慣れた手つきで呪文を唱え、寮の正門を潜る。
この寮はとある老夫婦が管理していて通称、初心者寮と呼ばれている。
学園を卒業して尚、自力で家すら借りられない者向けの寮。話題に上がった際の瞬間最大風速を除けば、悪い所は何一つない聖地だ。
......世間からのそれが一番デメリットでは、という至極真っ当な意見は聞こえない事とする。
「おぉ今日は早いな!どうじゃった?成果の程は」
「あ、レオルさん!お疲れ様です!」
そそくさと渡り廊下を歩いていると後ろの方から突然声をかけられた。
モップ片手に実に清掃員らしい格好をした彼こそが件の老夫婦の一人、レオルさんである。
「成果って......踏んだり蹴ったりですよ!」
聞かれた反射で叫んでしまい、思わず手で口を覆う。危ない危ない......これ以上のご近所問題は勘弁だ。二桁目の偉業は防いだ。さすが私。
そんな私をいつも通り面白いと笑い飛ばしたレオルさんは、何か意味ありげな笑みを浮かべてメモの切れ端を渡してきた。
これがただのおつかいだったりするのもまた、いつも通りの事だったりする。
「夫婦」
賑やかを通り越してむしろ騒々しい大通りをとぼとぼと一人歩く。
「失敗した......」
今回は成功するはずだった。今回こそは。
望みを叶える宝箱。それを開けた者には絶対的な力でも何でも授けられると噂される奇跡の箱。
ひょんなことからその噂が本当だと確信した私はここ数ヶ月、ずっとそれを探し回っていた。
そして、つい先刻それを発見するに至ったのだが、このザマだ。
何があったのか等むしろ私が聞きたい。宝箱を開いた瞬間追い出されるが如くいつの間にか街中にいたのだから。探し疲れて見た白昼夢だと言われた方がまだ説得力がある。
その力さえあれば、胸を張って彼らと肩を並べられると思ったのに。
「もう本当...どうすりゃ良いのよ......」
幾度目か分からないため息をまた一つ、ついた。
『どうすれば良いの?』
薄暗い廊下を抜け、扉を押し開けた先にあったのは所謂宝物庫というものだった。壁や床の全面が金色に輝いており、その真ん中には緋色の宝箱が一つぽつんと置かれていた。
なにかを警戒するように一つ一つ歩を進めた私は、ゆっくりと宝箱に手をかける。装飾が豪勢な割にその重さは特になく、簡単に開いた。中には古びた本が一冊入っていた。
「魔導書だ......」
思わずにやりと呟いた。これでやっと開放される。そう思った瞬間頭の中から誰かの声がした。
「汝の望みは、絶対的な力か?否」
「......は?」
不自然なところで跡絶えた声に思わず首を傾げる。望みを否定するだけ否定して声の主は帰ったらしい。
ついでと言わんばかりに魔導書は灰となって散っていったし、気付いた時には活気あふれる街中に放り出されていた。数ヶ月かけた作戦は無事水泡と帰した。
「私以上に力を欲してる人なんていないでしょうがああああああ!!!」
これはある一人の少女がこの世界に順応するまでのお話である。
「宝物」
カツカツ、と小気味いい音を鳴らしながら人二人分通れるかどうかすら怪しい広さの廊下を渡る。今は一人だから広いほうだろうという意見は当然ご法度である。
灯りと言えば左右に点々と存在するキャンドルのみで、光量が足りているとは言い難い。というか正直暗い、前見えない、早急に帰り馳せ参じ仕りたい。
とはいえ、こんな事で宝の山をみすみす逃すというのも私の教義に反する。苦節数ヶ月、やっとこさ見つけた隠しルートなのだ。この道の先が私の命運を分けると言っても差し支えない。
それからしばらくして、行き止まりを告げる扉に辿り着いた。8つのキャンドルが円形に装飾されたそれは、予想通り押しても引いてもピクリとも動かない。当たりだ、そう確信した私はつい最近教わった呪文を唱えた。
次の瞬間ガチャリ、と鍵の開く音と共に一筋の光明が差し込んだ。
「キャンドル」
時に、強者同士の戦いは刹那的なものだと聞く。
事実、その戦いは俺が魅せられるよりもずっと早く幕を閉じた。
気がつけば、ついさっき自分が手も足も出ず地に伏せた相手が、自分と同じように倒れていた。
「この実力で相方に名乗りを挙げんのは、ちょっと無理があるやろー?」
一方元凶である先輩は相も変わらず煽り続けているが、服に残った無数の掠り後が戦闘の激しさをものがたっている。
俺はくそっ、と起き上がり際に吐き捨て立ち去った野郎には見向きもせず、ぼーっと先輩を見つめていた。
表情には出ていないだろうが、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
きっぱりと押し退ける事が出来なかったこと。安いちょうはつに乗ってしまったこと。そして、皆に迷惑を掛けてしまったこと。
目の前にいるのに、相方に合わせる顔がないな、なんて考えてしまう。
「今回お前が悪かったとこ、分かるか?」
「そ、それは......」
急な問いかけに、言葉が詰まる。そんなことは数えれば幾らだって「お前がこの子の相方じゃなかったからだ」
「相方...じゃなかっ...た......?」
思考を遮るように発せられた言葉に混乱をきたす。
相方じゃない、俺には名乗る資格がないということだろうか?当然だ...こんな実力の俺じゃ......
ボロボロに負けた後であるせいか、考えても考えても良い方向には向かわない。
「そうだ、この後暇なら付き合ってくれよ」
この時の俺には言われるがまま先輩についていく他なかった。
「刹那」