【セーター】
最初に教わったのはマフラー。
考え過ぎてしまう僕にとっては良い気分転換になる。決められた手順をずっと繰り返すこと。黙々と手を動かせば良いから、頭をぼーっと真っ白にして編み続けることは向いているのかもしれない。
だから、というか、この日も延々と編み続けた。
「……遊木さん? 何を編んでるんですか?」
不意に届いた声にハッと意識がクリアになる。視線を声のした方へと向ければ、口元に苦い笑いを浮かべた漣くんがいた。
「あ、ええと、セーター?」
「何で編んでるんですか当人が疑問系なんすか」
笑いながら僕の隣に腰を下ろす。その際に編み物を踏まないように避けてくれたけど。……あれ? 何で?
「オレもちょっと編み物やってみたりしたんですけど、セーターってこんなにでっかいの編む必要あるんですか?」
「……いや、ないよね」
「型に合わせて編むんだったと思うんですけど、オレの勘違いだったかなーなんて思っちまいましたよ」
改めて編んだものを手に取って広げてみる。……うん。でかい。これはセーターにするには難しいだろうな。
……解いて編み直すのもありかもしれないけど。
「セーター改め膝掛けで使ってくれる?」
「……え、オレが貰って良いんですか?」
元々は漣くんにセーターを編みたかっただけだから。なんて直接言うのも照れくさい。
「僕の気分転換の副産物で良かったら貰って欲しいなって思ってるよ」
「いやぁ……嬉しいですよぉ。大事に使わせて貰いますね」
言葉通りに嬉しそうな顔をされると、僕が素直に言えなかった気持ちがするりと表に出てきてしまう。
「次はちゃんとセーター編むから。……だからそれまでその失敗した膝掛け使いながら待ってて」
きょとんと丸くなった目が直ぐに笑みに綻んでいく。
「いつまでも待ってますよぉ! 遊木さんがオレに編んでくれるんですからねぇ」
今日もまた頭を空っぽにしてセーターを編む。空っぽにしたはずなのに、漣くんの嬉しそうな顔で埋め尽くされちゃうけど。それもまあ、悪くはないかな、って僕は思う。
時折心の中を埋めていくのは仄暗い感情。何で彼はあんなに眩しいのだろう。暗い暗い地の底まで落ちてくれば良いのに。
その反面で彼らに苦渋を味わせたことがあるのは自分たちなのだという自負が浮かんでくる。
嫌だ嫌だ。薄汚れた感情ばかりが胸の内を占めているなんて。そんなこと考えたくないのに。
きっと距離をとった方が良いんだろう。それがお互いに……いや僕にとって最善だ。
そんな風に願うのに、そんな風に思うのに、それでも眩しい笑顔に惹き寄せられる。僕には君の輝きに抗えないんだ。
「遊木さん、この後時間あります?」
「うん。何かあった?」
「メシでもどうかな、って思ったんですけど」
君が笑うから僕も笑えるんだよ。
#優越感、劣等感
「探しましたよぉ?」
ちょっと剣呑な空気を漂わせた君が姿を現したことで僕のかくれんぼは終わりを告げた。
「探してくれたんだ?」
「ったり前じゃねぇっすか」
重たく息を吐くと、僕の正面。カウンターに腰を下ろす。
「あんたのお勧めを下さい」
「……それを飲んだら」
「一人じゃ帰るわけないじゃないすか。……わかってんでしょ?」
頬杖をついて、そこで改めて僕を頭のてっぺんから腰の辺りまで--多分その辺りまでしか見えないだろうから--眺められた。僕は苦い笑いを浮かべているのだろう。それを見て漣くんは眉を顰めた。
気が付けば一年近く経過していた。別に何かが嫌になったというわけでもない。ただ何となくいつもとは違う場所に行きたくなっただけ。ふらっと電車に乗って、乗り継いで、気が付いたら一年。
テレビでは失踪した、とニュースになっていた。如何にも訳アリな僕をこの店のマスターが何も聞かずに受け入れてくれたから、何となくここまで過ごしてこられたのかもしれない。
Trickstarのみんなには「戻るから」とは伝えてあった。それでも当然ながら「何かあったのなら話して欲しい」と心配を掛けてしまったけれど。「帰る場所はここにあるんだ」と言われて有り難くて泣けてきちゃうのに、それでもなかなか帰ろうという気にならなかった。理由なんかわからない。自分でも何でだろうと疑問に思うのに。
ふらっと出たと言ったけど、実のところは計画的だったのだろう。ホールハンズも個人の端末も置いて出たのだから。持ってたのは財布だけ。足跡が残るものを置いて出ているのに衝動的とは言わないかもしれない。
これまでのことをぼんやりと考えながら、シェイカーを振る。冷やしたグラスに淡い桃色のドリンクを注ぐと、眼前にいる漣くんに差し出した。
「そんなぼーっとしながら仕事出来るんすね」
「え、なんか悪口言われてる気がするんだけど」
「悪口じゃねぇですよ。……いや、悪口なのかな」
「……つまりは良い意味ではない、と」
僕が問えば、漣くんが苦く笑った。
「ずっと後悔してたんですよ」
「何を?」
この時間、漣くん以外に客はいない。平日の深夜だ。羽目を外して飲むにはちょっとお高いし、そもそも繰り返すが平日なのだ。次の日が仕事だという人の方が多いだろう。だからきっと、閉店まで漣くんしかいないのだろう、と思う。だから僕は他に気を取られることもなく会話が出来た。
少しカクテルに口をつけて味わっているのを眺める。きっと漣くんも言いたいことをまとめているのだろう。
「……美味しいです」
「……ありがとう」
ぱちぱちと瞬きをした途端、柔らかな笑みへと表情を変えた。その表情のまま、再び口を開く。
「遊木さんがいなくなった前の日。オレはあんたと話そうとしてたんですよね」
「……そうなんだ」
「ええ。上手く説明出来ないんですけど、遊木さんがどこかに行っちまいそうだったんで。繋ぎ止めなきゃ、って思ったんですよね」
隠せてると思っていたのに、そんなことはなかったらしい。演技の仕事もたくさん貰ってたのに肝心の人には通じなかったのだと今更知った。
「次の日にいなくなっちまって、やっぱり、と思ったんですよね。それからずっと探してました」
「探す理由、漣くんにはないはずなのに」
僕の呟きをその耳はきちんと拾ったらしい。
「理由なんてたくさんありますよぉ? 何で『ない』と思ったのか知らねぇっすけど」
ぐい、とショートカクテルが漣くんの喉を通っていくのを僕は見つめた。
「自分よりオレのことを考えてくれる大事な人、逃したくないんで」
ニッと口の端が持ち上げられたのを見て、『僕のお勧め』と言われたのに、君の好きなものを無意識に考えていたんだと気付かされた。
#君と最後に会った日
#好き嫌い
今日の晩御飯は何にしようかなぁ。
スーパーに立ち寄って色々食材を見て歩く。そこそこの収入はあれど、節約して困ることもない。だから安価で美味しく食べられるメニューにばかり意識がいってしまう。
昨日は時間が合わなくて作れなかったけど、一昨日はビーフシチューを作った。牛肉が安かったことと、あとは単純に漣くんが食べたいって言ってたから。大鍋にいっぱい作ったら喜んでおかわりして食べてくれたから僕も嬉しくなっちゃって、また作るね、って約束もしちゃった。だからといって日も空けずにまたビーフシチューというのもちょっとね。いくら約束したと言っても、それじゃ直ぐに飽きちゃいそうだし。
カレーもスパイスの違いはあれど似たような作り方だし、何が良いかなぁ……。
考え始めるとキリがない。そこでふと別の切り口で考えてみることにした。漣くんが嫌いなものは避ける、という方向で。……あ、でも。
漣くんの嫌いなものって何だろう?
そう言えば僕は知らない。好きなものは知っているのに。……もしかして嫌いなものは無い? 僕が知ってる限りでは、これまで作ったものはどれも好きだと言っていた。嫌いなものを作りたいわけでは無いけど、誰だって苦手なものくらいはありそうなものなのに、一度も苦手そうな顔をしたことがない事実に気付かされた。
あれ、……どうしよう? この切り口じゃメニューが決まらなくない?
考え込んでいた僕の肩が急に重たくなった。
「遊木さんみっけ」
「わ、びっくりした!」
僕がずっと考えていた当の本人が顔を見せた。肩に腕を回して、ちょっと口の端を持ち上げてニヤリと笑うその顔が悪戯っぽく見えてかっこいいけど可愛く思える。本人には絶対言わないけど。
「今日は何作る予定なんすか?」
僕が考えてることには全く気付かずに、まだ空っぽの籠へと漣くんは視線を向けた。何も入ってないから何の推理も出来ないだろうけど、そもそもまだ何も決めていないから仕方ない。
「考え中なんだけどね。漣くんは何食べたいとか希望ある?」
僕だけじゃ決められないから素直に問いかけると、漣くんも素直にうーん、と考えてくれていた。
「何でも良い、は作る人にとってはめんどくせぇんですよねぇ? でもなぁ……オレ遊木さんが作ってくれるものは何でも好きなんで」
「……それは、『何でも良い』と同じだよね?」
「ですよねぇ……」
すみません、と謝罪の言葉を口にして、肩に腕を回したまま首を傾げている。だいぶ考えてくれているみたいだ。
「今日はね、キノコが安いんだよね」
「キノコっすか……。ホイル焼きとかどうですか」
「キノコだけだとバランス良くないよねぇ。鶏肉も入れたら良いかなぁ」
「ああ、それいいっすね! じゃあそれにしましょう!」
途端にうきうきとして僕が持っていた空っぽの籠を漣くんが取り上げた。そして、売り場をまた歩いて籠に放り込んでいく。
「考えてみたら漣くんの好き嫌いってあんまり聞いたことないなって思ったんだよね」
僕がなんとなく問うと。
「だから、遊木さんが作ってくれるなら何でも好きですよ? 作ってくれるのが遊木さんだから、とも言いますかね」
臆面もなくそんなこと言わないで欲しい。唐突過ぎて、熱くなってしまった顔を隠すことすら出来ないじゃないか。咄嗟に俯いた僕の耳元で漣くんの好きなものを囁くなんて酷い追い討ちだ。
#透明な水
『透明な水、と聞いて思い浮かべるのはなに?』
『超純水じゃないです? 自分に詩的なものは求めないで頂きたいものですな』
『いやいや、別に七種くんに詩的なものを求めてるわけじゃないんだけど』
『ほぅ? それは、自分には詩的なものは理解できない、と侮っておられると』
『なんでそうなるの!? 違うってば!! わかってるくせに酷いよ七種くん!』
情報部で一緒とは言え、この二人だけで公に向けて会話していることはとても珍しく思う。ユニットも違えば趣味も違う。寮内でのサークルでも被らないのに何故? と言われるが、そんなのはオレも知りたい。以前同じユニットである茨に聞いてみたが、情報部ですので、と返されてそれ以上の返事はなかった。では、と遊木さんに質問をしてみたが、こちらもあまりはっきりとは答えをくれなかった。やはり茨と同じく、情報部だから、と。
『工業施設とか研究所で使われるらしいよね』
『そうですね。不純物を一切排した水ですので、一部では『飲むと危険』とか『触れると溶ける』とか言われてますね』
『そうそう。水中に含まれるミネラルも空気もないから、本当に澄んでるらしいよね』
『ええ。……まあ、そういうわけでですな。ここに超純水があるわけですが』
『飲んだら危ないってほんと?』
『では遊木さん飲んでみますか?』
『えっ!! そんな雑に勧める?!』
『自分じゃないですし! 勿論ですとも!』
『やだよ! 七種くんちゃんと説明しないと視聴者の人たちがびっくりしちゃうよ?!』
危険物と言われるようなものを軽く勧めるなんて鬼か、と思わず笑ってしまった。あまりに軽快に進む会話に、面白くなって食い入るように見てしまう。
『仕方ないですね! 超純水というものはどういったものかご説明しましょう。……はい、本日の情報を駆使して調べていくコーナーの本題は『超純水』です。ご覧になってる皆さんはとっくにご理解頂けているかと思いますが!』
そして茨による説明が入る。それを補佐しているのが遊木さんだ。フリップに絵を描いて図解していく。この情報部で作る配信はこういうものらしい。名前は聞いたことあるけどどういうものかわからないものなど、科学的なものや工業に使うものなど、身近なようで知らないものの説明をするらしい。今回の配信を見て何となくそう言う傾向のものだと理解した。
『そんなわけでですね、超純水というのは遊木さんみたいなものですな。わかりやすく言えば』
『……どこがわかりやすいの?』
『さて、自分の説明でわからないのであれば、ジュンに聞いてみるといいですな』
『え? なんで漣くん?!』
『では今回はこれにて失礼致します! 次回もお楽しみにしてくださいね!』
『え、ちょっと待って??』
混乱したままの遊木さんを最後に写して配信が終わった。一体どう言うことなのか。何故最後にオレに聞けばいいと言ったのか、皆目不明だった。
これは遊木さんから質問が来るだろうから調べておいた方が良さそうに思う。机の上に置いていた端末を引き寄せて検索をかけた。
超純水の状態は保てない。空気に触れれば空気に含まれるものが溶け込むからだそうだ。周りにあるものは吸収していく貪欲さのことを言っていたのだろうか?
茨の発言の意図はわからないが、手にしていた端末がメッセージを受け取って震えた。もうじき遊木さんが来るらしい。そのときに話してみるのも悪くはない。