(のちほど……)
『雪明かりの夜』
案内されたベンチに腰を下ろし、渡された番号札に目を落とした。最近は番号だけじゃなくて、NとかRとか用件ごとにアルファベットがつく。手の中のRが一体何を指すのか、私は知らない。
戸口に立って誘導してくれるのは、いつきても同じ係員だった。たどたどしい日本語で「ぶんのー」とか「のーふ」言われると、なんだか異国の言葉のように聞こえる。
不意に左手の奥で盛大な拍手が起こった。
「えー、このあとここのドアを出たらですね、皆さんここでのことは一切忘れましょう」
年嵩の男性が真面目くさって話し始めたところで、番号が呼ばれた。
「すみませんうるさくて」
椅子に座るや謝られる。今日で最後なんです、年内。
「くれぐれも、各自の生活や、ご家族のことに心を向けて下さい」
男性は話しつづける。そういえば、この区に来てから窓口対応に不満を持ったことはない。
「いえ」
ここの皆さんの年末が穏やかであるようにと内心で祈りを捧げて、私は保険料分納の相談を切り出した。
『祈りを捧げて』
クリスマスの待ち合わせにも、君はやっぱり遅刻してきた。
「またどっか寄ってたの?」
「うん、みて。売り切れたら終わりだったから」
君がぐりんと身体をひねる。トートバッグからネギの束がはみ出ていた。
「それ背負って地下鉄乗ったんだ」
「うん。ぬた、また作れるね」
また、ぬた。また、ぬた。
楽しげに韻を踏んで君が歩き出す。トートとともに右へ左へと揺すられるネギは、なんだかつやつや輝いて見えた。マフラーの赤と相まって完璧なクリスマスカラー。
私が『ぬた』を作ったのはもう何年も前のことだ。初めてできた相手が嬉しくて、いろいろ料理を試しては君に試食させていた。ぴょこぴょこと弾むネギを見て私も急に思い出した。完成したぬたの、とろりとした味噌の色まで。
君はたまに時間の概念をひょいと飛び越える。小さなぬくもりを大事にしまっては不意に目の前に取り出す。昔確かに存在していた、恥ずかしいほどあたたかな記憶を。
『遠い日のぬくもり』
「良い香りだね」
「でしょ? 誰が作ったと思ってんの?」
「そうでした」
「ふふっ。世界に一個しかないキャンドルだからね」
「え? まじで」
「まじで。今日のために作った」
「もったいない、消そう!」
「は?」
「だって、来年も使いたい!」
「大丈夫! また作るから」
「ほんと? おんなじやつだよ? この、緑と赤でキラキラしてる感じも、淡い黄色がいい感じにグラデってるのもだよ? この炎の感じもだよ?」
「そこまでは無理」
「えー、だったら——」
「来年はまたその時の気持ちで作るから。おんなじにはならないよ」
「……そっか」
「消える頃、ちょうどクリスマス当日になると思う」
「じゃ、それまでお喋りしてようよ」
「いいよ」
「……あのね、昔ね、すごく気が合うと思ってた人がいたんだ」
「うん」
「好きなものが同じで、食事に行ったら同じメニューで迷ったりして。足して分けるとちょうどいいねって」
「うん」
「でも、そのうち違うことが出てきてさ。当たり前だよね、違う人間なんだから」
「……うん」
「結局、向こうが私に合わせてくれてただけだったんだよね」
「……それで?」
「うん、それで思った。 誰かと本当に気が合うことって、同じもの見て同じものを食べて『幸せだね、美味しいね』って同じバランスで分かち合える相手なんて、いないんじゃないかって」
「ふーん……」
「でも、この人はもしかしたらそうかもしれないぞって、ずっと考えたくはあって。考えてるうちに人生終わるくらいがちょうどいいのかもって」
「うん?」
「だからね」
「うん」
「ありがと! ってこと!」
抱きついた風で揺れるキャンドル。
Happy Merry Christmas🎄✨️
『揺れるキャンドル』
渦を巻くように光が広がって、画面いっぱい真っ白になる。光の回廊を歩き出す後ろ姿からカメラはふわりと浮き上がり、晴れ渡る空に重なってスタッフロールが流れ出す。
もう何度も見たエンディングだ。
アテンダーが笑顔でドアを開いてくれたとき、私の心に浮かんだのはまさにその光景だった。ゲームクリアしたような気持ちよさ? 祝福に満ちた雰囲気? それもあるけどそれだけじゃない。ここから始まるんだという予感めいたもの。
差し出された君の手をぎゅっと握り返す。ほんのひととき見つめ合い、花びらと眩しさに満ちたを私たちは進む。
『光の回廊』