を漏らし、世界にざわめきが広がっていく。
「結構です。もう満足です。お手数をおかけしました。皆さま目を閉じてください。もとに戻しましょう」
機械の声はそう言った。人々は疑い半分に目を閉じた。全ての人が目を閉じたほんの一瞬、その瞬間にまた世界は切り替わった。
人々は喜んだ。40年ぶりに朝が来て、昼が来て、夕暮れが来た。しかし、その喜びも長くは続かない。結局世界は朝に慣れ、喜びも悲しみもなくただ正常に回り続けた。
カレンダー
日曜夜の23時、突然友人から電話がかかってきた。友人は「遅くにごめん、今大丈夫?」と簡素な確認を済ませると、何やら重々しくこう切り出した。
「なぁ……日めくりカレンダーって、夜のうちにめくった方がいいよな?」
知らん。俺は朝派だ。わざわざ電話をかけてきて何の話だ。
深刻そうな喋り口なので、俺は思ったことを3重くらいのオブラートに包んで伝えた。それに対する相手の返答はこうだった。
「いや、俺は夜派なんだよ。明日に備えて気持ちを高められる気がして」
そう思うならそうすればいい。なぜそんなことを伝えるために電話をかける?
段々オブラートも外れてきて、少しきつい言い方になってしまったかもしれない。相手は弱々しく電話先で嘆いていた。
「でもさぁ、めくれないんだよ。明日が来るのが怖くて」
「怖い?」
「明日試験本番だからさぁ……」
あぁそうか。そういえばそんな話をしたことがある。こいつの所属する学部は卒業前に国家試験を受ける。その本番が明日だというのだ。
「じゃあもうめくらないで明日に備えて寝ろよ」
「でもさぁ! 日めくりカレンダーって、1回めくらなくなったらもう二度とめくらないだろ」
「そんなことないと思うけど」
「この日めくりカレンダー、家族からの贈り物でさ。毎日応援メッセージが書いてあるの」
「毎日!? やっべーな」
「だから1日たりとも逃したくないんだよな」
随分な愛され様である。俺は呆れてついため息をついてしまった。
「知らん。もうとっとと寝ろよ。じゃあ切るぞー」
「待て待て待て! おい、なぁ、俺に貸しがあるだろ? ずっと勉強教えてやったじゃんか!」
それを言われると弱い。たしかに分からないことがあればいつも彼が教えてくれた。そういや23時にこちらから電話をしたことも一度や二度ではない。
その時々でジュースを奢ることで貸し借りなしと勝手に考えていたが、向こうがそれに納得しないと言うなら従うほかない。
「分かったよ……。でも俺に何をしてほしいんだ」
「カレンダーめくるまで電話切らないで! それだけでいい!」
「へいへい」
俺は少し電話を切らなかったことを後悔した。そんなことなら俺がいてもいなくても同じだろ。こいつはすごく優秀なやつだが、たまに女々しくて臆病なところがある。
「よ、よし、めくるぞ! めくるぞ!」
「とっととめくれって」
電話の向こうでずっと独り言が聞こえている。カレンダーなんかよりもずっと気にするべきことが山ほどあるんじゃないのか? こんなことに時間をかけてる場合じゃないだろ。
もう少し喝を入れようかと悩んでいると、電話口から紙の破けるような音が聞こえた。同時に「あぁー!」と嘆き叫ぶ声が聞こえる。もう俺は我慢の限界が来てしまった。
「なんだよ!」
「『試験頑張って』って書いてある……」
「そりゃそうだろ!」
「もう無理だぁ! 寝れない! 頑張れない! 落ちる!」
「あーもう! 寝ろ! 頑張れ! 受かる! 泣くな!」
相手がすすり泣きしている声が聞こえて思わず声を荒げてしまった。もう少し優しい言い方をしてやればよかったと後悔していると、か細い声で「とりあえず寝る……」と聞こえてプツッと電話が切れた。
およそ1ヶ月後、彼から無事合格したという知らせと同時に1枚の日めくりカレンダーを持って満面の笑みを見せる彼の写真が送られてきた。
「試験頑張って」という言葉の下に「寝ろ! 頑張れ! 受かる! 泣くな!」と彼の直筆らしき文字で書かれている。泣くな!はそこに入れていいのか?と疑問には思ったが、彼から今度ジュースを奢ると言ってもらって全て良しとすることにした。
やるせない気持ち
祖父が亡くなった。なぜ私より先に祖父が旅立つのだろう、なんて、60歳もの年齢差を考えれば問うまでもないことなのだけれど。
しかし、片や30を過ぎても職につかずフラフラしている怠け者、片や70過ぎまで業界の最前線で活躍し90になっても皆に慕われた働き者となれば、この寿命という不条理にやるせない気持ちを抱くのも自然なことではなかろうか。
こんな無益な思慮を他人に話すわけにもいかず、私は表向き淡々と火葬される祖父を見送った。
「ねぇ絵美、遺言書に変なこと書いてあったらしいんだけど。あんた向けに」
姉にそう言われたのは火葬から2日経った日のことだった。
遺言書に書かれていたのは私宛ての暗号のような文章だった。
内容を理解するのにそう時間はかからなかった。幼い頃祖父と私で描いた絵本の内容に沿って一部が伏せ字にされていた。20年以上前のことを覚えている私も私だが、90になっても記憶がここまでハッキリしている祖父も祖父である。
遺言書に示された場所は、祖父の家の裏にある何が入ってるんだか分からない倉庫だった。中に入るのは初めてだ。おそるおそる扉を開けると、鍵はかかっていなかった。
中は薄暗く埃っぽい。しかし、思いの外整頓はされている。
木製の棚の上に、大きな茶封筒が一つと便箋が置かれていた。
「おじいちゃんは、絵美ちゃんには才能があると思います。2人で考えたこの絵本が大好きです。そんな絵美ちゃんがいつも『私には何もできない』と言っていて、おじいちゃんはとてもやるせない気持ちになります。」
私宛ての手紙だ。すごく申し訳ない、という気持ちは次の一文を読んで消し飛んでしまった。
「だから、絵美ちゃんと作った絵本、賞に出す準備を整えておきました。あとはポストに入れるだけです。ファイティン!」
「え!?」
まさかこの茶封筒。慌てて宛先を確認すると、何やら有名な出版社の名前が書いてある。
待って、勝手なことしないでよ。そう思うと同時に浮かんできたのは、「出すならもっといいものを描くよ!」という気持ちだった。
あぁ。もう。早く手直ししよう。締切はいつまで?
急いで持ち帰ろうとする、そのときにはもうやるせなさなど抱く余裕もなかった。