急かさない。話を聞いてくれる。寄り添ってくれる。他愛もないことを共有できる。一緒に笑ってくれる。一緒に泣かなくてもそばにいてくれる。たまに意地悪を言う。それでも傷つけることはない。
それが僕の理想の人。
あれ、それって……?
#理想のあなた
#突然の別れ
「ごめんね。最初はふわっとした話が提案されたから、それについてある程度決まったらちゃんと相談しようと思ってた矢先に決まっちゃったんだ」
「もっときっちりと意思確認してからじゃないんですかね……こういうのって」
「僕もそう思うよ。だから抗議はしたんだ。でも、決まったことだから、って」
肩を落として呟くように言葉を吐く。その様子を見れば、本人の納得は得られていないのだろう。だが確かにこの話自体は悪いものではない。むしろ大半の人が両手を挙げて歓迎するのではないか。結果的にそれを選んだとしても、オレは多分納得できると思う。
「だからごめん。しばらくニューヨークに滞在することになるんだ」
「……で。……荷物、纏める必要はあったんですか?」
オレは遊木さんの足元に置いてある箱へと視線を落とす。その話を請けて、オレが帰って来るまでに纏めたのであろうその箱。改めて部屋を見渡せば、不自然に思える空間がいくつも。
「そんな長期間の話じゃないですよね? ……なんで置いていかないんです? ……なんで……っ、全部、持っていくんですか?!」
徐々に自分の感情が抑えられなくなって来る。いや、そうじゃない。言われたこと、これからのこと。ようやく頭が理解していっているのだ。
「残して行ってくださいよ! ここに、オレのところに戻って来るんだって、約束してくださいよ! ねぇ!」
「……だって」
抑えられないままに声を張り上げるオレとは対照的に、呟くような、囁くような声が落ちる。
「置いていったら……僕が戻れると思ってた場所にもしも他の人がいたら……。僕がいない間に僕の残したものが漣くんの邪魔になっちゃうかもしれないから。……だから僕の荷物はない方がいいでしょ」
「勝手にそんな想像しないでくださいよ! 何でなんです? オレの気持ちはそんなに信用して貰えないんすかねぇ……?」
幾ら伝えても、きっと遊木さんの心には届いていない。埋めることの出来ない穴があって、そこからすり抜けてこぼれ落ちていくのだろう。
伝えて伝えて、ようやく埋まったのだと思っていた。でも多分そんなことは一生やってこないのかもしれない。
「漣くんを信用してないわけじゃないんだよ」
「じゃあなんで……」
返事はなかった。ただ、寂しそうな笑みを浮かべてオレの手を握る。握り返すと、変わらぬ笑顔でそっと手が離れていった。
「待ってて、なんて僕には言えないよ」
じゃあオレが追いかけるだけですよね。オレが黙って待ってる性格じゃねぇのはあんたも知ってるでしょ? 別れなんて受け入れてやんねぇ。それが少しの間だろうと関係ない。腕の中に取り戻す、それまであんたはニューヨークで待っていれば良いんだよ。
内心で呟いてその背中を見送った。
そんなものには縁などなかった。考える余裕だってなかったし、そもそもそれがどんなものなのか知る術もなかった。
それが一転したのは親のもとを離れ寮で暮らすようになってからだ。いや、もっと突き詰めるならば、特待生になってTrickstarに出会ってからだろう。それまでのオレはアイドルにしか興味がなかった。親に見せて貰えていたのがアイドルだけという理由もあるけれど、自分自身が他を見ようとしていなかったのかもしれない。視野の狭かったオレの世界がそのときから一気に広がったように思えた。
まずは仕事だったのにそこまで興味のなかったゲームの面白さを知った。最初は仕事で関わったし一度くらい触ってみるか、程度の認識だったのに、その場で出会った遊木さんの舐めた態度にムカついて乱入しまくった。ゲームはやったこともなかったのに。そして結局一度も遊木さんには勝てなかった。でもそうやって遊んでいるうちに、純粋に『誰かと遊ぶ』ということが新鮮に思えた。
そのあと繋がったSNSによって遊木さんから色々なものがもたらされるようになった。流れて来るものを目にすると、これまで本当に視野が狭かったのだと改めて突きつけられた気分にもなった。
情報収集は基本的に茨がやっているため、オレが自主的に行うことはほぼなかった。でも、流れて来る投稿を見て知らない言葉や内容を調べてみることで、見えていなかったものがどんどん見えるようになった。それが面白くて仕方がなかった。
そうして気が付けば、これまで自分よりも上の人か蹴落とすライバルしかなかった関係に『友人』という枠が増えていた。それによって少しずつ心穏やかに接することが可能な相手も増えていく。
そしてまた気付かされるのだ。更に別の枠が出来ていることに。得た知識の中にそういった話はあった。だからきっと、これは。
#恋物語
#子どものままで
いつも通りに目が覚めて、いつも通りにランニングに行こうと廊下を歩いていると、何やら声が聞こえて来た。どこの部屋で騒いでんだ? こんな早朝から?
疑問に思いながらも、何か面倒ごとに巻き込まれても厄介だ。そう思って早々に外に出ちまおうと歩みを早めた直後。ガチャガチャと間近の部屋のノブが騒がしく音を立てた。
びくりと思わず身を竦める。足を止めると同時にそのドアが開いた。
「すまない……! あ、漣か」
「あ、おはようございます……」
反射的に挨拶の言葉を発し、オレの視線は自然とその足元へと落ちた。
そこには小さな子供がいたから……。
「あ、ええと、守沢先輩……誘拐は、不味いっすよ……」
「ち、違うんだ!」
慌てた様子の守沢先輩と乙狩さんに引き摺り込まれて部屋の中に入る。部屋のソファに案内され、例の小さな子もどこか無感動な表情をしたままオレの横に座っていた。巻き込まれたくなくて早く出ようとしたのに結局面倒ごとに巻き込まれてんじゃねえか……。
そこでふとオレは気が付いた。
「遊木さんはいないんですか?」
オレの問いに守沢先輩と乙狩さんは顔を見合わせる。そして、それに応えるべく代表して守沢先輩が口を開いた。
「それが、遊木のベッドにこの子が寝ていてな……。何事かと思って慌てて乙狩を起こしたのだが」
「……ゆうきまことです。いつもおせわになっております」
突然ロボットのように子供が挨拶の言葉を発する。その内容が理解出来なかったけれど。
「遊木さん?」
「はい。ぼくはゆうきまことです。いっしょうけんめいがんばります」
「え、何を?」
オレの問いかけがわからない、と言いたげに首を傾げて、きゅっと小さな手でオレの指を握った。その様子を見ていた二人はまた顔を見合わせる。
「さっきもその子供はそう言っていた。あまり信じたくはないが、その子供は遊木なのではないだろうか」
「まさか、とは思うんだがなぁ。俺もその可能性に行き当たるんだよな。名前を出すと、まるでそうプログラムされているみたいに名乗るんだよ」
弱りきった様子で二人は何故かオレの指を握ってにこにこと笑みを浮かべている『ゆうきまこと』へと視線を向けた。
「『ゆうき』さん」
「はい」
笑顔のまま首をこてりと傾げてオレを見上げる。可愛すぎないだろうか……? よくよく見てみると、遊木さんの面影しか見当たらない。確かにあまりにも非現実的過ぎて信じたくはないが、遊木さんのような気がして来る。
「今日遊木さんは仕事あるんですかねぇ? ご存知です?」
問えば、守沢先輩が「予定はない、と昨日言っていた」と返してくれた。
オレが名前を出したからなのか、きょとんとした丸い目がずっとこちらを向いている。自分のことを話しているのはわかるのだろう。そっと片腕で小さな『ゆうき』さんを持ち上げてオレの膝の上に乗せた。「わぁ」と小さな歓声をあげたのが聞こえて何だか胸の内側がむずむずとしてしまう。
「オレも今日は空いてるんですよ。この子が本当に遊木さんでも、親戚の子でも、面倒見ますよぉ」
「いや、しかし……」
「それは助かるが……」
やはり二人は渋る。どちらも責任感が強いことは知っているから、ただ通りすがりのオレに任せるのは申し訳ないと思っているのだろうから。でも。
「寂しいっていう感情がわかんねぇ子供の気持ちはわかるんです。自分がそうだったんで」
だから子どもの頃の自分を慰めたくなったのかもしれない。わからないけれど、不安な色を浮かべた『ゆうき』さんを放っておけなかった。
見下ろしたオレの視線と小さな『ゆうき』さんの視線が合った。その目からちょっとだけ不安が薄まったような気がした。
「あんた以外いないんだよ! 何回言えば伝わるんだよ!」
土砂降りの中で叫び続ける。髪も顔も服も全部ずぶ濡れになって雫が滴り落ちていく。
「頼むから……俺の言葉を聞いてくれよ……」
そして徐々に声のトーンが落ちていく。
「このシーンリテイク二回あったんすよ」
不貞腐れた声が隣から発せられた。
「……なんで?」
「雨音というか水の音が大き過ぎてオレの声が入ってなかったんですよぉ……。んでその次は水の勢いが強過ぎて」
画面に目を向けたまま問うと、声音は変わらずにため息と共に呟いた。こんなずぶ濡れになったのに大変だったんだなと思うと同時に何だか可笑しくなってしまう。
僕の笑った気配を感じ取ったのか、思い切り寄り掛かって体重を乗せてくる。
「ちょっと、何すんの」
「何笑ってんすかぁ……! オレがこんな名演技したっつうのに」
「演技見て笑ったわけじゃないよ」
ぐいぐいとのしかかって来るのを手で押し返しながら笑うと、じゃあ何だと口を尖らせる。
「こんなに熱烈に叫んだのに、それ以上に大きな音って凄いなと思って」
「絶対違うでしょ」
「いやいや、ほんとだよ! 叫ぶ声が掻き消されるくらいの音ってなかなか出せないよ。きっと演技を引き立てるために雨を強くして更に印象付けようとしたのかもね」
僕がそう口にすると、きょとんと目を丸くしてから自分の髪をかき回していた。
「だってきっとこのシーンは雨が激しいからこそ漣くんの感情の激しさが伝わるんだろうからね」
「……誰を思い浮かべて言ってたかわかってんですよね?」
ぼさぼさに乱れた髪を自分でまた撫で付けながら、相変わらず不貞腐れたような目で問いかけて来る。
だから僕は。
「わかってるに決まってるじゃない?」
視線を合わせて笑った。
#愛を叫ぶ