昔々、世界を赤の女帝が支配していた時のこと、女帝に叛旗を翻した貴族の男がいた。
名君と謳われた女帝。だが、女帝に仕える貴族達は権力を求め、廷臣達は賄賂を望む。政治は滞り、民は虐げられた。家も食物も無く流浪する民。彼らを蔑む貴族達。男は怒りに震え涙を流した。人間の魂は皆等しく美しい。世界は天国であるべきだ。
男は女帝に腐敗した政治を一新するよう求めた。だが、女帝は沈黙するばかり。貴族や廷臣達は、男に無実の罪を着せて抹殺を図った。女帝に助けを求める男。男を見殺しにする女帝。男に残された道は叛乱だった。
男の元には虐げられた者達が続々と集まった。女帝と貴族達を圧倒する力を得た男は、自ら黒の皇帝と名乗り、自身が望む天国を作る為に戦った。
十年に及ぶ戦争。
大地は血でぬかるみ、無数の命が散った。
世界は憎しみに溢れ、無数の難民が生み出された。
男の慈悲と甘美な理想は、いつしか執念と醜悪な憎悪へと変わっていた。
天国を求めた男が作ったものは地獄だった。
男を捕らえたのは、銀獅子と呼ばれる若き騎士だった。
自らに不殺の掟を課す高潔な騎士である彼は、女帝に男の助命を嘆願した。
男は宮殿の牢に繋がれた。
戦争終結。
その直後、女帝が崩御した。
即位したのは若き皇帝。
皇帝を操り、実権を握ろうとする貴族や廷臣達。権力闘争を始める彼らを皇帝は嘲笑した。人間の魂は闘争を求める。世界は恐怖と憎悪渦巻く地獄だ。
皇帝は陰謀を仕掛け、邪魔者を暗殺し、権力を握った。そして、かって世界を滅ぼした怪物を復活させて操り、民を恐怖で支配せんとした。
民を救うべく銀獅子が立ち上がった。
彼は金龍、天馬、紅烏ら名だたる騎士らと協力し、死闘の末、怪物を倒した。
追いつめられ、自害せんとする皇帝に銀獅子が手を差し伸べた。
人間の魂は自由だ。世界は天国でも地獄でも無い。人間はどちらを選ぶこともできる。世界は変えることができる。
皇帝はその手を振り払った。
生ぬるい天国より灼熱の地獄を選ぶよ。
皇帝は自害した。
銀獅子は剣を捨てた。
人と人、国と国の間にあって、憎悪の芽を摘み、愛と信頼の種を蒔く。彼は残りの人生を捧げた。
彼が生きている間、世界には一つの争いもなかった。
彼が死んだ時、民は皆こう言った。
彼こそは王の中の王、誠の王、戴冠せざる王であったと。
「お母さんが子供だった頃、空はとっても青かったのよ。」
病院の一室。ガラス窓の外には物憂げな灰色の空が広がる。母親はベッドに横たわり、見舞いに来た兄弟と話をしていた。小学生の兄・タカシと幼稚園の弟・サトシは信じられないといった面持ちで、ガラス越しに空を見上げた。
「あなた達は青空を見たことがないのね。」
母親は力無く笑った。
タカシが生まれた年、富士山が破滅的な噴火をした。噴出した灰色の火山灰は上空一万メートルまで舞い上がり、十年経った今も空を覆い尽くしている。
「もう一度、青空が見たい…」
か細い声で呟くと、母親は眠りに落ちた。
「お母さんに見せてあげようよ。青空。そしたら元気になるよ。」
家に戻った兄弟。無邪気に騒ぐサトシを横目にタカシは考え込んだ。
どうやって?空に絵具なんて塗れない。折紙なんて貼れない。どうしたらいい?
考えあぐねるタカシ。その目に母親に買って貰った昆虫図鑑が飛び込んで来た。タカシは図鑑を手に取ってパラパラとめくると、あるページで手を止めた。
これならうまくいくかも。
数日後、兄弟は母親を車椅子に乗せ、病院の中庭に連れ出した。中庭には沢山の子供達が集まっていた。子供達は手に手に箱を抱えていた。
「開けて!」
タカシの号令で子供達は一斉に箱を開けた。箱から青い蝶が飛び立った。蝶は次から次へと飛び立ち、中庭は蝶で埋め尽くされた。
「…あぁ…」
母親は目を見開き、無数の蝶の舞を見つめた。
やがて蝶は群れとなり、中庭の上空に舞い上がって青い光となった。それは雲の合間から覗く青空のように見えた。
「オレとサトシで捕まえたんだ。学校のみんなも手伝ってくれて。」
蝶の群れは西の空へと消えていった。
空を見上げる母親の目から涙がこぼれ落ちた。
「…ありがとう…」
声にならない声で母親は言った。
「…きれい…とっても…こんな…こんなきれいな青空…見たことない…」
翌日、母親は兄弟に見守られながら息を引き取った。
「お兄ちゃん、あれ…」
サトシは顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら病室のガラス窓を指差した。その先には、一匹の青い蝶が止まっていた。兄弟は涙に濡れた目でガラス越しに蝶を見つめた。
おもむろにタカシが蝶に近づいた。
「あっ…」
蝶はふわりと飛び立ち、物憂げな灰色の空に舞い上がった。
長い長い黄金の髪をした美しい裸の女神がいた。女神は遠い遠い昔から、一瞬も立ち止まることなく歩き続けていた。女神が止まる所に永遠の幸福が訪れる。誰もが女神を止めようとした。だが、誰一人女神を止められなかった。
女神は街道に現れ、西の王国に向かっていた。知らせを受けた王は、女神をもてなすため、街道に無数の花々を飾らせ、美食とドレスをずらりと並べさせた。
七色の花びらが舞う中、女神は王国に現れた。王は千人の家来達を従え女神を出迎えた。恭しく頭を下げる王。一瞥もせず通り過ぎる女神。
女神様、お止まり下さい。お望みのものをいくらでも差し上げます。
懇願する王。
一顧だにせず進む女神。
女神様、お止まり下さい。この国を差し上げます。我らが女王とおなり下さい。
追いすがる王を振り払い、女神は歩き続ける。
ならば、力ずくで。
王は合図を送った。
街道脇から千人の兵士達が現れ、女神の前にずらりと並んだ。
捕らえよ!
兵士達は女神に次々と飛びかかった。女神は、ふっ、と息を吐いた。
うわぁっ!
タンポポの綿毛のように次々と吹き飛ばされる兵士達。女神は歩み続ける。
追え!
王が命じる。
兵士達は女神の後を追った。
女神は大河のほとりにたどり着いた。
女神は大河に入って行くと、兵士達の目の前で水となり消えた。
探せ!
千人の兵士達が千日もの間探したが、女神を見つけることはできなかった。
水となった女神は大河を下り、東の海にたどり着いた。貧しい村々が点在する、どこまでも続く砂浜。小雪が舞う中、女神は元の姿で海から現れ、砂浜を歩き始めた。
砂浜では、幼い男の子が一人遊んでいた。男の子はボロボロの小さな毛布をいつも持ち歩いていた。それは、男の子が生まれた時からのお気に入りだった。
これあげる。寒いでしょ。
男の子はずぶ濡れの女神を見つけると、駆け寄って毛布を差し出した。
ありがとう。
女神は喜んで受け取った。
女神は毛布を羽織ると、立ち止まり、辺りを見回した。
気に入ったわ。ここで休みましょう。
女神は浜辺に横たわった。
翌朝、男の子は女神を起こしに砂浜に来た。だが、女神の姿はない。男の子は砂浜が黄金に輝いていることに気づいた。
砂浜の砂は全て砂金となっていた。砂金は採れども尽きることなく、村々は千年もの間富み栄えた。
やっと山頂。
ここへ来るの何度目?
小さな祠の前であたしは倒れ込んだ。祠には、いつものように小さな手紙が置いてある。あたしは起き上がると、手紙を手に取って、そっと開いた。
十年前のあたしへ。
あたしは焼走りの登山道から下山します。
一刻も早く出口を見つけて。
十年後のあたしからだ。
あたしは大手ゼネコン・大空組の新入社員。岩手山時空トンネル建設現場に配属された。トンネルが完成すれは、4.3光年離れたアルファ・ケンタウリ星系まで、車でたったの30分。夢のある仕事。毎日が新鮮だった。
ある日、現場で大事故が発生した。大規模時空崩壊で、岩手山一帯は閉鎖時空に落ち込んだ。あたしは事故に巻き込まれ、この時空に閉じ込められた。
あたしは出口を探した。ここは空間がぐちゃぐちゃで、山頂と思えば麓、麓と思えば山頂という具合。さまよっていたあたしは、例の手紙を見つけた。
ここは時間もぐちゃぐちゃらしい。十年後のあたしと今のあたしが同時に存在している。これはとてもヤバい。十年後のあたしと今のあたしが出会ったら、パラドックスが発生して両方消えてしまう。以来、あたしたちは置き手紙をして、お互い出会わないように連絡を取り合っているのだ。
十年後のあたしへ。
あたしは鬼ヶ城の登山道から下山します。
出口が見つかることを祈ります。
あたしは置き手紙をして十年後のあたしとは反対の方向に進んだ。
「助けてーっ!」
切り立った岩の山道。女の子が一人、片手で崖にぶらさがり、今にも落ちそうになっている。他にも閉じ込められた人間がいる。助けなきゃ。
「がんばって!今行くから!」
あたしは力の限り叫んだ。女の子はあたしに気づいた。
「来ないでーっ!」
女の子の叫びはスルーした。あたしは女の子に駆け寄ると、その腕を掴んだ。
「もう少し!がんばれっ!」
あたしは女の子を引っ張り上げた。
次の瞬間、あたしは愕然とした。
女の子は十年前のあたしだった。女の子の服はあたしと同じ作業服。どういうこと?
「とうとう出会っちゃったね。あたしたち。」
女の子は言った。
「ここは時間がぐちゃぐちゃ。あたしの時間は逆行して、若返ったの。」
そう言い残して女の子は消えた。
そんな、あの子が十年後のあたしだなんて。
女の子に触れたあたしの両手が消え始めた。
宇宙船の窓から青い海が見える。
僕は宇宙を旅した。十年間も。
そして帰ってきた。地球に。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
もうナツはいない。
僕とナツは同い年。僕らは宇宙探査クルー候補生として、センターで育てられ、訓練された。気弱な僕とお転婆なナツ。でも、不思議と気が合った。
消灯時間が過ぎた後、僕らはこっそり部屋を抜け出し、食堂テラスの大きな窓越しに、何時間も星空を眺めていた。
「火星の青い夕焼け、木星の青いオーロラ、海王星の青い大気。全部、全部、全部見たいの!」
ナツの青い瞳に星が映っていた。僕はその瞳をずっと見ていたかった。
千人の候補生のうち、クルーになれるのはたった十人。その難関を突破し、ナツは十七歳でクルーに選ばれた。
「ねぇ!私、宇宙に行けるの!」
旅立つ直前、ナツは倒れた。ナツは不治の病に罹り、余命一年と宣告された。
代わりに僕が選ばれた。ナツの推薦だった。
「私の代わりに宇宙へ行って。」
僕は何日も悩んだ。
宇宙に旅立てば、戻れるのは十年後。
残された一年をナツと大切に生きていきたい。
でも…。
僕は旅立つことを選んだ。
ナツの夢を叶えるため。
火星の青い夕焼け、木星の青いオーロラ、海王星の青い大気。ナツが見たかった全てのものを目に焼き付けて、僕は帰ってきた。
宇宙船は無事着陸した。
地上に降りた僕の目に飛び込んできたのは、車椅子に乗った少女だった。
まさか。
僕は目を凝らした。
ナツだ!
長い宇宙生活で弱り切った足。僕は何度も転びながら、ナツの元に駆け寄った。
「お帰りなさい。」
微笑むナツは十七歳のままだった。
「ビックリした?私も帰ってきたばかりなの。」
混乱する僕を落ち着かせるようにナツは言った。
「あなたが宇宙に行ってすぐ、私、ウラシマ効果の実証実験に参加したの。光の速さで飛べば本当に時間が止まるのか。で、一人用の小さな宇宙船に乗って、光の速さで地球の周りを十年間も飛び続けたの。実験は大成功。私は十七歳のまま。あなたは二十七歳になったというわけ。」
ナツの目から大粒の涙が溢れ出た。
「ねぇ…私…一人で旅したのよ…十光年も…もう一度…会いたかったから…どうしても伝えたかったから…」
ナツの青い瞳に僕が映っていた。
僕はナツの瞳を覗きこんだ。
「僕も…僕も…どうしても…伝えたいことが…」
僕とナツは涙でぐしゃぐしゃになりながら精一杯の笑顔を作り、声を合わせた。
「一緒にいたい…ずっと。」