すえた臭いの布団から起き上がる。ハエのたかった皿。3日洗ってない頭。卑怯にも、永遠を信じてため息をつく。普通に暮らしたいことも、誰かと手を取り合いたいことも口ばかりで、今日の自分は紙コップで水を汲み、口元へ運ぶことに精一杯である。今日の自分はこの世界に必要なかった。昨日と今日の区別がつかない。なぜ生まれてきた。生命とは。時間とは。息が出来なくなる。唯一の永遠を探したくなって一考、しかし全てが面倒になりまた眠った。
涙を溢したら気づかれてしまいそうだから、子供みたいに泣きじゃくって誤魔化した。
もしもあなたが結婚したことを知ってももう泣くことはできないだろうけど、今も生活の折に姿を探している。
何度コーヒーを飲んだだろう。背中合わせのまま、熱くて飲めないふりで時間を稼いだ。別れの季節が迫ることも忘れ、ケトルに映る後ろ姿に、安心していた。
最後、荷物になるからと寄越したスティックパックにプリントされていた「大丈夫、僕がついてる」。マーケティング戦略の一環に、何の意味もなくて。
それでも、今も冷めることなく引き出しの中に眠っている。
子供の頃、積み木を積むのが上手かっただけであんなに褒められて。今では積み木に触れているだけで頭のいかれた大人である。時間は残酷に人間をまだ見ぬ世界に連れ去る。みるみる高くなるハードルはそのうち自分の人生を追い越して、気がつけば道を外れた人になる。自分らしく生きるなんて幻想で、唇を噛んで「まだ見ぬ世界」にしがみつくしかなかった。こんな世界なんて、自分にはなくて良かったのに。ずっとここに居たかったのに。
この世の中で語られる愛は実のところ、優れたルックス、経済力、人間性、スマートな立ち振る舞い、家事能力などステータスへの恩義の蓄積。数値化される愛にどこか空虚な思いを抱きつつも、可視化された愛の大きさに安心して、納得する。
それでは、ただ部屋にいて、たまにテレビを見て笑っていてくれたらそれで良かった、この気持ちは何と呼ぼう。