それはまさに一瞬のことであった。
「あ」
という声が出たのと彼女が車にぶつかって飛ばされたのは同時だった。残酷なことに、彼女は次のデートの約束を置いたまま死んだしまった。
結婚詐欺を始めてかなり経ったが、相手が事故死してこちらが香典を渡さねばならなくなる日が来るとは思わなかった。そして近ごろ業績の悪かった自分はこの案件のせいで物理的にもクビだろう。
「クソッ」
夜逃げが上手くいったとしても、この先ロクな人生は待っていない。どうしようもなくて苛ついたまま空をむなしく見つめると、小雨が降り出した。雨はすべてを隠して今日だけは何もかも忘れさせてくれるような気にさせた。
新しい彼女と駅前で待ち合わせていると、前の前の彼女と偶然鉢合わせた。大きな駅だからこれはまあよくある話なのだが、問題は向こうが一人だったことである。俺は一人ぼっちの女の子を置いておけないタチなのだ。
「お姉さん、いまひとり?俺も約束すっぽかされちゃってさ、良かったらお茶しない?」
と、非常によくあるナンパのテンプレを言っただけなのに彼女はわなわなと震えて鬼の顔をしながら
「結構よ。それと妹は今日来ないから」
と言い捨てて人混みに消えていった。
あちゃー。妹だったのか。俺の好みってわかりやすーい……。
「どうしよっかなあ」
予定がまるっと消えた俺はベンチに腰掛けて明後日の方をながめた。今日はもうナンパする気も起きない。
「トラウマもんだろあんなん」
地面に向かってため息をつくと、ポンと肩を叩かれた。見ると超が三つほど付きそうな美少女であった。
おお神よ!まだ俺を見捨てないでいてくれるのか。美少女から後光がさしてみえる。彼女はそっと近づいて言った。
「チャックあいてますよ」
紅葉が見ごろになると、このあたりは観光客で一杯になる。夜にはライトアップなんかもしてそれは綺麗らしい。一度見てみたいが、年を取って足を悪くしているから、夜に出歩くのは無理だろう。
「そんなこと言わずに行きましょうよ!おれが車イス押しますよ?」
そう強引に私を誘うのは隣のアパートに住む大学生の男の子であった。年頃だろうにこんなジジに構うなど、よっぽどの暇人かと前に問うてみたことがある。そのときの彼の顔があまりに、なんというか哀愁を誘う表情だったから、大変失礼ながら『モテないんだな』と合点した。
ガランとして暗い回送列車に揺られながら、どこへ行くのだろうと考えた。この電車の行き先は知っている。ただその後のことはよく分からない。
やっぱりこの大量の爆薬と一緒に東京を燃やして飛んでいく運命なのだろうか。だから僕みたいなのに任されたのだろうか。上官の
『お前は英雄になれるんだ、教科書にも名前が載るくらいのな』
という言葉が脳裏を通り過ぎた。
向かいの窓に反射した自分の顔をしばし眺めていると、世のすべてが分かるような気がしてきた。
「死にたくない……ここから逃げよう」
気づけばそう口にしていた。自分はすでに答えを得ていたようだった。
先頭の車掌室の装置を手当たり次第に押していると、何度目かで扉が開き、そのあとプシューと音を立てながら列車は止まった。そんなに簡単なことだと思えなかったが、偶然もあるもんだと飲み込んだ。
靴と首元に仕込まれたGPSをはずして、外に出た。闇夜に浮かぶ満月が美しい。
しばらくぼんやり眺めていると、満月がだんだん目覚まし時計の様相を呈して、ブルブルと震えながらジリリリリ!!と鳴きだした。
「おい、起きろ!」
大声に驚いて飛び起きると、そこには上官がいつもの何倍も厳しい顔で立っていた。
「お前に重大任務がある」
水の上でプカプカ浮かんでみると、空が迫ってくるのがこわいので、どうにか目を閉じてそのまま眠ってしまいたいと願う。けれどそういう時に限って簡単に意識を手放すことはかなわず、苦しみながら真っ暗闇な脳みその中で暴れまわっている。
それでも耳の真横を水音がかすめていくのに集中していると、いつの間にか眠ることができた。
自分の身体はいまだ水に浮かんだままであった。