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10/30/2024, 11:52:43 PM

夜になるといかにもな雰囲気が出て、前を通るだけでゾッとさせる、年季の入った教会が俺の町にはある。日曜になると神父さまのありがたくそして眠気を誘うお説教がこだました。
そしてこのボロい教会が、俺の住む町で唯一自慢できそうなものだった。もっと正確に言うと、教会の中に飾ってある絵がどうにも貴重らしい。昔有名だった画家に、町長のおじいちゃんのそのまたおじいちゃんが描いてもらったんだと誰かが言っていた。実際きれいな絵だと思う。

なので夜な夜な忍び込んで盗んだ。コレクターに売れば良い額になるはずだ。カジノでつくった借金は、死ぬまでまともに働いても到底返せそうになかった。
「それにこんな片田舎よりもっとお前の価値を分かってくれる場所があるだろう。」
誰にともなく言い訳して、額ぶちに手をかけた。子どもの頃に心奪われた目を見張る色彩や聖母の神々しさは、いまや俺の手の中ですっかり失われていた。

10/30/2024, 12:26:11 AM

雪がちらついていた。今年もそんな季節かと、朝の用事を終えた私は押し入れをこじ開けた。お目当てはこの石油ストーブ。何年もそのままにしていたが、ぬくもりが恋しくて引っ張り出してみた。
「ふう、重いわね」
ほこりを軽く払って、壊れていないか点検する。改めて見ても、立派なストーブだと思う。祖母が譲ってくれた少々時代遅れなストーブは、私たち一家を温めるのには十分すぎた。
「灯油タンクはどこにしまったんだっけ」
あの赤い容器を思い浮かべながら再び押し入れに頭を突っ込んだ。
そしてしばらく探してから私はふと一昨年の冬のことを考えた。
「……。」

結局灯油タンクはホームセンターで買わねばならなかった。
役目を果たした扇風機を押し入れに片付けるとき、うっかり穴を開けてしまった話は内緒にしておく。

10/29/2024, 2:25:39 AM

ここに入ってどのくらい経ったのだろう。灯りといえば小さなランタンぐらいで、洞窟の中はほとんど真っ暗に思えた。昔読んだ小説では、洞窟に閉じ込められた悪者がコウモリも捕まえて食べたのに飢えて死んでいたっけ。冷たい岩壁をつたってゆっくりと前に歩んでいく。ときおり完全な暗闇に包まれると、地図もコンパスも意味がないようにみえた。ロープを頼りにして、それでもこのような場所からは一刻もはやく抜け出さなくてはともがいて、とても長い時間進み続けた。

そしてそれは、突然あらわれた。あまりに急なことで自分が死んでしまったのかと錯覚さえしたほどであった。
そこには青碧に輝く水だまりと、他に類をみないような大きな鍾乳洞が厳かにもたたずんでいた。見上げると、陽の光が射し込んでいるのがおぼろげに分かった。
「美しい……。」
思わずため息がこぼれた。この景色を形容する言葉を俺は知らない。
やっぱり冒険家って最高!

10/27/2024, 1:32:07 PM

彼の淹れる紅茶が、なんの茶葉かなんて考えたこともなかった。よく思い出してみれば、毎日違う香りがしていたような気もする。
それは沢山の紅茶缶が、彼の部屋に並べられていたのを見たことがあった。
一度聞いてみたことがある。
「執事さんは、紅茶すきなの?」
彼は逡巡してから、
「仕舞うところに困るくらいには、すきですね。お嬢さま権限で部屋を大きくしていただけるのですか?」
と冗談まじりに返してきたと記憶している。当時の私は幼くて、大真面目に
「ばか言わないで。そんな力あるわけないでしょ。」
と言った。
その頃、私がいちばん楽しみにしていたのは午後のおやつだった。そこにいつも一緒なのが彼の紅茶というわけで、実によく覚えている。

狭いひとり暮らしの部屋で、かえらない思い出がふと蘇っていた。寝転んで天井の黄ばみを眺めながら、シンク下の奥底で眠っている安い紅茶のティーバッグを思い出してみる。買ってみたものの、自分ではどうも上手くいかないのか美味しくなかった。
「あー」
実家の広い部屋とか、美味しいコース料理とか、きらびやかなパーティとか、二度と口にできない彼の紅茶とか、どうしようもない感情がうずまく。
「あー」
陽は落ちて、暗がりに天井が見えなくなっていく。
ピコン
スマホが通知音と共に画面を光らせた。
『ミカ:必修の課題おわった?』
「あ、やってない……」
思わずそう声に出してベッドから起き上がった。カーテンを閉めて電気のスイッチを押す。リュックに入ったままのパソコンを引っ張り出しながらこう返信した。
『まだ笑笑』

10/26/2024, 2:37:10 PM

「あいし……」
そこまで言って口を閉ざした。最後まで言えば取り返しがつかないのではないかと心がもたついた。
その言葉の続きを今かと期待して目を輝かせる彼女の奥では、排水溝のネズミがのたうち回っていた。
「あー、えっと、ごめん。今日はもう帰ろうか」
結局ぼくは、恋人たちのあいことばを言えないまま代わりにそう口走る。
彼女は呆気にとられた顔をして、少し怒ったようすで
「うん」
とだけ応えた。
すずしい秋の夜風がぼくらを分かつ。
愛に言葉が必要だとしたら、僕には到底不可能な気がした。駅のホームで控えめに手を振る彼女を見送って、そんなことを考えていた。

愛してるを言えなかった彼女とは、2日後に別れた。

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