ことり。ことり。静寂な小部屋に響くのは、盤上の駒の足音のみ。
今にも張り裂けそうな詰めきった空間は深呼吸すら許されない。
状況は優勢、このまま進めば誰もが自分に軍配を上げる。それほどまでに分かりきった未来へ着々と近づいていく。
ゴトッ。ふと明らかに駒より重く鈍い音がした。
盤上から目を上げると、対面に座る友人が、駒を動かすはずの右手で砂時計をいじりながらにやりと笑っていた。
「こっからは僕のターンかな」
ガタン、とわざとらしく音をたて砂時計が逆さまにひっくり返される。
次の一手から形勢が逆転したのは言うまでもない。
「逆さま」
酷使しきった両足を体ごとベッドに投げ出し、ごろごろと大きく数回寝返りを打つ。
いつもならこのまま少し遠くに聞こえるシャワーの音を背に眠りにつくのだが、今日はそうもいかなそうである。
うまく寝つけずにしばらくごろごろとしていると突然後ろから呆れたようなため息が聞こえてきた。そういえばいつの間にかシャワーの音が止んでいる。
「おーい、まだ起きてんのかよ」
「うーん、寝れなーい」
同部屋の友人であることは、確認するまでもなく、いつも通り適当に返事を返す。
それを聞くと友人は、仕様もねぇと興味を失ったように髪を乾かしに洗面台に戻っていった。
それを期に自身も己の思考に戻る。これほど、眠れないほどに考え事をしたのはいつ以来だろうか。
それぐらい今日出会った少女は異質だった。年も性別も当然違う筈なのに、まるで自分自身と出会ったような感触がしたのだ。
俗物的に言うなれば、ドッペルゲンガー。
「確かめるのは明日でいいだろ」
彼も何か思う所があったらしい。いつの間にか髪を完全に乾かし終えた彼は欠伸を一つつくと、すぐさま自分の寝床に潜り込み会話を強制的に終えた。
今考えても仕方がない、と自身も彼に倣って眠りにつくこととした。
「眠れないほど」
冬晴れの晴天の中、リュックサックを背に一人街道を進む。周囲に人は居らず、澄んだ空気と開放感が気持ち良い。
旅立ちの際に餞別と称して握らされた本日付の新聞を見れば、いつもの如く高々と勇者達の活躍について書き連ねてあった。彼らも元気そうで何よりだ。
特段することもなく、歩を進めながら適当に流し読んでいると新聞の隅の方にコラムとして以前借りていた寮長の言葉が載っているのを見つけた。
『夢とは過去に失敗した時の成功分岐ではなく、まだ達成していないもののことだ。夢はいつも現実の先にあるものじゃからな』
相変わらず口がうまいなと笑みが溢れる。少し前まで私もそれに惑わされていたというのは当然、ここだけの話である。
「夢と現実」
三者三様、荷物を抱えながら階段を一段一段踏みしめ地上に顔を出す。
外から差す日の光は地下迷宮にあった人工物や危険生物から放たれるそれとは違い、周囲の寒さをゆっくりと溶かしてくれるかのように生温かく優しい。
「「シャバの空気うま」」
階段を登りきり、完全に地上に着いたタイミングで一段上を進んでいた背の低い少年、マルクと私の声が一言一句違わずに重なる。
意味はよく分からないが、地上に出た際に使う言葉らしい。
「はいはい。帰るまでが依頼だぞー」
それをさもどうでも良いと言わんばかりの無機質な声で音頭を取るのが、ブレザーの下にセーターまで着込んだ防寒対策バッチリな今依頼のリーダー、アルトである。
数日前まで初対面だった筈だが、出会って数時間後にはこの調子だったのを覚えている。本人曰くマルクが増えただけ、らしい。解せぬ。
それから依頼の達成報告と荷物整理のため一度酒場まで戻り、迷宮前のだだっ広い広場にて解散することとなった。
緊急で組んだパーティである以上一期一会というのは仕方がないことだが、寂しさがないといえば嘘になる。
彼らは未だ学生で、私はこの依頼を期に旧友を追うことにした。しばらく会う機会はないだろう。
だから最後に言うことにした。別れを惜しみ、再会を誓う意味の言葉を。
「さよならは言わないで」と。
『さよならは言わないで』
じりじりと焼け付くような焦燥感に冷や汗をかく。
いかにも戦闘に適した大広間では、絶え間ない魔術の応酬が繰り広げられていた。
応酬というより防戦一方。二人して攻撃を相殺するのが精一杯だ。
対して相手は、外敵を排除するため淡々と詩を口ずさんでいた。傾いた鍔広の三角帽子からは、感情が読み取れない。
どちらにせよ、こちらが消費するのは目に見えていた。
「どうすんの!これ!?」
「僕が隙を作ります。後は最大火力でよろしくっ」
「はっ!?ちょっ......!」
言い終わるや否や右手側に飛び出したマルクに静止の声は届かない。
それを追うように相手は攻撃を左に集中させ始め、一時的にこちらへの攻撃は止んだ。
彼はといえば、軽やかなステップと魔力の障壁を巧みに駆使して難なく攻撃をいなしている。
流石自己紹介で特技に死なない事と答えただけはある。ちなみに彼は能力強化を得意とした付与魔術師だったりする。後衛とは何ぞや。
魔法による最大火力の一撃必殺、物理攻撃を持ち合わせていない私達が出来る最善手。当然事前に決めた作戦通りではあるのだが、それで上手くいくか否かは甚だ疑問であった。
学生の頃彼らと一緒に奴に挑んだ時はどうだっただろうか。
能力低下耐性。そんな私特攻のような性質を持つ奴との戦闘では足手まといだったような――
「僕は元から無力だったんですよ。過去の栄光なんてのはなくて、ずっと僕は僕だった。光でも闇でもなく」
ふと、今現在奴の隙を伺っている少年の言葉が頭に過った。
「過去の栄光なんてのはなかった、か......」
過った言葉を再度口に出し、にやりと笑う。思い出した、何もかも。
何故私が冒険を離脱したのかも、あの日の戦闘の事も、私に力なんてしょうもないものが要らない事も――!
「星示すは祖の奔流。光羽ばたき、闇墜ちよ!『原初の星灰(オリジン・マギア)』!!!」
手にした杖から放たれたその名に違わぬ力の奔流は大広間ごと敵を蹴散らした。
上階へと続く階段までの道を塞いでいた扉は無惨にも原型を留めておらず、開く手間が減ったのはここだけの話である。
「光と闇の狭間で」