世の中は私が思っていたより色彩豊かだった。どうやら私のように色が足りないのは極小数で、十数年生きてきて街中で一人も同じ人を見かけたことがないと気がつくと、私は欠陥品として生まれたのだと思うようになってしまった。
色白の域を超えて白い肌、おばあちゃんみたいに白い髪、血管の透けた瞳の色は不気味に見える。悪目立ちする容姿は面倒事に巻き込まれてばっかりで、誰も私を皆と同じように見てくれなかった。
でも、君だけ。色がわからないと言う君だけ普通に接してくれた。普通に話して普通に遊んで、普通の友達のように私を見てくれた。
本当は知ってるの。君がわからないのは色彩で、色の濃淡がわかるのならば私だけ変なのもわかってる。普通に見えるって言ってくれたのは嘘だって知ってる。その嘘が嬉しくて愛おしい。いつか打ち明けてくれたら、ありったけの感謝を伝えたいと思う。
誰よりも色鮮やかな君へ。
『カラフル』
楽園ってあると思う?
じっと長い睫毛の下で俺を見上げている。少々重くなっている様子のそれと、滑舌の甘くなった柔らかい声。就寝前の与太話をご所望らしい。ならば付き合おうと思ってはみたものの、さてどう返そうか。
楽園、楽園。彼女も俺も熱心な信者ではない。楽園など存在しないと言っても叱られはしないだろう。実際、死後の楽園などという不確かなもののために欲求を我慢するというのは俺には耐え難いし、彼女もそれは重々承知のはずだ。ならば、真面目な返答を期待しているわけでもあるまい。
触り心地の良い髪を指先で弄びながら脳内で結論を出し、無言のまま二人で寝転んでいるベッドを指差した。数秒の後に理解した彼女は満足気に、俺の腕の中へ潜り込んで眠りについた。
傍にいるのならば俺が楽園を作ってあげよう。わざわざ言葉にするほど無粋な男ではないが、たまには示してやってもいいだろう。
『楽園』
溜め息とともに吐き出した白い煙が、風に揺られてすぐに溶ける。とんだ恥を晒したものだ。羞恥心というよりは自分に呆れ返った心境で、絡まって散らかった頭の中を有耶無耶にするかのように髪を掻き乱す。
煙草に口付けたまま深く息を吸って、記憶を反芻した。気が狂いそうなほどに痛む頭と重い足で帰ってきて、乱雑に分厚いコートを掛けた後の記憶が無い。彼女の証言によればソファで気絶するかのように寝ていたらしいが、問題はその後だ。神経質な俺が揺さぶられても起きず、あまつさえ子どものように彼女の手を握ったまま眠ったなど到底受け入れ難い。そこまで気を許すつもりは無かったはずだった。
今日は少し風が強い。咥えた煙草から上がる煙すらも一秒と留まらずに消えていく。いつもこの煙を羨ましく思うのに、気がつけば俺の袖をつまんで見上げてくる存在ができてしまった。振り払おうと思えば容易く振り払える、そんな頼りない力で引き留められて躊躇うような理性が残っていたのかと自分でも驚いた。それでも尚残った未練を、俺の代わりに燃やして風に乗せている。消えたがりの俺を、少しずつ弔っている。
『風に乗って』
刹那。お前が生きていた時間の表現にはその単語がよく似合う。そう思いかけて、個人に限った話ではないと気がついた。全ての人間は俺より命が短いのだ。
現実的に言えばそこには何十年という時間があったはずなのに、それさえも圧縮してしまうほど永い生にはいい加減鬱屈としてくるもの。お前が遺した本はかなり擦り切れて脆くなってしまったのでもう触っていない。あんなに本を大事にしていたのに良いのか、などと独り言を口にするのも馬鹿らしかった。名前も薄れつつあるのに、未練がましく愛を主張するほど傲慢なことはない。
青い空を見上げて欠伸を零した。お前がいた刹那は楽しかったよ。薄っぺらい言葉で括ったその時間は、確かに存在したのだ。
『刹那』
生きる意味を問われれば、私は答えることができない。生きる目的、生きる理由。ワードを変えても何ひとつ頭に浮かぶものは無いのだ。酒は飲まない煙草も吸わないギャンブルになど毛頭興味も無い。我ながらつまらない人生だと思う。
趣味とか好きなこと、ないんですか?
強いて言えば、休日に静かな喫茶店で文庫本を読むくらいだ。興味津々といった大きな目で私に問う彼女に答えると、良い趣味じゃないですか、と微笑む。どうやら彼女も読書を好むらしく、挙げられた好きな本に私が反応を示すと嬉しそうに見上げてきた。正反対な彼女と愛読書が同じだとは思いもしなかったものだが、それは彼女も同様らしい。嬉々としておすすめだと他の本を挙げ、今度貸します、と興奮して目を輝かせる様子は小型犬に似ている。
あれが好きなら絶対気に入りますから。そう言われては多少興味を惹かれることは否定できない。私の生に、彼女に勧められる本を読んでみたいからという些細な動機が生まれたのだと感じる。大したものではないが、今はとりあえずこれでいいだろう。ほんの少しだけ人生が豊かになった気がして、細い指が名残惜しそうに離れかけていた一七〇円のココアを購入し手渡した。
『生きる意味』