わたしはなんだ?
いくつかの頭がある。
男の頭だ。戦士の頭だ。これはよく見る、狩人の頭だ。耳が尖っていたり、角が生えているのもある。蠍の頭に、鷲の頭まである。彫刻のような青年の頭もあるぞ。
いくつかの身体がある。
男の身体だ。戦士の身体だ。これはよく見る、馬の身体だ。翼が生えているのもあるぞ、蠍の身体にだ。山羊の身体もある。尾だけが蠍のものもあるな。
いくつのかの道具がある。
剣だ。槍だ。これはよく見る、弓矢だ。笛やカスタネットなどの楽器もある。
いくつかの名前がある。
しかしその殆どは欠け、崩れ、曖昧になっている。
あらゆるモノが、あらゆる性質が混同され、かと思えば引き剥がされる。
愛を乞うた妻の顔も名前も姿も朧げだ。
己より大切だと抱き締めた子どもたちの顔も名前も姿ももう星空に溶けた。
わたしはなんだ?
わたしはどうしてここにいる?
わたしはなんのために生まれた?
なぜ意識がある?
なぜ心がある?
────ああ、こんなに面白いことが世の中にあったとは!
この星空の下で生まれた文化が、文明が、どれだけ尊いことか!
これからも生まれ続ける!
これからも紡がれ続ける!
わたしはわたしだ!
この星空がある限り、それを見上げる羊飼いがいる限り!
この営みのなんと愛おしいことか!
“星空の下で”
黄道十二宮のうち7番目、天秤宮の主人。
黄道十二星座において最も若輩であるてんびん座。
生命宿る生体でなく、正義の女神アストライアーの秤。
単体の由来は語られず、時すら測ると言われるも云われは定かではない。
その姿を指し示す星でさえ、一部はさそり座のものであったという。
物であるが故か、天秤宮に自然物は少なく画一的に建造物が配置されているのみである。
それでいい。
黄道十二星座のうち最も若輩であるというが、それは何より未来ある星座であるからだ。
女神の添え物としてあるだけでなく、特別に天に上げられた名誉ある秤である。
善悪を測るだけでなく、昼と夜に限らず、全ての物を平等に指し示す象徴に変わりはない。
元がさそり座の一部であったというが、今や誰しもが認める己の秤である。
均等のとれた輝かしく美しい星々の宮は、天秤宮以外には存在しない。
天秤宮の主人は、今宵も星の宮で優雅に微笑んでいる。
“それでいい”
僕の命はもうおしまいだ。
けれど実は1つだけ、助かる方法があるんだ。
……どうして笑うんだ、こっちはこんなに真剣なのに。
さあ、ダーリン。僕にキスをして。
僕の命を助けておくれ。
“1つだけ”
はらはらと溢れて止まない涙が、少女の頬を濡らす。
白魚の手がそれを受け止めようとするが、溢れる雫は散りばめられた星の中に消えていく。
深い星の海の中に横たわる半身が魚の少女は、深い悲しみに満ちていた。その少女の周りをゆっくりと、少女の悲しみを伺うように魚が泳ぐ。少女の尾鰭と魚の巨体を繋ぐ紐がゆらゆらと揺れていた。
少女は別れが寂しいのだ。
一月ほどしか少女の側に居られない太陽はつい先日に去っていったが、少女はその太陽から聞く話が大好きだった。万物を見渡す太陽は、少女の知らないものや触れたことのないもの、聞いたことのないものの話をしては少女を喜ばせてくれたのだ。
次に出会うまで一年かかる。その事実が少女には無性に寂しく思えてしまい、涙を流して深い星の海の底に沈んでしまった。
愛らしい少女が深く悲しむ姿が、魚もまた苦しかった。
瞬く星たちの中で、少女と魚がまとう星の明るさはあまり目立たない。だからきっと、少女がこんなにも悲しんで沈んでいることを知られることはないのかもしれない。魚はせめて己だけでもと少女に寄り添うようにそのすぐ側に巨体を横たえた。
──────のは、つい先程のはずだ。時間でどれくらいかと言われれば魚には分からない。分からないが、分からないなりに分かることもある。深く落ち込んで沈んでいた少女は今や、きゃあきゃあと声を弾ませて海王星の星占いを聞いている。なんならその側で土星も微笑ましげに見守っているではないか。
星が星に星占いをしていることに何の意味があるのかは魚には分からないが。
太陽と違い長めに双魚宮に滞在する海王星や土星はもちろんのこと、何なら今の時期は火星や金星も双魚宮に滞在しているので賑やかなものだ(金星はそろそろ出て行くらしく準備しているが)。
魚はその巨体を泳がせずに横たえたままであり、少女ははしゃぐたびにその巨体をぺちぺちと叩いている。
なんでも海王星と土星がいる今がうお座の夢を叶える成長の兆しが云々とか何やら魚には理解しがたい話の真っ最中である。少女は良い兆しかと喜んでいるが、先ほどまで太陽が去ったのをあんなにも悲しんでいたのが嘘のようだ。まるで泡のような浮き沈みの激しさだなと考えつつ、魚は目だけをぎょろぎょろと動かした。
太陽に聞いたのだったか水星に聞いたのだったか忘れたが、少女の天真爛漫さは地上ではよく知られているそうだ。実際に目にしたことのない少女のことをよく知っているなと驚いた記憶がある。機会があれば、宝瓶宮か人馬宮にでもその理由を聞いてみようかと考えてみたが、独自の理論や哲学で捲し立てられても魚には理解出来なさそうだなと思い直したことがある。それならまだ丁寧に我慢強く教えてくれそうな処女宮と天秤宮に尋ねに行く方がいい。今度こそ尋ねてみようと魚は頷けない頭をエラを動かすことで頷く気分になってみた。
そうやって巨体がわずかに動いた瞬間に、視線が当たり前のように少女の姿を捕える。少女もまた魚の方へ愛らしい笑みを向けており、どうやら海王星から聞きたての星占いを魚にも教えてくれるらしい。喜ばしいことは一番に魚に教えてくれるのは少女の常だ。
二匹は離れられないわけではないが、離れたことはない。
近過ぎるほどに近い距離は、互いに丁度いい。
同じものを共有して、大切なものを当たり前のように分け合うのだ。
昔からの親しい友人のように、親子のように、兄弟のように、恋人のように、英雄と姫君のように、鏡ごしの自分相手のように。
体の星が細く瞬いて、魚は笑った。
魚が笑ったのを理解していたのもまた、少女だけであった。
“大切なもの”
星の海を二匹の魚が優雅に、雄大に泳いでいる。
尾が紐でキツく結ばれている二匹は、しかしそれをものともせずになんの憚りもなく星々の合間を縫っていく。
片方は愛らしい少女の上半身を持ち下半身の尾鰭が星の海に反射してキラキラと輝いている。その尾から伸びた紐は少女に比べて随分と大きな魚体に結ばれており、少女を庇うようにその巨体をうねらせながら泳いでいる。
星の位置が変わる。
それは少しずつではあるが、確実に、幾度も行われてきた事でもある。
少女の愛らしい声色が太陽に届く。歌っているかのような誘うようなその甘い音に、ついつい足を止めてしまいそうになる。
しかし、太陽は留まる事を許されない。全てを遍く照らし昼には地上の全てを見守り、夜には生者を守ってやらねばならない。
あの愛らしい魚の女神のことも見守っていた。
湖に落ちてしまった時はどうしたものかと思ったが、あの雄大な魚が彼女を助けたのを見届けて安堵したのはいったい何世紀前だっただろうか。
地上でいう4月には、太陽は魚の女神たちの側から離れてしまう。
あの愛らしい声色は別れの歌か、それとも再会を願う歌か。
星々の間を舞うように泳ぐ姿はそれは見事なものだった。仲の良い女神と魚の姿はとても微笑ましいものだった。
しかし、四月の魚を見ることは叶わない。
太陽は黄道を進む。
“エイプリルフール”