最初に声をかけてきたのはあなただった。
そこだけすっと光が差した。
綺麗な花が咲き乱れ、世界を春風が吹き抜けた。
過ごす時間が増えるほど、いつしか僕は自惚れていた。
自分があなたに選ばれたのだと。
酷いよずっと本音は隠して、
いまさら苦しかったなんて。
独り寝に耐えるベッドはまるで熱帯夜の再来。
夜更けになっても朝日が差しても、下がる気配のない温度に焼かれて。
終わらぬ夏の堂々巡りに、成す術もなく身を焦がす。
『ただいま、夏』
ユラユラとのぼっては消えていく泡の向こうで、君は黙っている。
氷はもうほとんど溶けてしまった。
いつも君のすることが、僕のしたかったことだと思わせられる恋だった。
ソーダ水を注文する声に
同じものを
と重ねると、
真似しないでよ
と君は小さく笑った。
同じタイミングで運ばれた同じ分量の炭酸は、今日も君の方がずっと早く飲み終わってしまう。
窓の外を眺めたまま、君が黙っている。
『ぬるい炭酸と無口な君』
画面の上からと下からそれぞれ二回ずつスクロールし、念の為もう一度更新ボタンを押してから、僕は端末を投げ出した。今回も自分の名前はどこにもない。
ベッドに仰向けになると、溜息が出た。これだけずっと落ち続ければ少しは切り替えも上手くなりそうなものなのに、毎回新鮮に地の果てまで落ち込む。
生き方を否定されたわけでも、人格を攻撃されたわけでもない。この賞には評価されなかったというだけのことなのだ。めげずに淡々とまた次を書くだけだ。これまでと同じように。
でもなあ、今度のは、かなり自信あったんだよなあ……。
スマホから通知音がして、のろのろと画面に目をやる。
気分転換に短編を投稿しているサイトにいいねが押されたらしい。
リンク先に表示された、半年ほど前に書いた文章を斜め読みしたところで、新着コメントに気づいた。
『遅ればせながら読みました。惹き込まれて一気読みでした。ヒロインに感情移入しすぎて最後少し泣いてしまいました。遅い感想ですみません。また読ませてくださると嬉しいです』
見覚えのないアカウントだった。コメント投稿は2ヶ月前。応募作の推敲に追われていた頃で、通知なんか碌に見ていなかった。普段から小説を読むのが好きで、ふと目に止めてくれたのだろう。
波しぶきのような淡い緑のアイコンを見つめていると、小瓶に入れ波にさらわれた手紙を拾ったような温かな気持ちが込み上げてきた。
起き上がってパソコンを立ち上げる。次作の構想なら実は山ほどある。この世はまだまだ書いてみたいものだらけなのだ。
そうだ、前回サブエピソード扱いにしたモブ視点で、別の話を組み上げても面白いかもしれない。だとすると、医療関係の下調べが必要か。いや、待て待て。
頭の中であれやこれやと勝手に湧き立つ考えを一旦なだめる。その前にまずはお礼だ。波しぶきの下の返信ボタンを、神聖な気持ちで僕はタップした。
『波にさらわれた手紙』
蝉の声をミンミンと最初に形容したのは誰なんだろう。
急な坂を登りながら、そんなどうでもいいことを僕は考えた。
頭を空っぽにしてしまうと耐えられないほどの暑さだ。
夏生まれの君と蝉の声の話をしたのは、まだ肌寒い頃だった。
ミンミンなんて、聞こえないよね?
と言った僕に、
そうかも。
と同意してくれた君。
ジージーとかシュワシュワじゃないのかなあ。種類によるんだろうけど。
シャンシャンとかシヌシヌって聞こえる時もない?
え? そうなの?
夏になったら検証しなくちゃ!
僕の言葉に笑った君の耳元で、髪が一筋風に揺らいだ。
耳につく8月の蝉の大合唱。
やっぱりジージーとシュワシュワとしか、僕には聞こえない。
高台に立つ僕を、あの日のようなぬるい風が吹き過ぎていった。
『8月、君に会いたい』
僕にとってこの世界はとても眩しいものだった。
室内の蛍光灯。直射日光。パソコンの画面。車のヘッドライト。
酷い時は頭痛がしたり、勝手に涙が出てきたり。
光過敏と呼ぶのだと知った。
普段使いが許可されると、サングラスはとても便利だった。
光刺激だけでなく、こちらの視線も遮ってくれるのだ。
お陰で周りをじっくり観察できた。
隣のデスクのきみのことも。
画面を真剣に見つめる瞳の綺麗さに、
リズミカルにキーボードを叩く指先に、
こっそりチョコを摘む顔に、
僕の心は日に日に過敏にさせられる。
この世の全てのひかりは、きみから発されているのかもしれない。
明度を落としたはずの視界で、恋の光が眩しくて。
『眩しくて』