ガルシア

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4/26/2023, 11:20:16 AM

 善悪の境界ほど曖昧なものもない。悪行だって状況が変われば善行になり得るし、逆も然りだ。俺が今してることだって、人が欲するものを与えているという善行でありながら、世間一般の感覚では悪行にカウントされる。厄介なことこの上ない。
 白く細い腰を両手で掴んだまま、腹の中を抉り続ける。仔猫の鳴き声のような嬌声は愛らしく、縋りつくように背中に回された手に爪を立てられることさえ興奮材料にしかならない。旦那にすら見せていないであろう乱れた姿は優越感を満たすには十分だった。
 状況だけ見れば、既婚者を犯す悪人だ。しかしそれを望んだのは売られるように嫁いだ彼女の方で、この行為は彼女の不幸な人生からの現実逃避。愛は婚約した男とではなく俺との間に。
 旦那としたんだろ、俺で上書きしていいのか。
 小さな耳の横で低く問えば、きゅうと締めつけられるのがわかる。世間の中で悪と糾弾されることは心底腹立たしいが、この背徳を貪れることに関してだけは、善悪とかいう不確定要素に感謝しよう。


『善悪』

4/25/2023, 7:34:03 PM

 鬱憤を放出するかのように深く息を吐いて、タイプライターから手を引く。長ったらしく面倒な報告書の最後の一文を書き終えたのだ。ようやく帰れる。デスクに手をついて、重い腰を上げた。
 がく、と体重を支えていた腕から力が抜け、俺の体はその場に崩れ落ちる。先程まで身を預けていた椅子に後頭部を打って一瞬喉が唸ったが、すぐに声が出なくなる。胸が嫌な拍を打ち、肌に虫が這っているかのような不快感を覚えて腕を掻き毟った。視界が非現実的な歪みや色彩を訴える。
 慌てて情けなく震える手を伸ばして引き出しを乱暴に抜き、しまっていた小瓶の中身を一気に吸い込んだ。始めこそ快楽のために用いていた娯楽品だったが、今となっては苦痛を抑える薬となっている。しかもその薬を使い続けたところで苦痛は増すばかりときた。最悪だ。
 思考回路を繋ぎ直し始めた頭で、この世の全てに嫌悪感を抱きながら、まだ万全とはとても言えない足を無理やり立たせ扉へ向かう。外の空気を吸えば不愉快な体温の上昇も治まるかもしれない。よろめきながら歩を進めて外へ出ると、いつもは陰鬱な雲に覆われている空に月が白く輝いている。珍しく晴れているようだ。重苦しく黒に塗り潰されたそれを眺めていると、光が一筋走った。
 流れ星か。認識するとともに下らない迷信が頭をよぎる。こんなものを信じて、馬鹿正直に祈っていた頃の自分が恥ずかしくなるほどだ。燃え尽きるチリの断末魔に祈って何になると言うのだろう。願いを叶えられるものなら叶えてほしい。
 どうか、俺を煙のように消してくれ。


『流れ星に願いを』

4/24/2023, 12:18:03 PM

 俺が寝ているときは触らないでくれ。
 彼はそれだけ約束させると、私が同じ家で暮らすことを許してくれた。なんでも、人に触れられるとすぐ目が覚めてしまうらしい。少々粗雑に見える彼が意外と神経質なことは知っているので、初日から今日に至るまで私は素直に従っていた。
 今日の彼はソファで寝ている。コートが芸術的なバランスで掛けられていて、緩めたネクタイもベルトも解かれていないところを見ると限界を迎えて力尽きたという方が正しいのだろう。おまけにソファからはみ出した足は革靴を履きっぱなしだし、端正な顔の眉間にシワが寄っている。
 このまま寝かせてあげたいところだが、窮屈そうだし体を痛めてしまいそうだ。彼のルームシューズを床に置いて、起こしてしまうのを承知で革靴を引っ張る。低い唸り声が漏れたが、両足を引き抜き終えても目を覚ましてはいない。
 後ろめたさを感じながらも彼の肩を軽く叩いて声をかける。不機嫌そうに唸る彼はようやく重い瞼を上げたが、ぼんやりした瞳で私を見るとまた眠ってしまった。しかも、私の手をしっかり握りながら。
 やけに安心したように眠る顔からは眉間のシワも消え、少し幼く見える。触れても起きないじゃないかと思いつつ、普段淡白な彼から手を握られていることに胸の高鳴りを覚えた。
 これでは無理に放すこともできないと思い、彼が起きたらルールを破ったことに怒るのか、それともルールに隠されていた無意識の行動に何か別の反応を見せるのか想像しながら、しばらくその寝顔を見守ることに決める。警戒心の高い猫が膝に乗ってきたときの気持ちというのは、こういうものなのだろう。


『ルール』

4/23/2023, 11:15:05 AM

 人間は心を空模様に例えることがあると知った。なんて美しいのだろう、と心が激しく揺り動かされたことを覚えている。
 しかし、その美しさは俺には与えられなかった。俺の心が晴れることはない。
 俺が生まれた日は雨が降っていた。望まれぬ存在の誕生に神が流した涙。ひどく冷たい雫、足をとるぬかるんだ地面、重く空を落とすような黒い雲。今でもその雨は降り続け、濁流を起こして溢れ出しては全てを呑み込む。
 いつか祝福の光が俺を暖めてくれるのは日は来るのだろうか。雨粒が一筋、また頬を濡らした。


『今日の心模様』

4/22/2023, 11:05:51 AM

 たぶん、いや絶対、やめろって言われる。おかしいって言われる。異常だって言われる。間違いだって言われる。
 だって、血に塗れてもの凄く興奮したまま帰ってくる男が恋人だなんて、聞いたことないものね。おまけに心底楽しそうに笑っていて、すぐ私の腰を引き寄せようとしてくるんだから。
 でも私にとっては、世界一愛しい人。だから離れたりなんかしない。いつも通りキスをして、その手についた血を拭って、真っ赤な服を脱がしてから抱き締め返す。知らない女の血がついたまま抱かれたくないもの。
 だから、良いの。正しいか間違いか教えてくれる神様には口が無いんだから、彼と一緒ならそれで良いの。

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