よらもあ

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4/10/2024, 12:00:57 PM

黄道十二宮のうち6番目、処女宮の主人は2人いる。

鏡合わせのように瓜二つの顔と身体は、広大な星空の中でもひときわ大きい。2人が一つの星座におさまっているのだから、それも当然なのかもしれない。それぞれが麦穂と棗椰子の葉を持ち、身を寄せ合っていた。
しかしいつしか2人は1人になり、もたらされる逸話も増え、様々な女神が星座に混同された。
それでもお互いを失わず、1人となっても2人は2人だった。

2人の中に存在する多数の女神たちの記憶、春がくれば自然と恋しくなる記憶は遠く、薄く、朧げになってしまっているが、それでも2人は自然とお互いを抱き締めた。久しぶりの再会を喜ぶ母娘のように。涙を流し、頬を寄せ、背中に回した腕は緩まない。

おとめ座を彩る女神たちの中に、冥界の女王の名がある。
処女の名を冠する可憐な少女は、光の破壊者の名に相応しい麗しい女性となった。
目も眩むようなその麗しい光は、仄暗い冥界の主を鮮やかに照らし、光に満ち満ちさせた。
冥界にもたらされた春は爛漫となったが、代わりに地上は春を失い凍てついた。

遠く朧げな女神たちの記憶の中、おとめ座の2人もまた春を迎えていた。
処女の穂先は、春の夜に青白く輝いている。




“春爛漫”

4/9/2024, 10:34:16 AM

『眠って夢を見る。
大きすぎるベットから見上げて映るのは、天蓋からふわふわと舞っている淡いオーロラのカーテンだ。ベッドの真ん中で横になり、ふかふかの布団を顎まで引き上げる。
そこに母の手が伸びて、ふかふかの布団を肩まで下ろされる。そのまま手は頭を撫でてくれて、母は寝物語を語ってくれる。
ああ、寝物語の内容はなんだっただろうか、いつも最後まで聞き終わる前に瞼は降りて、頭を撫でてくれる母の手の隙間から父の優しげな笑みが遠く聞こえてくる。
後はただ、眠って夢を見る。

朝が来て、瞼に朝日が差し込んで、鳥の声に起こされるまで。』


黄色の皮で装丁された本の表紙は、春を題材にしたものだった。描いた人物の名前に覚えはなく、しかしそれが子どもに向けたものではなく、大人のための収集本である事は知っていた。自分も少し装丁は違うが持っているからだ。
描かれた春は緑の瑞々しい蔦と葉が伸び、色とりどりの花が咲き乱れたその世界は太陽の光に溢れていた。その中心で少女が活き活きと描かれている。金色の豊かな髪に白い肌をして、膨らみかけた胸と細くくびれた丸みを帯びた腰は、見ようによっては少女というよりも女性のようにも見えた。
これは芸術なのだろうが、絵画に対する知識は薄いので分からない。中身は子ども向けの絵本にもならないような、小さく短い文字が幾つか連ねてあるだけのものだ。
本にそれほどの好き嫌いはないが、絵本のたぐいは成長するにつれて確かに読まなくなっていった。
それでもこの本の中身だけは、不意に読みたくなる時があって探し回ってまで手に入れたものだ。おかげで家にあるのはどこか古びてしまっているが、側にあれば愛着も出てくる。
今手にしているのは図書室で保管された綺麗なもので、厚さのあまりない背表紙を軽く撫でる。
物語は、とても簡素で簡潔で簡単なもの。

幼い少年が、母親に寝物語を聞かせられているうちに寝入ってしまい朝が来るまで夢を見る、ただそれだけの話だ。

僅かに瞳を閉じれば、その光景は直ぐに想像する事が出来た。
幼い少年は3歳くらいだろうか、背伸びして大きな白いドアを開く。その先は少年の為だけに作られた部屋が待っていた。白い壁にかかるシャンデリアの明かりは部屋中を包んでいる。白い天井には淡い色のカーテンが所々にかかり柔らかな印象を醸し出していた。そして白い床の上にはふわふわとした敷物が敷かれている。部屋の隅に白く大きなクローゼットがあり、傍には少年の遊び場が小さく設けられている。そこにだけ遊び道具が置かれ、敷物の色は鮮やかになっている。
窓のふちには瑞々しい芽が出た小さな鉢が置かれている。窓の横には中庭へと続くドアがあるが、少年が一人で出入りできないように鍵はしっかりとかけられていた。
部屋の真ん中には天蓋付きの大きなベッドが置かれており、天蓋からオーロラのようにかけられたカーテンがふわふわと舞っている。
幼い少年は深い橙色の頭をしていて、少年の後をついて部屋に入った母親は少年のそれとは違う色味ではあったが髪質だろうかとてもよく似ている。少年とその母親が並ぶと余計によく分かる。
部屋に入るなりベッドに転がり込む少年に、その後を追ってベッドを整える母親がいた。ベッドに腰掛けて、少年の頭を優しく撫でながら寝物語を聞かせてやる母親と、最初こそ冴えたクリーム色の瞳を輝かせて聞いていた少年のそれが段々と瞼を落としていく。そんな少年に、寝物語の声の調子を少しずつ落としながら愛おしげに瞳を細める母親。

幸せが満ち溢れたようなその光景は、どこか懐かしく思えて、そして狂おしいまでに愛おしい。

自分はいつも、大きなベッド側にある椅子に座って、少年と母親を眺めていた。少年が寝入り始めた頃に、その愛らしさに負けてほんの少し笑ってしまってから、母親の側に寄ってその肩に手を添える。少年の頭を撫でていた母親はその手を離して、ベッドから立ち上がる。
部屋の明かりを消して、小さな寝息を繰り返す少年を残して二人で部屋を出る。

そこで、いつも自分は目を覚ました。
部屋の扉がゆっくりと閉まっていくのと反対に、意識はやんわりと浮上して目を覚ます。少年が朝を迎えるのを見届ける前に、自分が朝を迎えるのだ。
それは手に持っている本の中身を知る前から自分が見るようになった夢の中での話であり、そこで自分はいつも父親の役だった。
深い橙色の頭に輝かんばかりのクリーム色の瞳の少年の、幼い無邪気な笑みはどこか自分の顔つきとも似ているように思えた。
一見して黒っぽくも見えるが透かすと明るくなる髪に灰色の瞳の母親の、柔らかな素朴さは見飽きる事を知らなかった。
いつもいつも、夢を繰り返しては、愛しさが募るのが分かった。

最初にその夢を見たのはいつの頃だったか、ただ幸せで、幸せ過ぎて、目を覚ましたその時に幸せが溢れて涙になって零れていった。
泣いて、泣いて、泣いて。
何を考えているのか、何を思っているのか、何の情報も処理できず、それを発散させる方法など分かるわけもなく、ただ、泣くしかなかった。
夢を見る毎に、自分は愛される幸せと、愛する幸せとを噛み締めながら目を覚まし、目を覚ますたびにそれを失ってしまった事を知るのだ。
あの瞬間だけは、自分はこの世の誰よりも、ずっと幸せだと言い切る事ができた。

物語の中では、少年は母親の寝物語を寝入りながら聞いているために、よくは覚えていない。
自分の夢の中では、母親は少年にいつも同じ寝物語を聞かせていた。と言っても、いつも見る夢が毎回同じなだけで、少年と母親と、そして父親役の自分はいつも同じ時を繰り返す。同じ部屋で、同じ服装の人物に、同じ表情と動作をして同じ話をする。
少年が途中で眠ってしまい、母親は寝物語を途中で止めてしまうために最後までその話を聞いた事はない。
母親の寝物語は『ヒーローが世界を救うために旅に出る』よくあるストーリー。
結末は想像に難くはなく、同じような話はどこにでも存在するが、その物語と全く同じ物語を現実で見聞きした事はなかった。探そうと思わなかったのもある。もしも見聞きする事があるのならば、夢の中の母親自身の口から聞きたかったからだ。

その寝物語を知っていたのは、アイツだった。

『余分な程に完全な世界に開いた12の穴を塞ぐために旅に出る、12人の英雄の物語』

明るい橙色の髪に、不透明なクリーム色の瞳をした奴。
ひょろりとした背に、どちらかといえば整っている顔立ちの優男。夢に見る少年がそのまま大きくなったようなその姿は、どこか自分の顔立ちとも似ているようで気味が悪かった。夢に見た少年の髪よりだいぶ明るい頭の色は、そのまま奴の能天気さを表しているようでもあった。
特に、夢の中の少年の瞳があまりに鮮やかなクリーム色だったのに対し、奴の不透明などこか濁ったクリーム色の瞳が気に障った。それが夢の中の少年と奴との違いを決定的にもしているようで、当然だが別人である事は明らかだ。
夢の中の事だというのに振り回されてしまっていた自分を恥じ入るには十分な存在であり、こちらは奴の一切を気にしないようにしているのに、何かと気にかかる面倒な奴。

そして、その寝物語の結末を知っていたのは、彼女だった。

『12人の英雄は、穴から出てくる影を退治していき、穴を塞ぎ、それを見守るために英雄もまた1人ずつ旅から外れていく。最後の1人が最後の穴に辿り着いた時、12人は王として穴の上にそれぞれ12色の玉座を据えてその上に座す。そして、余分な程に完全な世界は満たされる』

濃い色合いの髪に、灰色の二重の瞳の彼女。
小さな身体に、素朴な顔立ち。夢に見る母親にはまだ届かない幼さのたぶんに残る姿は、未来の彼女の姿を自分が垣間見たような錯覚を起こさせた。夢に見た母親の方が彼女の髪の色よりかはずっと濃いが、触れれば同じ髪質なのだろうと思うのは、夢に見た母親の髪と彼女のそれが重なるからだ。
夢の中の母親と彼女は繋がる所はあっても別人であり、同じように見ているわけでは決してない。
だいたいが、夢の中で自分と彼女は夫婦であり、お互いにこれ以上ないほど愛し合っている、などと口にした所でそれは自分の妄言と捉えられても可笑しくはない。
あくまでも夢は夢でしかなく、現実は現実でしかない。だからこそ、現実の彼女の笑顔こそが一番なのだ。

手にしていた本を、本棚の中に戻す。
黄色い装丁の薄い背表紙の本は元あった場所に当然ながら綺麗におさまった。
時計を見ればあまり長い時間、図書室に居たわけではなかったらしい。気晴らしに立ち寄った図書室で見知った本があるのを知っていたから手に取っただけの事だから、時間的には当然かもしれない。
時間はまだあるがこのまま図書室に居てもする事はないので出ようかと思った所で、彼女が寝物語を締めくくる言葉を思い出した。

彼女はこう寝物語を締めくくる。

『しかし、余分な程に完全な世界に、王は存在しない』





“誰よりも、ずっと”

4/8/2024, 4:08:14 PM

昔、聞かせてもらった話がある。

思いがけず出会ったばかりの男女が、はじめての冒険をする物語。
洞窟に迷い込んだ2人はその暗い道幅をおそるおそる進んでいく。
暗い世界は恐怖を煽り立てるのに、すぐ隣にある熱があまりに熱くて心臓が躍っているようだったという。
道すら無くなり、なんとか見つけ出したボートに乗り込んで波に揺られながら漕ぎ出した時の高揚感。
大きな波に揺られた時にお互いを抱き止めながら進めば、遠く先にキラキラと明かりが見えてきた。
そう、ようやく洞窟を抜けたのだ。その先に広がるのは大きな月と満天の星空だった。
2人の男女は抱き合って月に感謝をし、その冒険を通して相手がどれだけ大切なのかを実感したのだという。
そしてその気持ちは、いくら時間がたっても褪せることはなかった。

なんていう祖父と祖母の初デートの話が好きで、何度もせがんで聞かせて貰った。
もっぱら両者とも恥ずかしがってしまって、その時の御付きの人がどれだけヒヤヒヤしたかという話がメインになってしまっていたが。
これからも、ずっと、ずっとずっと聞き続けていたかったが、今はもう聞くことは叶わない。
月を見上げて、満天の星空を眺めて、その中に若かりし祖父と祖母の姿を見る。

おかげさまではじめての洞窟デートに憧れすぎてしまい、自分自身はデートどころではなくなってしまった問題の解決方法も聞いておけば良かったな。





“これからも、ずっと”

4/8/2024, 4:11:52 AM

断崖絶壁でおこった断罪劇は誰一人失うことなくその幕を閉じた。

幼い頃から苦しめられてきたが、健気に生きてきた少年。
その少年を守ろうとして密かに手を貸していたが、ついに悪事に手を染めてしまった老人。
その老人の悪事を紆余曲折ありながらも解決に導いた余所者の青年。
自らの罪を認め少年の足枷になるまいと断崖から身を投げようとした老人を間一髪で助けた刑事。

全てが怒涛の連続であったが、なんと助けられた老人が急に狂ったように笑い出したのだ。
何事かとどよめく周囲をものともせずに、刑事を振り払った老人はどういう技術なのか全く分からない早業で身につけていたものを脱ぎ払うと全くの別人となって自らを怪盗と名乗った。
怪盗は先程までの老人のものとは違う若々しい声で余所者の青年を褒めたかと思えば不適な忠告をしたあと、少年へ意味ありげな優しげな視線をやる。
そしてそのまま怪盗は素早い動きで沈む夕日の向こうへ飛び立っていったのだ。文字通り、飛び立っていったのだ。
いや、怪盗がちょっと長めに話しているその間に刑事も止めに入ればいいのだが、何故か目を見開いて怪盗の名前らしきものを叫ぶだけだ。どうやら有名な怪盗らしい。

遠くサイレンの音が聞こえ、刑事の部下らしい人が老人を連れてきた。
この老人はどうやら本物らしい。少年が潤んだ瞳で老人の胸に飛びつき、老人は訳がわからないようではあるがとりあえず少年を抱き締めて宥めてやっている。そりゃそうだ。急に連れてこられて理解できるわけないものな。
見ていたはずのこちらも訳が分からない。

余所者の青年は夕日に消えた怪盗の方向を向いていたかと思えば、踵を返してどこかへと向かっていく。
刑事は怪盗の登場を何処かへと伝えたあと、捜索に力を入れるようで部下たちに指示を出している。

結局、暴かれた悪事は老人が行ったのか怪盗が行ったのか有耶無耶なような気がするが、自分もまた捜索を指示された警察官の姿なので言われた事に従う事にした。

さっさと消えてしまう算段もとらなければ。いつまでもここに居たらこちらの気が狂いそうな気がしてくるのだから困ったものだ。
確かに頂くものは頂いたが、今回の仕事は割に合わない気がしてならない。





“沈む夕日”

4/6/2024, 3:12:06 PM

黄道十二宮のうち1番目、白羊宮の主人であるのは金毛の羊であった。
子ども2人がゆうに乗れる巨体をふわふわと揺らしながら星の草原を歩いていく。
きらきらと瞬く美味しそうな星の芽草たちについ気を取られてしまいながらも、金毛の羊は目的地へと進んでいく。

今の白羊宮は賑やかだ。
太陽も水星も金星も白羊宮に滞在しており、更には新月の時期が近づいているのだ。このたびの新月は吉兆だと云われているのもあるが、忙しい惑星たちをもてなしてやりたい金毛の羊も自然と大忙しだ。これ幸いにと自分も飲めや歌えやと騒ぎ立てたいだけかと言われれば否定するつもりも金毛の羊にはないが。

星の草原をだいぶ進んだあたり、遠目に見えてきたのは山盛りの荷物を抱えた男だった。端正な顔立ちの男は星の草原を遠く広く眺めているようだった。
そちらに向かってつい駆け出した金毛の羊に、男の方も直ぐに気が付いた。手を振り上げて歓迎してくれている。手を振り上げた拍子に、男の外套がはたはたと風に揺れていた。星々にきらきらと反射する金毛の眩さに誰もかれも気が付かないはずはないと意気揚々と男に近付く金毛の羊は、ふんふんと鼻を鳴らしながら駆けたそのままの勢いで男の胸に飛び込んだ。
どん、という大きく鈍い音が響いて、衝突の振動で星が揺れる。しかし金毛の羊はふんふんと鼻を鳴らしたまま男の胸元にその顔を擦り寄せた。男の方もまた快活に笑いながら金毛の羊を受け止めて、そのご自慢の金毛をふわふわと撫でてやっている。無骨な男の手であるのに繊細で優しいその撫で方が、金毛の羊は好きだった。
惜しむように男から離れてから、金毛の羊は山盛りの荷物に視線を移した。めぇ、めぇ、と確認するように何度も鳴く。

「頼まれた物は持ってきたさ、アリエス。宴用の肉もあるし、君や羊たち用の新鮮な穀物や野菜もある」
めぇ、めぇ、と更に鳴く金毛の羊に、男はにこにこと人の良い笑みを崩さずに応えてやる。
「人馬宮にはだいたいあるからな、お安い御用だ。肉はわたしが狩ったやつだぞ」
男が金毛の羊の言葉を解するのは、男もまた獣であるからだ。
男は人馬宮の主人であり、いて座のその人であった。半人半馬と金毛の羊は獣象で重なっているためか他のしし座やおうし座、さそり座などとも言葉を交わすことが可能であった。器用に人も獣もやってのける男は、金毛の羊だけでなくほかの星座たちにとってもたいへんありがたい便利屋みたいなものだ。
星の草原が広がる白羊宮には羊肉はそこらに溢れるほどいるにはいるが、金毛の羊も身内をできるだけ捌きたくはない。それに羊肉というよりかは羊毛としてその豊かな毛を持つ羊たちを集わせているのだから尚更だ。それに比べて人馬宮には星の狩場が広がっているせいか、山や森の敷地が広がり、側にある天の川のおかげか獲物はふくふくと肥えている。本業、狩人というだけでなくその馬の身体のおかげでひとっ走りであちこちへと跳んでいけるいて座に頼らない手はなかったのだ。
めぇ、とそこで金毛の羊はようやく気が付いて首を僅かに傾げた。
いて座だ。半人半馬の男はただの二本足で立っているではないか。しかも人間の足だ。そういえばいつもより背が低い。
確かにいて座という男は色んな姿形をとることがあるのは金毛の羊も知っていた。獣象というだけでなく、火のエレメントでも共通するからか会う機会は度々ある。その時もその日の気分だったからと犬の頭に背中に翼を生やして登場した時もあれば、蠍の頭に山羊の下半身をしていながら蠍の尾をくっつけて登場した時などはやぎ座とさそり座からだいぶ白い目で見られていた時もあった。
金毛の羊はそんないて座が面白くていつもどんな姿で登場するのかと楽しみにしていたものだ。
ただ今回ばかりは荷物もあれば距離もある。見慣れた半人半馬の姿で現れるかと思っていたから、ただの男の姿であることに今さらながら金毛の羊は疑問を抱いたのだ。
めえ、と金毛の羊は鳴く。すると目の前の男はふと笑みを隠して、

「なんでって言われてもな。人間の背丈の方が妻にキスがしやすいんだよ」

と、答えた。
当然のように、何故尋ねるのかと不思議そうに男の眉が寄ったが、それも直ぐに口元が緩んで笑みに変わる。
「まあ、彼女は人間の姿よりかはもっと色々奇抜な方が好きらしいんだがなぁ。それでもいいのはいいんだが、やっぱり丁度いいのがこの姿なんだよ」
ふにゃふにゃとしまりのない男の顔に、金毛の羊は無意識に大きめの息を吐いた。そしてまた一言、めえ、と鳴く。
「羊毛そんなにくれるのか?ありがとう、彼女も喜ぶよ!」
そういえばいつか男が言っていたが、男の羽織っている外套は男の妻がせっせと繕ってくれたものだそうだ。星座にあげられた男が最初に貰ったプレゼントだそうで、「医療関係者だから包帯の扱いが上手いんだが、外科的技術もあるから糸の扱いも上手いんだよ」と惚気ていたのを思い出した。一緒に聞いていたおとめ座が女性への褒め方がおかしいと指摘していたから、それが本当に惚気として正しい言葉なのかは金毛の羊には判断がつかなかったが。

それでも金毛の羊が男の目を見つめると、何故だか自分も幸せな気分になれた。
そうだ、ただの羊毛だけでなく、自分のこの金毛もほんの少しだけプレゼントしてみようかと金毛の羊も大きく口元を緩めた。





“君の目を見つめると”

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