高く真っ直ぐ咲き誇る向日葵畑の中を、君の手を引いて歩く。夏だというのにひんやり冷たいその手を引いて、奥へ奥へと地平線に向かって歩いていく。
「今年の夏はどう?」
「……程々に、かな」
「そっか」
「ちょっと暑すぎるかも」
「確かにね」
年に1ヶ月、8月限定の友達。この場所この時間でしか出会う事が出来ない。
「今年はどんな夏の風物詩を持ってきてくれたの?」
「今年は〜、これ!」
「……んむむ……何これ」
「これはね、麦わら帽子って言って、頭に被るものだよ」
「むぎわら、ぼうし」
「僕らの住んでる所では、アニメの主人公も被ってるよ」
「へぇー!被ってみてもいい?」
「もちろん。プレゼント」
彼女は嬉しそうに麦わら帽子を被って、その場でくるくるとまわった。
「えへへ、似合ってる?」
「似合ってる。お洒落に見えるよ」
「ありがとぉ!」
僕のスマホアラームが鳴る。あぁ、もう時間か。1時間しか一緒に居られない。というか彼女が1時間しかヒトの姿で居られないのだ。
「……もう今日は終わり?」
「うん。また明日」
「……分かった」
「また明日ね」
寂しそうな彼女の頭をぽんぽん、と撫でて元の世界へ歩き出す。瞬きをすれば向日葵畑はどこにも無く、古びた神社の目の前に立っていた。
あの世界に初めて行ったのは小3の頃。かれこれ通い続けて8年。毎年行けないんじゃないかと不安に思いながらこの場所へ来ている。
お揃いで買った麦わら帽子を被って、倒れてしまいそうな暑さの街へ戻って行った。
『麦わら帽子』
電車に揺られ、心地よい温度に目を瞑る。自分の降りる駅は1時間先の終点だから、多少眠っても大丈夫……。
「……さん、お姉さん、終点ですよ」
とんとん、と肩を何度か優しく叩かれ目を開ける。ぱちぱちと瞬きして、お礼を言おうと声の主を見上げた。
「ありがとうございま……ひっ?!」
「……どうかされました?」
「く、くび、」
見上げた先に居たのは人の形をしているのに首がない化け物で、首がないのに声が聞こえる。
「……あれ、貴方……まぁいいや。家はどの辺です?」
「は、ぇ、ぁ……」
「送っていきますよ」
「や、やめて……まだ、」
「あー……ごめんなさいね。悪意とか敵意はなくて、そのー……ここに居るべき人じゃないですから、向こうまで送り届けます」
「ひゅ、っ……」
恐怖から過呼吸になる自分の背中を優しくさすり、手を重ねられる。その手は何故か温かくて、妙に安心した。
「帰りましょう。貴方の居るべき場所へ」
手を引かれ駅を通り抜けて、やけに霧の濃い街を足早に歩いていく。その足はまるで、自分の家へ行くかのように迷いなく進んでいくのだ。
「……ここ、ですよね」
「あの、なんで」
「早く帰りなさい。ドアを開ければ帰れるはずです」
「……わ、かりました……」
ドアを開け、玄関に入る。キィ……と音を立てながらドアが閉まりきる寸前、悲しそうな声が聞こえた気がした。
「……会えてよかったよ、お姉ちゃん」
自分に弟なんかいない。双子になる予定だったと言うのは親から小耳に挟んだ事が、……ことが、ある。
勢いよく後ろを振り返ろうとしたその時、目の前にひろがったのはいつもの見なれた終点の駅だった。
『終点』
大丈夫、と背中を叩かれた。これで何度目だろう。大好きだった競技がだんだん嫌いになっていく。自分のせいで、自分が、
「𓏸𓏸」
「……は、はい!」
「また何か考えてたでしょ」
「ごめんなさい!集中します」
「𓏸𓏸、こっち向いて」
強制的に目線をあわせられて、頭をするすると撫でられた。
「𓏸𓏸が居なくなったら、誰があそこ守るの?」
「……そ、れは」
「私より上手い人がいる、でしょ。分かりやすすぎ」
「……ごめんなさい」
「監督も私達も𓏸𓏸に守って欲しいから」
「……はい」
「…………自信つくまでやるよ!」
「は、はい!」
腕を引かれ、またあの輝かしい場所へ戻っていく。自分を好きになる為に、自分に自分を認めて貰えるように。
「𓏸𓏸の目標は、𓏸𓏸を好きになる事。いい?」
「が、頑張ります!」
嬉しそうに笑った先輩の顔が、あまりにも眩しくて目を逸らした。
『上手くいかなくたっていい』
僕は、天才だから。
「𓏸𓏸なら何でも出来るわ!」
「𓏸𓏸、お前は天才なんだ」
僕は、秀才だから。
「……テスト、100点が当たり前よね?」
「97点か……今日は補習だ」
僕は、
「何でこの程度の事が出来ないの!」
「お前には失望したよ」
小学校と中学校は成績トップだった。先生からの評価も良くて、運動も勉強もできる。行事ではリーダーを務め、周りからも頼られる僕。
沢山甘やかされて生きてきた。テストで90点台を取れば、褒めてくれてゲームを買ってくれた。お手伝いをすれば、お小遣いが貰えた。
僕は高校生になった。少しレベルの高い高校に入った。勉強も部活も忙しくなって、家事も合わせてするとなると自由時間は0だった。削ることの出来る時間は睡眠時間くらいだ。
僕はおかしくなっていった。僕だけじゃない、親も周りも、僕は1人になっていく。ヒソヒソ、ひそひそ。聞こえてくる嫌な声。
「𓏸𓏸君とは友達になれないかな」
「分かる、何か噛み合わないよね」
「𓏸𓏸は優秀なの。もっと出来る子のはずなのよ」
「そうだな。俺達は間違ってないさ」
人から向けられる目が、視線が、感情が……怖い。深夜、家という名の檻から脱走して、山奥へひたすらに走る。ひたすらに、ただ奥を目指して。
意識が朦朧とする。寝不足と疲労が相まって、急に動き出した体に身体が追いついていない。視界が歪む。まだ、こんなところじゃあそこから逃げられない、まだ。
……不思議な花畑に出た。色鮮やかな1面の花げしきに、蝶が飛び回っている。ボロボロの体は、無意識に花のカーペットへ仰向けになって寝っ転がった。
ぽかぽか、ふわふわ。夢みたいな空間で僕は目を閉じる。
僕は、天才だった。
僕は、秀才だった。
僕は、
ぼくは、しあわせじゃなかった。
『蝶よ花よ』
分かってた。全部分かってた。
微笑みながら消えていく彼女に手を伸ばす。その手は空を切って、何もいない夜の下で1人僕は佇んだ。
「……ゆうれい」
「ほんとに私の事見えるんですね?!わぁー!」
小さい背丈でぴょんぴょん飛び跳ねながら僕の手を握る彼女。いや、握ろうとしているがそんなスケスケの手で握れるわけが無い。握るフリを一生懸命する彼女。
「一緒に夏をすごしてください!二度とないチャンスなんです!!」
30分程ずっとまとわりつかれ頼まれ続け、折れたのは僕だった。夏休みの期間だけ、一緒に過ごす。成仏のお手伝い。
スイーツを食べに行った。買い物に行った。カラオケに行った。プールに行った。夏祭りも行った。
「あーんするふり!お願いします!」
「はぁ……はい、あー」
「あー!」
周りから見ると一人で喋ってるヤベェやつなので、陰に隠れてひそひそ話す。チョコバナナを口に突っ込む仕草をしてやれば嬉しそうに笑った。
「……私が居なくなった日も、こんな感じになるはずだったんですよ」
「……ふーん」
今まで一度も話し出さなかった、生きてた頃の話。彼女はぼんやり夜の空を見上げながらぽつぽつと話し出した。
「彼氏だった人と、祭りをまわって、一緒に花火を見て、帰る予定でした」
「……うん」
「彼氏さんが遅れるって言うから、待ってたんです」
「……」
「そしたら、複数人の男の人に囲まれて気付いた時には裸のまま、ぐしょぐしょのままその辺に捨てられてました」
「……」
「動く気力もなくて、目を瞑ったら、スケスケになってたんです」
「……」
「あー死んだんだって、すぐ分かりました。前の彼氏さんにそっくりな貴方が私の姿を見えるって言った時、運命だと思ったんです」
「……その前の彼氏ってさ、𓏸𓏸?」
「え?!そうですけど、なんで」
「それ、僕のお兄ちゃん。数ヶ月前に事故にあって今は植物人間」
「……そんな…………」
「お兄ちゃん、君のことめっちゃ大事にしてた。家でもずっと自慢してたよ。お兄ちゃんが目覚めるまで、もうちょっといてあげて」
「……ごめんなさい。私タイムリミットなんです。彷徨い続けてもう3年も経ってしまった」
「お兄ちゃんに合わせに行くから、もうちょっとだけ、」
「でも!最後に貴方に会えて良かったです。お兄ちゃんが目覚めたら、よろしくお伝えください。まだこっちには来ないでって、言っといてください」
「待って!」
タイムリミット。最初から決まっていたらしい。もう少し早く出会えていたら、お兄ちゃんの未来も変わっていたかもしれない。
何もいない夜の下で独り僕は佇んだ。
『最初から決まってた』