未知亜

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4/26/2025, 9:51:18 AM

「こっちに恋」「愛にきて」
ㅤ見れば見るほどクソダサなキャッチコピーだった。
ㅤ短いフレーズがいくつも並んだプリントを机上に戻し、俺は眉間を指先で揉んだ。

ㅤ初夏のキャンペーンのキャッチフレーズを社内公募してみたのだ。いわゆるブレストという手法だった。
ㅤ募集時点では良い悪いはジャッジしない。とにかくできるだけ数を出すこと。誰とも被らない案を多く提出した上位5名にギフトカードを与える、と。そしたら、予想を軽く超えたえげつない数が集まった。

「まだ見てらしたんですか?」
ㅤ春から経理部に異動になった小柳君が半笑いで話しかけてきた。受け取った決済依頼の書類を手に、俺も半笑いを返す。社内便で送付も出来るのだが、彼女はこうして直接書類を持ってくることが多かった。元部署の様子が気になるのだろう。
「いや、よくもここまでと思ってさ。見てよ最後のやつ、オヤジギャグかよ」
ㅤ昭和の終わり生まれの俺でも使わない。
「ふーん。私はこれ、嫌いじゃないですけどね」
ㅤ大きな瞳がキョロリと動く。
「愛に雪、恋を白。なんてスキーのコピーもありましたしね。古すぎて新しいというか。恋と愛の境目ってなんだろうなあとか、ちょっと考えちゃいました」
「へえ……」
ㅤその発想はなかったな。
「まあ、このまま使うのは無理がありそうですけど。もしかしたら著作権的にも——」
「小柳君、ありがとう。他の人にも意見聞いてこの方向考えてみる」
ㅤ俺のなかに、とあるイメージが浮かんできた。うまくハマれば面白いことになりそうだ。
「部長のその顔、あたし結構好きですよ」
「……へ?」
ㅤ小柳君が、うふふと笑う。
「遠く経理から応援してますね~」
ㅤびっくりする台詞を残して小柳君が去っていくのを、しばし呆然と俺は見送った。

『「こっちに恋」「愛にきて」』

4/25/2025, 9:59:10 AM

ㅤ思い出しては何度も考えた。なんであんな言い方をしてしまったのか。ほかに言いようがあったはずなのに。
ㅤ君と離れたあの時以来、逃げるように仕事に打ち込んで過ごした。寂しい気持ちに必死で背を向けていた。

ㅤなのに、信号待ちで立ち止まった時、月の光が街路樹の雨粒をキラキラと輝かせるのが見えたんだ。普段は気づきもしない光景。遠い夕闇に、星がひとつ。
ㅤああ、そうか。人はそんなに変われない。そんな言葉が泡のように立ちのぼる。

ㅤ想像のなかで何度も謝った。弁解して言い訳して、離れていくこころをつなぎ止めようとしたあの日。
ㅤたとえ上手くやり過ごせたとしても、根本的な解決にはならなかったのだ。
ㅤ本質はそんなところにはなかったんだな。

ㅤ青に変わった信号を、急に新しくなったようや世界を見晴るかす。
ㅤ初めて素直に思えた。
ㅤ何はともあれ、巡り逢えてほんとうによかったと。

『巡り逢い』

4/24/2025, 9:34:57 AM

「一週間休みがあったらなにする?」
ㅤ夕飯の支度をしていたら、算数ドリルに集中しているとばかり思った息子が、そんなことを訊いてきた。
「そーだなあ、みんなで旅行とか?」
ㅤ洗い物の手を止めず、私は考える。
「りょ、こ、う」
 広げたノートに、息子が書き付けている。今日最後の宿題はそれか。休暇インタビュー?
「旅行って、『う』?『お』?」
「『う』だね」
 息子は春から二年生だ。字の練習を兼ねて、作文とも言えないほどの小さな宿題が毎日出されているた。四月の今は健康診断などの行事も多く、授業らしきものはまだ始まっていないようだ。
 親にインタビューするというお題は比較的多かった。考えてみたら旅行なんて随分してない。本当に休みがあったら。ひとりでどこへでも行けたなら……さて、どこへ行こうか。
「どこ行きたい?」
 母の心を読むな、息子よ。訂正しますから。
「そうだなあ。家族で行くなら北海道かな。それか沖縄」
 息子の知っていそうな名前を挙げてみる
「すごいね! 一週間で日本の端から端まで?」
ㅤわかっているのかいないのか、いまいち掴めない返事に笑いが漏れた。
「一週間あれば行けるんじゃないかな?」
 そうだね。きっと思い浮かべた時から、心だけは旅に出られる。寝かしつけの前に少しだけ、ふたりで旅行サイトを覗いてみようか。

『どこへ行こう』

4/23/2025, 9:05:36 AM


ㅤ送ったメッセージは、三日経っても既読にならなかった。美優の心には、昔のことがぐるぐる渦を巻きはじめている。
ㅤ最初に距離が近いと言われたのは小五の時だ。自分がなにか場にそぐわないことをしたらしいということはすぐに理解出来た。
ㅤけれど、友達がどうしてほしがっているのかは正直よく分からなかった。だから、「ごめんね」と笑うこと以外、美優には出来なかった。
ㅤそれからも、似たようなことはたびたび起きた。自分なりにいろいろ工夫しているのだが、「何考えてるかわからない」とか、「距離が近い」とか言われた。何もしないのが一番なのではと思って黙っていると、「なんか、美優ちゃん、壁を感じる」と笑われた。
ㅤ答えはいつも相手に握られているのだ。正解か不正解かは、後にならないとわからない。常に後出しじゃんけんわーされているような感覚。努力だけで太刀打ち出来るはずも無い。
「また、めんどくさい認定されちゃったのかなあ……」
ㅤスマホを握り締めたままベッドに倒れ込む。声に出して呟くと途端に寂しさに飲まれそうになった。
ㅤ大きくため息をついたところで、手の中の板がブブッと震える。
『ももたさんが画像を送信しました』
ㅤ横目でスマホを覗くと、画面上部に通知が表示されていた。
『取り急ぎこれだけ見せたくて!幸運の印だって(big love)』
ㅤbig love?ㅤなんだそれ?
ㅤ不思議に思いながら通知をタップする。空の写真が目に飛び込んできた。ビルの合間にくっきりとした虹が浮かんでいる。それも二重にだ。
「……ダブルレインボーだ」
ㅤ先月だったか、幸運の証だという会話をしたことを思い出した。
『詳しい話はまたゆっくり聴かせてね!︎‪』
ㅤ追加で届いたメッセージの最後で、ピンクのハートがくるくる回る。最初に届いたメッセージの末尾にも同じ絵文字が踊っていた。
ㅤそうか、これは地球の愛のおすそ分けかもしれない。
ㅤ美優の心があたたかいものでほんのりと染められていく。まさしく、big love! という感じ。
ㅤ背を伸ばしてベッドの縁に座り直すと、美優は口の端をキュッと上げ、お礼のメッセージを入力しはじめた。


『big love!』

4/22/2025, 9:22:57 AM

 最初のキスを交わしたときにわかった。別れがいまはじまったと。
「どうしたの?」
 涙をこぼす私にあなたは問いかけた。腕の力を緩めて、やさしく頬を撫でて。
 なにがどう違ったのか私にはわからない。なのに、違ってしまったことだけははっきりとわかった。心の奥にささやきが舞い降りる。そんな感じだった。
 説明できる言葉はない。木洩れ日の輝きや、風の香りや、あなたのぬくもりや、フィルムのように焼き付いて、この先何度も思い出しちゃうんだろうなと思うだけ。
 違う場所に来てしまったねとささやかれ、私は夢から引き戻される。引き戻されてやっと、これは夢だったのだと私は知る。
 大事なことばかり、いつも言葉にならない。

『ささやき』
 

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