「我が校からもあの有名大学へ行く者が現れるとは。非常に誇らしいぞ」
「いえいえとんでもございません!皆様の指導のおかげで……」
自分の後ろでニヤニヤと笑いながら話す親の声が聞こえる。所詮親の言いなり。全部言う事を聞いて全部それ通り実行する機械。
「ほら、アンタも何か言いなさい」
「……色々な事を教えて頂きありがとうございます」
100点の回答。マイナスもプラスもされない平凡な回答。これでいい。何もかも上手くいくならこれで。
……と、思っていたが。担任の先生はどうやら違うらしい。
「𓏸𓏸、お前は本当にここへ行きたいんだな」
「……はい」
「お前の成績なら好きなところを選ぶ権利がある。かと言ってあまり低すぎるところもあれだが……、何かしたい部活や入りたい学部はあるのか」
「……行ってから決めようかと」
「…………𓏸𓏸は、自分に誇りを持った事はあるか」
「……いえ」
「先生はな、親の言いなりで先生になった。なったはなったで楽しいが、本当はラッパーになりたかったんだ。まぁ厳しかったあの家では嫌味しか言われなかったが!」
「はぁ……」
「自分の職業、自分のしている事、自分の夢に誇りを持って、これこそが私の夢だと言えば認めてくれるさ」
「……そうですか」
「……ま、時間はある。たくさん考えるといい」
そう言って立ち去る先生の後ろ姿はどこか寂しそうで。自分の薄っぺらい志望理由が書かれた紙を見つめる。
クシャりと紙の端を握りしめると、自分の足は先生の後を追っていた。
『誇らしさ』
冷たい水が足首に当たって、波が引いていく。絞り出す様なため息を吐いた後、1歩1歩踏み出した。自分の存在を否定するみたいに波が歩いた足跡を消していく。
実際、死にたくてここへ来た。でもいざ来ると、ちゃんと足が竦んでまだ生きていたいと脳みそが叫んでいた。
携帯の通知音がうるさくて、電源を切る。
早くなる鼓動が騒がしくて、深呼吸する。
真っ暗な海に今すぐ沈みたくて、足を進めていく。
胸元まで水へ浸かる頃には体の温度が分からなくなっていた。ゆっくり目を閉じて、波に身を委ねる。
少年はバサッ!と布団を蹴って勢いよく目を覚ました。手元に見える大量の薬がまたその失敗を物語っている。これで何度目だろう。早く居なくなりたいと思っている心と裏腹に効果が出なくて苦しい後遺症だけがのしかかる。
家の窓から見える広い海が、自分を忌み嫌うように音をたてた。
『夜の海』
いつもの帰り道、軽トラ1台すら滅多に通らない田舎道をのんびり2人で走る。
「今日のテストどーやった」
「ふつう」
「普通かー。お前の普通は60点くらいか」
「お前がアホすぎ」
「そんな事ないし」
キャッキャと騒ぐわけでも無言なわけでもなく、のんびり2人のペースでキャッチボールが交わされていく。その日も特に特別な会話はなく、宿題の愚痴が交わされていくだけ。
「……そーいや大学どーすんの」
「行く予定」
「ふーん」
「お前は?」
「就職」
「あっそ」
進路の話を全くしてこなかったと言えば嘘になる。かと言って相手の行く先が全く興味無いかと言えばそれも嘘になる。小学校からずっと一緒だったのだ。少し不思議な間がうまれる。
「……どこの大学行くん」
「県外。そのまま就職するからもう会わへんかもな」
「……ふーん」
「何、寂しいん」
「んな訳あるか。じゃ、また明日な」
「おう。……ちょっと待って、これ」
「何」
あい、とぶっきらぼうに差し出されたのは数枚の紙切れ。紙いっぱいに色んなイラストが書かれている。
「お前の目にも届くくらい有名なイラストレーターになるから見とけ」
「……じゃあいつか俺が会社建てたらロゴ書いて」
「任せろ。約束な」
「約束」
軽くグーパンを交わして、互いの家に帰っていく。明日の帰り道も楽しみにしながら互いの夢に思いを馳せた。
『自転車に乗って』
「今日は僕が行く」
「何で?まだ」
「駄目。僕が行くから今日はここにいて」
ふかふかのソファに座らされ、乱雑に頭を撫でられた。一気に不安が解けていって、ソファにぐったりと体重をかけた。
「ゆっくり休むこと。いい?」
「……わかった」
「ん、じゃあ行ってくるね」
「……さん?𓏸𓏸さん?大丈夫ですか?」
目を開ける。
「良かったぁ……5分程気絶されてたので心配だったんですよ」
人物を認識する。
「じゃあこの作業、お願いしますね」
手元にある押し付けられた大量の資料を見る。
「……はい、分かりました!」
笑顔を浮かべて、有能な𓏸𓏸を演じる。𓏸𓏸の中で産まれた有能な自分。主の心が回復するまでは、僕が偽りの君を演じ続けるから安心して休んでね。
『心の健康』
「な、んで……」
「えへへ……」
目の前にいるのは、死んだはずの彼女だった。俺の家へ来る途中、交通事故で亡くなったと知らされた時は後悔と苦痛で壊れそうな程泣き喚いたのだ。
それなのに、自分の目の前には、彼女がいる。
「1日だけ、会いに来たよ」
「……1日?」
「うん。ほら、手とか足とか透けてるでしょ」
「おう……」
「1週間だけ一緒にいれるから、後悔してる事全部しよ!」
「待って、頭が追いつかな」
「早く!行こう、今夏休みでしょ?」
彼女に手招きされるがまま、ショッピングモールやら遊園地やら駆け回る。周りから見たら1人で男子がはしゃいでいる異様な光景なのだが。
振り回され続け、気づいたらもう太陽が沈みかけていた。途中からは自分も楽しくなって、手を繋ごうとし他が彼女の手は掴める訳がない。
「あ!ストリートピアノ!弾いてもいい?」
「もちろん。お前のピアノ久々に聴くな」
「確かに。マンションじゃ置けなかったもんね」
周りから見ても不思議じゃないように、自分も座って鍵盤に手を添えておく。ぽんぽん、と膝を叩き、彼女を自分の膝上に乗せた。……乗せるフリなのだが。
「何弾くんだ?」
「んー……じゃあ王道にカノンで!」
そう言って彼女はピアノを弾く。他の物体には触れなかったのに、何故かピアノだけは音を奏で始めた。
「……綺麗」
ぼそり、と心の声が漏れる。ピアノの音も、滑らかに動く手も、楽しそうにピアノの弾く彼女も。優しい音色が広場に響き渡る。
4分程で一通り弾き終えると、彼女はふんわりこちらに向かって微笑んだ。
「ほんとに出会えてよかった。私の分までお幸せにね!」
「待って、まだ」
透明になっていく彼女の顔が近付いて、唇にひんやり冷たい感覚。一瞬、瞬きをしたが最後彼女は居なくなっていて、通りがかりの人達が“俺”のピアノの演奏に拍手を送っていた。
『君の奏でる音楽』