冷瑞葵

Open App
5/16/2025, 4:27:44 AM

光輝け、暗闇で

 真っ暗闇の世界。自分の体の形すら確かじゃない。
 自分の手の形はどうなっているのか。今、目の前に自分の手を持ってきているつもりだけれど、それは私の妄想であって実際は目の前に手などないのだろうか。そもそも私の体に腕はあるのだろうか。私の体が実体を持たないものだったらどうしよう。こんな暗闇でそんな心配をしても意味などないか。
 何もない。記憶も確かではない。私は誰で、何者で、なぜここにいるんだっけ。あの光輝く、生命力に満ちた世界は何だったっけ。私はあの世界に生きていたのではなかったか。なぜ、私は今ここに。
 何もないはずの世界で、目を凝らした私の目に限りなく深い闇が映った。闇に包まれた無の空間の中でもその黒は一層際立っていた。線形の穴のような無の空間は秩序を持って、意味を私に与えてくれた。
「光輝け、暗闇で」
 あえて文章をわかりやすく直すとしたらそのような内容になるだろうか。これが、私に課せられた任務なのか。
 そのとき、私の頭の中に一つの言葉が舞い降りた。遥か遠い過去――いや、未来で聞いた言葉。逆行転生。
 そうだった。私の生きていた未来は滅亡の危機に陥っていた。だから私はここに来た。第二の太陽となり世界を照らすために。
 さぁ、今こそ自分の存在がハッキリとした。存在しない目の前の手の先に無限の未来が見える。何十億年先の未来を救いに行こう。私よ、光輝け、この暗闇の中心で。

5/15/2025, 4:27:18 AM

酸素

 僕にとって君は酸素のようなものだ。
 君の視線、曲線美、鈴の鳴るような声、その全てが僕の心を燃やし生きるエネルギーを生み出してくれる。
 君は、世間一般には毒だ。人々の内側に入り込んでは錆に似た傷を付け、密かに相手を死に追いやる。最近の原因不明の倒産や失踪のうちいくつかは君が関与しているんだろうね。
 それでもなお、僕は君を求めるほかない。君がいない世界では僕は生きていけない。君に近づき過ぎては自分自身がいつか燃えてしまうとわかっていても、僕は君無しでは居られなかった。君に一目惚れをしたその日から――。
「それで? それがこのキラークイーンをストーカーした理由ってわけ?」
「うん。あぁ、素晴らしいなぁ。こんな目と鼻の先に君がいてくれるなんて。今の僕はまるで純度100%の酸素の中に閉じ込められた愚かな鼠さ。あぁ、僕は一体どうなってしまうんだろう! ひと思いに燃やされてしまうのかなぁ、それとも内側から錆びて腐っていくのかなぁ! もう待ちきれないよ!」
「呆れた。あたし、わけのわかんないマゾヒストの相手をするほど暇じゃないのよ。もういいわ。帰ってちょうだい。そして二度とあたしに関わらないで」
「ちょっと待ってくれよ。なぁ、さっきの話でわかっただろう? 僕は君無しでは生きていけないんだ……」
「なら丁度いい。酸素を断(た)ってしまいましょう。なんたってあたしは殺人女王(キラークイーン)だものね」
 あぁ、なんて美しいんだ。そう思った僕の意識は次の瞬間には薄れていった。彼女は一体何をしたんだろう。甘い香りとともに、目の前の女王が白く霞んでいく。
「もうやんなっちゃう。いっそ宇宙にでも飛ばしてやろうかしら」
 君の鈴の鳴るような音が遠くで聞こえる。宇宙か。それもいいなぁと思いながら僕が目を覚ました先は、真っ暗な宇宙などでは断じて無く、自然光に包まれて老人ばかりしかいない、そして君の噂など微塵も耳にすることができないありふれた田舎の一つだった。
 あぁ、酸素が遠い。

5/10/2025, 1:55:25 PM

静かなる森へ

 おかしい。あまりにも前情報と違いすぎる。
 ここは都会から遠く離れた小さな村。近代的な建築や技術など一切見られない、世界から置き去りにされている辺鄙な土地である。
 私がここに来たのは、この村の先にある神秘の大木へと祈りを捧げるためだ。
 神秘の大木、またの名を奇跡の大木。人生に行き詰まった者がここに向かうと、みな笑顔で満足して帰ってくるという噂がある。かくいう私も未来に希望が見えなくなってここにやって来た次第だ。
 それで、何が前情報と違うかと言うと。
 神秘の大木があるこの森には異名がある。「静かなる森」。森に入った途端にあらゆる音が溶けるように消えて、まるで無音の世界に入ったような感覚になる。襲ってくる物寂しさを乗り越えて大木に辿り着いた者だけが救われる――というのは私からすれば大したハードルではないのだが、問題はこの村。なんなのだここは。
 五月蝿い。あまりにも五月蝿すぎる。
 静かという単語とは真反対に位置するような騒音が耳を刺す。これは、音楽なのだろうか。音楽とも声とも認識できない音の集合体が村中に充満している。頭が割れそうだ。
 そして、思いのほか人は多い。静かなる森というくらいだから人気のない場所を想像していた。何十何百という人々が笑顔で輪を作ったり酒を飲み交わしたりする様子を、どうして想像できようか。
 人混みの中の1人がこちらに気が付いた。彼に続いて何百もの目が一斉にこちらを向く。好奇心に満ちた目をしていて、心からの笑顔ばかりなのがかえって不気味だ。
 爆音は止みそうもない。相手が何を言っているかも分からないまま私は輪に加わり、促されるままに肉を食べ、相手の真似をして下手に笑った。あぁ、笑顔を作ったのなんていつぶりだろうか。
 肉を平らげて不器用に踊りをして、そうして非日常を過ごして空に橙色が差し始めた頃、最初に私に気付いた村人が私の腕をとって人混みから離れたところに案内してくれた。
 ――案内してくれた、という表現でいいのだろうか。知らぬ土地で変に興奮状態になっていて危機感が薄れている。
 離れても尚五月蝿いBGMで相手の声は十分には聞こえない。ジェスチャーでようやく、例の静かなる森への道を示しているのだと分かった。
 でも何というか……、なんだろうな。案内してもらった手前悪いんだけど、もういいやという気持ちになってしまった。この場所に来るとみな笑顔で満足して帰ってくるという噂の意味を理解してしまった。
 私は首を振り、元来た道を指し示した。今晩は夜が明けるまで踊り明かそう。そして明日故郷に帰ったら苦しみを抱えた人達に教えてやるのだ。静かなる森へ向かうと良い、と。

3/16/2025, 12:48:36 PM

花の香りと共に

 花の香りと共に、それは突然僕の心に現れた。多分大衆的には愛とか感動とかと表現されるものだ。淡い青色の下、小さい黄色のそれは群を成して街を照らし、見る者に安らぎを与えた。力強くも危うい、例えるならば小動物のようなそれは、見る者の庇護欲を掻き立てた。しかし僕にはそんな言葉では物足りなかった。何かこれをもっと適切に言い表す表現があるはずだという強い衝動に駆られた。
 僕はそれから毎日花を咲かせた木々の隣に立った。日常の一部となった花の香りは、いつしか僕自身の香りとなった。美しい花の香りを纏って、自分の香りを嗅ぐたびに僕はまたあの感覚を思い出した。
 そうして僕は黄色い群れを日々眺めていたのだが、先日嫌な噂を耳にした。なんでも、最近子供に付き纏う不審者が頻繁に目撃されるのだとか。
 僕が守らなければならない。僕はそう思った。この感情をどう表現したらいいだろう。やはり、愛とか庇護欲といった言葉に落ち着いてしまうのだろうか。答えはまだ出ていない。
 あの木の隣に立つ理由が2つになった。僕は今日も花の香りと共に、黄色い群れを眺め、見守る。小学校近くの木の下で。空は今日も淡く青色に広がっている。

3/15/2025, 1:23:40 PM

心のざわめき

 心のざわめきは無視しないほうがいい。些細な違和感というのは案外的を得ているものだ。そう言うのは簡単だが、実践はそう簡単ではない。殊に私の場合はどういうわけか「心のざわめき」を「心のときめき」として認知するバグを抱えているようで、しばしば悪い方向に惹かれてしまう悪癖がある。これまで何度自ら傷つきに行ったことか。その一方で、このバグのお陰で出会えたものも存在する。だから私のこの欠陥を一口に否定してしまいたくはない。ただ願わくば、いつか心のざわめきを純粋なざわめきとして認知できる日が来たらいいなと、心の片隅で思う。

Next