窓を開けることを口実に、名前を呼んだ。汗ばむ気温、湿った土のような夏の匂い。西陽が煩いから君の顔は見られなかった。
影さえ重ならない距離感で、同じ空気を共にした。
残像が焼き付くほど眩しい笑顔も、透き通るほど白い腕もその影は真っ黒で、それが妙に嬉しかった。
この季節は影が短いから仕方ない、なんて言い訳をしたまま、時間は切れた。
今年も影が短くなった。雨上がり生ぬるい空気を思い切り吸い込んで、もう現れることのない影を、この部屋で待っている。
懲りもせず君を探した。
忘れないと誓った横顔は目を開ける度に遠のいて、記憶に収まりゆくことに気がつき、唇をかむ。
幸福な思い出になる前に、日々を辿って、何度でも物語を始める。続きを探す。それが、終電を過ぎた駅で電車を待ち続けるようなものであったとしても、どうか次の朝まで。
君がこの街にいた痕跡を探し続けていた。
長い旅路のほんの少しの時間、同じ空気を吸っただけ。君の海馬に少しでも爪痕を残せただろうか、と考えるのは傲慢なことだろうな。
東京はもう桜が散ったらしいが、知ったことではない。君を記憶にしないため、今日も残像と暮らす。この先ずっと一緒だって構わない。妄想だって構わない!
そう思っていたのに、君の痕跡を見つけて、膝から崩れ落ちてしまった。桜が散り始めていた。
大人になって、未来図を描くことができなくなった。目の前になだれ込む塵を端に寄せることに精一杯で、未来図を描くスペースもない。どうにか確保した足の踏み場に腰を下ろし、眠りにつく日々。息抜きどころか息継ぎも怪しい。しかし、迫り来る今に揺り動かされ、些細なことで傷ついたり幸せを感じたりする日々は、美しい気がした。
ときに、未来図を手にしたかつての自分が冷ややかな目で見下ろす。それでも、等身大で今を生きる選択をしたこの日々は、きっと美しい。だから、未来図はもう要らない。
ひとひらという言葉を知らなかった。
何か小洒落た一文に使われている言葉という認識だった。
「薄く、ちらなもののうちの一つ」。
あまりにも質素な意味を知った時、目に浮かんだのはポストから落ちた請求書の一枚、溢したシュレッダーの紙、人波の中立ち塞がる恋人たち。ひとひらはありふれた日々の事柄だと思った。さも風情ある日本語のようにあつかわれる「ひとひら」には何の趣もなかった。それでも、些末なひとひらの上に記憶と記録を重ねて意味を増やしていくことができたなら、それは素敵なことだろうと思った。