紅葉が見ごろになると、このあたりは観光客で一杯になる。夜にはライトアップなんかもしてそれは綺麗らしい。一度見てみたいが、年を取って足を悪くしているから、夜に出歩くのは無理だろう。
「そんなこと言わずに行きましょうよ!おれが車イス押しますよ?」
そう強引に私を誘うのは隣のアパートに住む大学生の男の子であった。年頃だろうにこんなジジに構うなど、よっぽどの暇人かと前に問うてみたことがある。そのときの彼の顔があまりに、なんというか哀愁を誘う表情だったから、大変失礼ながら『モテないんだな』と合点した。
ガランとして暗い回送列車に揺られながら、どこへ行くのだろうと考えた。この電車の行き先は知っている。ただその後のことはよく分からない。
やっぱりこの大量の爆薬と一緒に東京を燃やして飛んでいく運命なのだろうか。だから僕みたいなのに任されたのだろうか。上官の
『お前は英雄になれるんだ、教科書にも名前が載るくらいのな』
という言葉が脳裏を通り過ぎた。
向かいの窓に反射した自分の顔をしばし眺めていると、世のすべてが分かるような気がしてきた。
「死にたくない……ここから逃げよう」
気づけばそう口にしていた。自分はすでに答えを得ていたようだった。
先頭の車掌室の装置を手当たり次第に押していると、何度目かで扉が開き、そのあとプシューと音を立てながら列車は止まった。そんなに簡単なことだと思えなかったが、偶然もあるもんだと飲み込んだ。
靴と首元に仕込まれたGPSをはずして、外に出た。闇夜に浮かぶ満月が美しい。
しばらくぼんやり眺めていると、満月がだんだん目覚まし時計の様相を呈して、ブルブルと震えながらジリリリリ!!と鳴きだした。
「おい、起きろ!」
大声に驚いて飛び起きると、そこには上官がいつもの何倍も厳しい顔で立っていた。
「お前に重大任務がある」
水の上でプカプカ浮かんでみると、空が迫ってくるのがこわいので、どうにか目を閉じてそのまま眠ってしまいたいと願う。けれどそういう時に限って簡単に意識を手放すことはかなわず、苦しみながら真っ暗闇な脳みその中で暴れまわっている。
それでも耳の真横を水音がかすめていくのに集中していると、いつの間にか眠ることができた。
自分の身体はいまだ水に浮かんだままであった。
風がゴオと吹いて、桜の花弁が舞い散った。向かい合うふたりの間ではしばしの緊張が続いていたが、
「いざ」
の言葉を合図にして戦いは始まった。鮮やかな身のこなしの中で、刀が交差するのが分かる。互角かと思われたが、決するときは一瞬であった。
「勝負あり、かな?」
相手の喉元に木刀を突きつけてから、芝居がかった口調で彼はそう言う。
「君には敵わないね、シロウくん」
握手を取り交わしながら賛辞を送る男は、不敵な笑みを浮かべていた。
「そんなこと言って、タケナミさんあなた手を抜いたでしょう」
口をとがらせるシロウをなだめるように、タケナミはおどけた声を出してみせた。
「なあんだ、バレてたのか。じゃあお詫びに一杯どうかな」
「ぜひに。日の高いうちから飲むお酒が美味しいのは、永遠に変わらない事実でしょうからね」
僕にとってここは監獄であった。チャイムがなれば三十人がせまい部屋に押し込められ、言葉を発することさえ僕にははばかられる。息を殺してその日が僕にとって何ごともない日にするために全神経を注いだ。ふたつ隣の席で人が殴られていようが、トイレの個室がひとつだけ水をかぶっていようが関係ない。
だけど、すり減らないように生きてきたはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう。そんなことをぼんやり考えていたら、お弁当のからあげを落とした。僕は何もかも嫌になってしまった。
次の日、僕は家から持ち出した包丁で目についた生徒を全員刺してまわった。僕の世界が僕によって終わっていく。
「ハハ……なんてチンケな物語!」
パソコンの前でそうつぶやいていた。ほんとに出来たら、さぞ清々しい気分だったろう……。
母親の字で『30歳おめでとう』と書かれた手紙は捨てて、甘ったるいショートケーキを喉に押し込んだ。