遠くへ行きたい
遠くへ行きたいと願った経験はある。でもあれは、正確に言うならば遠くに行きたかったのではなく"ここ"に居たくなかった。
実際宛もなく電車に揺られて2つ隣の県に行ったこともある。計画を立てずに家を出てしまって、真夜中にトボトボと歩いて帰ってきたこともある。
それらで満足したかと言えば必ずしもそうではない。時間を浪費したという自己嫌悪と、知らない土地に立つ不安と、ほんの少しの解放感で、私はうまく笑えなかった。けれども他にこの欲求を満たす方法が分からなくて、私は何度かこの無味な日帰り旅行を繰り返していた。
思うに、この衝動を落ち着かせるのに本当に有用なのは外出そのものではなく非日常だった。私はこの結論に辿り着くまでに少し時間が掛かった。
家で何の刺激もなく同じ日々を繰り返している、そのルーティンからほんの少しはみ出れば充分だった。家の中で足踏みをするとか、手近な店に行って買い物をするとか、多分そんなことでよかった。そんなお手軽な行動はできないくせに、無計画に遠くまで行くことはできてしまっていた。
「遠くへ行きたい」、その欲求の裏には、自暴自棄も多かれ少なかれ混じっている。きっと私を遠くまで連れて行ったのは自分を蔑ろにするこの感情だった。
今は当時ほど遠くへ行きたいと思わない。同時に、自暴自棄な感情も薄れている。
それらは嬉しいことなのだけれど、たまにはまた遠くまで連れて行ってくれてもいいのにな、と少し思う。可能ならちゃんと計画を立てて、無理のない範囲の遠方へ。"ここ"での生活に満足してたって、たまには遠くに憧れる。
クリスタル
クリスタルってよく聞くけれど、案外その意味を説明しろと言われると難しい。そんなわけで簡単に調べてみた。
大雑把に言えば「結晶」という意味で、語源は古代ギリシャ語の「氷」らしい。なるほどなぁ。
じゃあ、ここから何か物語を考えるとしたらどうなるだろう。
例えば、熱い結晶とかどうだろう。語源を考えれば真反対だけど、現在使われている意味からは然程かけ離れていない存在……みたいな。
そうだなぁ。かつて古代ギリシャにおいて氷と呼ばれていたものは、氷の精が生み出した宝石の一部だった。どこからか湧いてきた精霊たちは氷を生み出して人間と共生していた。
しかし、やがて人間は自身たちで氷を生み出し、それを保存するようになった。
こうなると精霊の存在意義がなくなってしまう。困った精霊たちは、新たにクリスタル……結晶、特に水晶を生み出すことで人間に価値を提供し続けた。(ちなみに実際、水晶は別名「水精」と呼ばれるそうだ。)
しばらくはこの関係性でお互い平和に過ごすことができた。でも、新しい共生生活も永遠には続かない。人間は妖精の持つ力を我が物とするため、妖精がどこからやって来たのか探り始めた。
そうして辿り着いたのは地球の核近く、生身の人間なら一瞬で火が通ってしまうような灼熱の空間だった。
人間たちは超高温に耐えうるロボットとカメラを開発し、内部の調査を開始した。重力に従って落ちていくだけの、片道切符しか持ち合わせていない不憫なロボットである。
途方もなく深い穴に落とされ、撮影だけを課せられた彼が最期に撮ったものは、煌々と輝く地獄の中で醜いまでの光を放つ、奇麗な水晶だった。
……って感じ?
こういうアイデアは割とポンポン湧いてくるんだけどなぁ。物語として起承転結の展開を考えて、そのうえでアイデアを文字に起こすっていう作業が苦手。――もしかして執筆向いてないです?
ちょっとしばらくは、こういうアイデア出しみたいな文章を投稿しようかな。ちゃんと物語にしようとすると一気にハードルが上がるので。
まずは執筆習慣を取り戻すぞー。あ、オチはないです。
夏の匂い
夏の匂いと言われても特に思い当たらないな。
金木犀は秋だし、花の香りは春だろうし。
冬の匂いというのもなかなか想像がつかないけれど、冬には冷たい「無」というような匂いがある気がする。生命が眠りについている、モノトーンの世界の匂い。
じゃあ夏も似たような要領で考えられないかと思うけれども、すっと出てくるものはない。
思えば、夏はその他の情報が多すぎる。
五感に当てはめて考えるならば、視覚で眩さを覚え、聴覚で蝉の音を聞き、触覚で暑さを感じ、味覚は……アイスかな。
人間に備わった機能を既に存分に使って夏を味わっている。もう匂いの入る隙はないのかもしれない。
それでも無理矢理に夏の匂いを考えるのであれば。
花火の火薬の匂い、アスファルトの焼ける匂い、プールの塩素の匂い、緑の匂い、服にこびりつく汗の匂い、夕立前の湿った匂い、屋台の焼きそばのソースの匂い……。
――あれ、意外とある?
光輝け、暗闇で
真っ暗闇の世界。自分の体の形すら確かじゃない。
自分の手の形はどうなっているのか。今、目の前に自分の手を持ってきているつもりだけれど、それは私の妄想であって実際は目の前に手などないのだろうか。そもそも私の体に腕はあるのだろうか。私の体が実体を持たないものだったらどうしよう。こんな暗闇でそんな心配をしても意味などないか。
何もない。記憶も確かではない。私は誰で、何者で、なぜここにいるんだっけ。あの光輝く、生命力に満ちた世界は何だったっけ。私はあの世界に生きていたのではなかったか。なぜ、私は今ここに。
何もないはずの世界で、目を凝らした私の目に限りなく深い闇が映った。闇に包まれた無の空間の中でもその黒は一層際立っていた。線形の穴のような無の空間は秩序を持って、意味を私に与えてくれた。
「光輝け、暗闇で」
あえて文章をわかりやすく直すとしたらそのような内容になるだろうか。これが、私に課せられた任務なのか。
そのとき、私の頭の中に一つの言葉が舞い降りた。遥か遠い過去――いや、未来で聞いた言葉。逆行転生。
そうだった。私の生きていた未来は滅亡の危機に陥っていた。だから私はここに来た。第二の太陽となり世界を照らすために。
さぁ、今こそ自分の存在がハッキリとした。存在しない目の前の手の先に無限の未来が見える。何十億年先の未来を救いに行こう。私よ、光輝け、この暗闇の中心で。
酸素
僕にとって君は酸素のようなものだ。
君の視線、曲線美、鈴の鳴るような声、その全てが僕の心を燃やし生きるエネルギーを生み出してくれる。
君は、世間一般には毒だ。人々の内側に入り込んでは錆に似た傷を付け、密かに相手を死に追いやる。最近の原因不明の倒産や失踪のうちいくつかは君が関与しているんだろうね。
それでもなお、僕は君を求めるほかない。君がいない世界では僕は生きていけない。君に近づき過ぎては自分自身がいつか燃えてしまうとわかっていても、僕は君無しでは居られなかった。君に一目惚れをしたその日から――。
「それで? それがこのキラークイーンをストーカーした理由ってわけ?」
「うん。あぁ、素晴らしいなぁ。こんな目と鼻の先に君がいてくれるなんて。今の僕はまるで純度100%の酸素の中に閉じ込められた愚かな鼠さ。あぁ、僕は一体どうなってしまうんだろう! ひと思いに燃やされてしまうのかなぁ、それとも内側から錆びて腐っていくのかなぁ! もう待ちきれないよ!」
「呆れた。あたし、わけのわかんないマゾヒストの相手をするほど暇じゃないのよ。もういいわ。帰ってちょうだい。そして二度とあたしに関わらないで」
「ちょっと待ってくれよ。なぁ、さっきの話でわかっただろう? 僕は君無しでは生きていけないんだ……」
「なら丁度いい。酸素を断(た)ってしまいましょう。なんたってあたしは殺人女王(キラークイーン)だものね」
あぁ、なんて美しいんだ。そう思った僕の意識は次の瞬間には薄れていった。彼女は一体何をしたんだろう。甘い香りとともに、目の前の女王が白く霞んでいく。
「もうやんなっちゃう。いっそ宇宙にでも飛ばしてやろうかしら」
君の鈴の鳴るような音が遠くで聞こえる。宇宙か。それもいいなぁと思いながら僕が目を覚ました先は、真っ暗な宇宙などでは断じて無く、自然光に包まれて老人ばかりしかいない、そして君の噂など微塵も耳にすることができないありふれた田舎の一つだった。
あぁ、酸素が遠い。