座椅子に腰をかけ、煙管を吸う。
檻の外を眺めて、ため息を吐く。
「あ、あの……」
「……いらっしゃい、こっちおいで」
襖が遠慮がちに開く。色目と手馴れた動きで自分の元へ誘導して、そっと相手の太ももに手を添えた。
逃げよう、なんて考えたことは無い。考えすら思い浮かばなかった。
甘い音と衣服の擦れる音が響く。何故こんな事をしているのか、なんて考えるのはとっくの昔にやめた。
これは何ら変哲のない、ただの日常。
『日常』
少女の目は悪魔の眼。彼女の目を見たものはこの世から居なくなってしまう。そんな伝説がある。
少女の瞳は、人間という生物上絶対にありえない真っ赤な瞳で、眼の中央は紫色で染まっていた。
呪われた子。
必要のない子。
存在してはいけない子。
そんな言葉がそれが少女の2つ名だった。
しかし少女の親だけは、彼女を愛していた。しっかり愛情を与え、時に厳しく時に優しく。
少女はまっすぐに育った。人間の友達こそ居なかったが、様々な動物達に囲まれ生きてきた。
……そんな世界が続く訳などなく。
「やめて!この子は悪魔なんかじゃないわ!」
母の悲痛な叫び声、父の怒号。少女を守ろうと動物達が立ちはだかる。
刹那、銃声が響き世界は静寂に包まれた。少女の顔に生暖かい液体が飛び散る。目の前の世界が真っ赤に染まる。
「死ね!悪魔め!!」
パァン!と乾いた銃声、と同時にぐちゃりと少女の足元に転がる人間だったナニカ。
「初めましてお嬢様。……いや、我が主。お迎えに上がりました」
「……どなたですか?」
「貴女は嫌いな言葉かもしれませんが……ワタクシ悪魔と呼ばれている者でございます」
「…………何の御用ですか?」
「貴女には我々悪魔の主になれる素質がある。是非我々と共に世界を創りなおしませんか」
「………………」
「貴女の……主の力を貸して頂きたいのです」
「……力を貸せば、…………」
「…………何でしょう」
「…………力を貸せば、この色がまた見れる?」
そう言って少女は人間だったナニカを見つめる。悪魔が強く頷くと、少女は1歩ずつ悪魔の方へと足を進めていった。
「私ね、この色初めて見たの。赤とも黒とも違う、この色」
「そうなのですか。ワタクシもこの色は好きですよ」
「私、この色好き。だから」
ぐちょ、ぐちょ。少女は人間だったナニカを踏み潰していく。素敵な足音を立てながら、悪魔の目の前まで行くと床に転がっていた肉片を拾い上げ、幼い手で握りつぶした。
「この色……この大好きな色、沢山見せてくれる?」
「えぇ勿論。仰せのままに、我が主」
少女は頬に飛び散った液体をぺろりと舐めとって、にっこり悪魔に微笑みかけた。
……少女の目は悪魔の眼。彼女の目を見たものはこの世から居なくなってしまうのだ。
『好きな色』
「出会ってもう12年……ですか、時の流れは早いですね」
「ね!これからも色んな所行こう?」
「もちろん、沢山行きましょう」
ぎゅっと手を繋いで歩く女子2人。中学生の頃から、先輩と後輩の付き合いである彼女達は、今日もカフェ巡りをしていた。もう日が沈み始め、空は薄暗く色を変える。
「そういえば、𓏸𓏸さんは彼氏とどうなったんですか?」
「んー……特に進展はないね」
「もう付き合って2年……ですよね?」
「そうだねぇ」
「彼の方からは何かアプローチ……とか、ないんですか?」
「……んー、無い、かなぁ……最近冷たい……し、」
「そうなんだ……𓏸𓏸さん可愛いのに勿体無い」
「××の方が可愛いでしょ」
「そんな事ないです!𓏸𓏸さんすっごく美人だし、」
「あはは、ありがとね」
波風の心地よい防波堤まで来ると、空は真っ暗になり星々が輝いていた。××は𓏸𓏸の前に立ち、ニッコリ微笑んだ。風の音が静かになったような気がする。
「𓏸𓏸さん」
「何?」
「あなたがいたから、私は出会えた」
「……えっと、急に何の話?」
「最高の人に出会えた」
「××……?」
「私ね、」
××はおもむろにバッグを開き、𓏸𓏸との思い出の品を次々海に落としていく。何をしているのか理解出来ず、困惑している𓏸𓏸の腕を引っ張って抱きしめた。
「私、あなたがいたから∅∅に出会えました」
∅∅……𓏸𓏸の彼氏の名前。否、𓏸𓏸の“元”彼氏の名前。
「ここまで長かったです。とっても長かった」
「ど、ゆうこと」
「ありがとうございました。𓏸𓏸さん」
ぼちゃん!と音がして、この世界の地上から𓏸𓏸の姿が消える。××は、星々が反射する海を見てニッコリ微笑んだ。
『あなたがいたから』
後者の入り口で、雨が止むのを待っている生徒。……俺の元カノ。中一から付き合って、高三になった先月別れたばかり。理由は将来が不安だから、だったような気がする。友達に戻りたいって言われて、三日間話し合って俺が折れた。
「…………傘、忘れたのか」
「……うん」
「…………貸してやろうか?」
「……ううん、走って帰る」
「馬鹿、風邪引くだろ」
「………………うん」
「…………ほら、貸してやる」
「……返すのだるい」
「………………一緒に帰るか」
「……………………うん」
変な関係性だとは思ってる。普通元カノを家まで送って行くなんて有り得ないだろう。別に喧嘩別れした訳でも価値観が合わなくて別れた訳でもない。ただコイツにあまりにも別れたいと言われて心が折れた。
コイツの家が近づいてくる。やっぱり俺は、まだ。
「……なぁ、ウザくてごめん。やっぱ俺、」
「ごめんなさい」
「…………嫌いになったなら嫌いってはっきり言ってくれ」
「…………すき、好きだよ、まだ大好き」
「じゃあ何で」
「……送ってくれてありがと。出会えて良かった」
雨とアイツの涙が混ざって頬をつたる。ばたりと閉まった扉を開ける勇気が俺にはなかった。
1ヶ月後。急にアイツの両親が俺の家にやってきた。なにか恨まれるような事……したかもしれない。未練がまし過ぎた?付き合っている時はきちんと丁寧なお付き合いをしていたはず。何を言いに、今更。
「……昨日、𓏸𓏸が旅立ったわ。あの子の事最後まで大切にしてくれてありがとう」
「………………え?」
……急死だったらしい。元々難病を抱えていて、昨日の夜体調が急変してしまったとの事だ。俺と別れると言ったのも、自分の寿命が短いと分かっていたからなのだろう。
「これ、貴方にあの子から手紙」
アイツの両親から渡されたのはきちんとテープで止めてある封筒。表紙に俺宛と書いてある。ご両親が帰られた後、びり、と封を開ける。
××へ
××と出会えてよかった。最後に相合傘出来て嬉しかった。本当にありがとう。
大好きでした。素敵な人を見つけてね。
手紙にポタリと水滴が落ちた。
『相合傘』
真っ逆さま。手を伸ばしても届かない。どれだけ頑張っても追いつけない。ずっと遠くに彼女がいる。
夏休みに入る1週間前、彼女は学校に来なくなった。
容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群。チート主人公みたいな全てを兼ね備えた人。きっと私とは生きる世界が違うんだろうってずっと思ってた。
「𓏸𓏸さんがこの絵描いたのですか?」
夏休み3週間前。夏休み中の課題として出ていた絵をこっそり夏休み前の放課後に描いていたのがバレた。正直、先生にチクられると思った。
「あ、いや……えっと、」
「素敵な絵ですね!私にも描き方教えてください」
彼女は隣に座ってノートを取り出す。ワクワクした瞳で見つめられ、結局2人で教室のデッサンをした。その日の放課後から、2人で絵を描くようになった。
「ありがとうございました!これ、本日のお礼です」
「いやそんなの……」
差し出されたのは高級そうな黒インクのペン。たった数十分教えただけなのに、こんなもの受け取れるはずが無い。
「ほぼ新品ですから!きちんと後日お礼します!」
「何もしてないですよ、××さん絵上手だし…」
「じゃあお近づきの印ということで!」
「はぁ……」
ほぼ強引に渡されたペン。彼女は満足そうに笑っていて、なんだか返すのも申し訳なくなって受け取った。
そして2週間が経つと、彼女は来なくなった。放課後来なくなるだけならまだしも、学校に。もしかしてそれ程まで私が嫌になってしまったのだろうか。
朝、まだ朝休みだと言うのに暗い顔の担任が教室に入ってくる。異様な雰囲気に生徒達は静まり返り、担任に注目が集まる。
「××さんが、マンションの屋上から飛び降りて死亡しました」
…………絶句。
それだけだった。悲しいとか、寂しいとか、何も感情が湧いてこない。感情というキャンパスが真っ黒になってしまった感覚。
「××さんの部屋には、遺書と共にこの教室のデッサンが置いてあったそうです」
なんで、どうして。涙すら出ない自分が憎い。何も、気づけなかった自分が。
現実を脳が受け入れた瞬間、手が震え出す。
全てが怖くなって、絵を描いていたノートを閉じようとした時、彼女から貰ったペンがカタリと音を立てて落下した。
『落下』