冷端葵

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列車に乗って

 27世紀が終わった。
 年明けは真っ暗な部屋の中で一人迎えた。簡単に身支度を整えて、まだ外が暗いうちに無機質なホテルをあとにした。そうして向かったのは最寄りの駅である。凍える寒さの中駅の周りを歩く人たちは、自分と同じ目的でここにいたのだろう。つまり、今日で営業運転を終了するこの列車に乗るためだ。
 心地よい揺れに身を任せ、静かな雑音を聞きながら、真っ白に染まった外の世界を見る。真っ白なのに真っ暗で、果てしない闇を感じる。そっと窓に頬をつけてみると火傷しそうなほど冷たかった。
「――本日で営業運転を終了します」
 いつも冷静なアナウンスに感情がこもっている。この列車は今日で営業運転が終了し、そして今日をもって、この世界を走る列車はすべて廃車となる。
 ここ千年で地球の気候は極めて異常な状態になった。三百年ほど前まではみんな外に出て生活していたそうだが、今はほとんど外に出られなくなった。夏は50℃を超える日も珍しくなく、冬は今日のようにマイナス50℃近くまで寒くなることもある。下手に外に出たら死んでしまう。そのような生活の変化に伴って列車の需要は著しく落ち、どんどん数を減らしていった。
「――皆様とこのような――28世紀に――」
 涙ながらに話す彼からは悔しさが滲み出ていた。残念ながらスピーカーが少し離れているのと、涙声なのとであまり内容が聞き取れない。正直彼の言葉には関心がないのでまた窓の外を見たが、丁度トンネルに入ってしまって黒しか見えなくなった。
「――遠くの街――の手段とし――今日も――」
 今日の行き先はおよそ400キロメートル先の元観光地である。400キロメートル先の街を「遠く」などと言うのは昔の考えだ。今自分たちがいるのはもはや10年後に地球全体の統一化が図られている時代で、おそらくいずれは国という概念さえなくなる。距離の概念は地球規模になる。400キロメートル先など目と鼻の先だ。
 ……いや、距離という概念も消えていくのだろうか。
 近年、人生データ化が話題になっている。なんでも、人間のデータをすべてコンピュータに落とし込んで、そこで生活させるというのだ。異常気象の歯止めが効かないのでなるべく家から出ないようにと検討した結果だ。仕事も学校も人付き合いもすべてコンピュータ内で完結する。そういう時代なのだ。
 嫌気が差す。だからここに来た。今後の人間が生きるべき「データ」という現実から逃げて、この非現実的な現実体験を選んだ。全身で受け止める揺れも、頬の冷たさも、乾燥した暖房の風も、ちゃんとここにある。苦しい現実から離れた感じがして、気持ちが楽になる。
(過去に戻れればいいのにな)
 この場所が現実として機能している時代に。なんて、それこそ非現実的な話だ。
 1時間ほど揺られているとようやく目的地に着いた。
 外は真っ暗で、真っ白で、列車の光を頼りに何とか前の人に着いていく。午前6時。今日の目的地となっているこの場所はかつて景観がきれいなことで有名だったらしいが、この天気ではどこまで見えるものか。
 思いつく限りの防寒はしてきたがそれでも寒い。なぜか前の人がなかなか止まらないから、迷子にならないようにと歩き続けるほかない。列車の光もぼんやりとしてきて、いよいよ何も見えなくなってきた。
 寒さと眠さで体が思うように動かない。辺りが一気に暗くなり、闇で包まれるように体が急に軽くなる――。
「おい、大丈夫か!」
 ハッと目を開けると、光り輝く世界の中で見知らぬ顔が目の前にあった。抱きかかえられた自分の体は寒さで凍えて力が入らなくなっていた。
「よかった! 急に倒れるもんだから」
 何が起こったか分からず目をパチクリさせていると、目の前の人はどこか遠くを指さした。それは黄金の光を放つ大きな美しい丸だった。
「ほら、初日の出だ」
 何も返答できず、空気の寒さも忘れて息を呑む。真っ白に染まった木々が美しく立ち並び、凍った湖と滝が自然の強かさを見せつける。それらを従えるように堂々と構えるのは大きく美しい山だ。太陽の光は氷の粒に反射して自然を七色に輝かせていた。
 噂に違わぬ美しさだ。心なしか体が暖かくなっていく。同時に想いと涙が胸の底から溢れてきた。この場所で泣いてはいけない。すぐに凍って肌に張り付いてしまうから。分かってはいるが、止められなかった。
(なにが「『データ』という現実」だよ)
 見知らぬ人たちに心配されながら、それでも涙は止まらなかった。奇跡的に顔を見せていた太陽と自然は程なくして霧に包まれ、また真っ白な暗闇に戻ってしまった。
(この「現実」を捨てたくないよ)
 列車はいつまでも泣きじゃくる人間を見守り、人間とともに過ごした長い生命を終えた。



あとがき
 ここ数日投稿しそこねたテーマ、「列車に乗って」「遠くの街へ」「現実逃避」、うまいこと合わせられそうだと思って書きました。あと「タイムマシーン」がお題のときの投稿と同じ世界線です。ここまで読んでいただきありがとうございました。

3/1/2024, 2:56:41 AM