七色。
虹の架け橋で使われる定番の色を、まず想像したが、別に何色でもいいんだこれは。
誰かが言った「白って300色あるねん」みたいに、1色を7倍に増やしても良し。
まあでも。
基本的にはグラデーションになると思うんよ。グラデーションに区切り位置はないけど、色が変わったな、という所に境目が生じる。境界線はくすんだ色をしていることが多い。
でも、七色というと、グラデーションでなく境界線があるわけなので、明るげな色を選ぶ理由があると思うのだ。だってアレは、混ざって作り出される色――悲嘆、格差、貧困の色。
くすんだ色は、現在世界の何%を占めているのだろう。くすんだ色を選ぶ理由はない、と思っていた。皮肉にも、地球儀でいう大陸の色はくすんだ色を採用されている。
最も多く使われた色は、「地球は青かった」
温暖化による異常気象で白は青のなかに溶けていても、変わらず言うだろう。地球は青かった。宇宙にいるのだから。宇宙は、黒だから。七色の外側――それが宇宙なのだ。でも、赤だけは特別。太陽、アンタレス、超新星爆発……神さま。
記憶。
一ヶ月くらい前に「記録」という題がでてきたと思う。
記憶と記録。同じ意味合いのようでいて、若干の誤差がある。記憶は人間にだけできて、記録は人間以外でも使えるようにしたものだ。記憶は見えない。記録は記憶を見える化したものも含まれる。
見える化とは、形だ。本来見えないものを見えるようにする。大幅な簡略化。文字、数字、記号。それ故時間。過去現在未来。だいたいこれらは記憶を見える化した形。概念的の形も含まれる。
記憶は、ある種存在不明の無形遺産である。
記憶は見えない故に「憶えている」ことに主眼を置いていて、感情的なものほど頭に残りやすい。トラウマ、恐怖的出来事、象徴的脱皮。あるいは自身の欠点。
自分の欠点ほどよく見えるものはない。長所短所は記憶の積み重ねでできている。過去の積み重ねにより、現在の視点では「自分のこの部分が短所だと思います」と自認することができる。自認できなければ相手に伝えることはできない。だから性自認が問題になっている。
いつまでも自己が見えず、日々の記録のまま、置いてきぼり。人生という名の列車に乗り遅れた。それなら諦めて別の手段を探せばよいが、乗車したら心苦しい。切符を買った記憶が無い。いつどこで誰が……無賃乗車。
いつ降りればよいのか。今か。天候・現在地、あるいは時間、それらを見る余裕すらない。
そうして罪悪感にさいなまれ、窓を開ける。身を乗り出す。乗り出そうとする。助けられる。でも。
人身事故のために懺悔して、自らを刹那的な向こう見ず。ちょっと希望的な路傍の花に憧れて、それで。
記録の積み重ねでは考察はできても、それをフィードバックして改善することは難しい。しかし、記録はある程度ズルができて、例えば四捨五入。数や形を簡略化し、丸くする。
記憶の改ざん、というのが人間の得意とする特徴の一つだ。過ぎゆく現実を過去の形に置き換えるために、視覚的・聴覚的・感情的などの情報に分解する。あとで記憶として思い出せるようにする。
要素を記憶域へ格納し、短期記憶から長期記憶へと移行する際に、頭は思い出す光景を予め定めて、思い通りにする。因果を逆転させる。過去があって未来があるのではなく、未来を見据えて過去を改ざんする。それが記憶。
よく記憶が色褪せていくという表現があるが、元々記憶は褪せていると思う。自分自身が色を付けたのだ。
子供の頃に見た44色の色鉛筆。それを使って、鉛筆画を描いているにすぎない。色のついた芯が削られ紙につく。俎上される。見様見真似です。何を描いてもA評価。子供だから、落書きなほど褒められる。
それで時は未来。
「あなたは過去に何色を使いましたか?」とへたくその絵を見ながら問い質される。それが、人間が作り上げた文化、人間らしい文化なのであります。
そもそも記憶は見にくい醜い。多面的に乱反射。色を付けたら、そのようにしか見えなくなる呪い。
もう二度と、気安く反応しないこと。
売り言葉に買い言葉。
ここではないどこかのサイト。
どうやら学タブの運用年数に応じて、利用者の年齢が小中学生よりになってきている。応援コメントでも何でもない、アンチコメントが届くようになった。
せっかくかいてくれたのだから、一応目を通すのだが、なになに……今年で義務教育を卒業したのだから言っている?――こちらが小学生だと思っているらしい。アタマが終わっているようだ。
上から目線になってしまうのだが、文構造がオカシイ。卒論なら教授に痛めつけられるレベルだ。赤ペンで、ここの助詞がオカシイ。参考文献はどれだ。著作権に違反しないような書き方にしろ。考察の結論がどうだ、など。
どうあがいても中卒。僕にかなうものか。
まったく、たしかにこちらは美大出身。短大みたいなものだ。絵描きのタイムラプス動画を編集したショートを上げている。かっこよく言えばフリーランスだ。
そこまで人気でもないのに、僕にアンチコメントを書いてくれるなんて、なんてアタマの悪いバカなんだろう。きっと人生の選択をミスった低学歴。不登校児、なのかな……という煽りを飲み込む。それで、丁重に頭を下げて、無視した。かえって返すと相手が調子に乗るし、ヒートアップする。同じ土俵には立たない。見なかったふりをする。
現時点で中卒、これからは努力次第だけど、こんなに長い文章を書けて偉いね。そう思いながらコメントブロック。すると見なかったふりができる。
以前は頭に血が上って、感情の揺さぶられる思いのまま返したことがある。頭のなかがかゆくなる感じだ。脳みそは皺くちゃなのに、さらにシワが増えそう。これも一種の雑念なのかもしれない。筆が乗らず、いくつもボツにした。それがのちのち教訓になった。
SNSにて、やれ論破だ、やれ論理破綻だ。などといって茶々を出してくる暇人は多い。見ている分には楽しいが、当事者だと金にならないし、はっきり言って時間の無駄。
相手は僕が返事を書くのだと思ってくれている。だから脳みその軽い子供なのだ。想像力がない。
その間に僕は、パフェでも喰っている時のように、何食わぬ顔をして絵を書くのだ。今日は白鳥のような美しい絵を描くよ。あわわ、コーヒー零しちゃった、どうしよう。白を基調とした鳥は描けないから……結末を予想して――と、想像性も創造性もない一般的なへたくそたちを煽る。空よりも高視点から見下ろした画角の、鷹揚とした鷹を描くさま。
編集したものをネットに上げると、みるみる視聴数がうなぎ上りになった。鰻じゃないよ、鷹だよみんな!
コメント欄が盛り上がって、少なくとも僕は嬉しい。
雲り。
雲が広がって曇り空に。
雲と曇。
同じ意味合いの漢字なのに、後者のほうがなんだか黒っぽい。
どうしてなのかな、と空を見上げたらそりゃそうか。太陽を乗せた雲のほうが、分厚くならなきゃ曇じゃない。
画数が多いだけ。宇宙の先に太陽がある。
そんなことを言っているから感性がつかないのだ。
ほら、あの曇り空を、亀の甲羅のように想像したまえ。
分厚く、濃緑色の曇り空のほうが、湿度が高くてカビが生えやすそうじゃないか。甲羅の溝のように、規則性が見えるようで見えない光の亀裂で、しきりに雲の中で仕切りを作り出そうとしている。その前兆が、あれらの色味なのだ。
きっと天上で誰かが亀を飼っているのだろう。この地帯を覆い尽くす程にでかい亀さんだ。
怖がらないで。家の中へ入ってごらん。
一日くらい、かめ様に明け渡しなさいな。甲羅干しをしたら、神社の池の中に返ってくれる。その時には薄い雲りになって、太陽が出てくるようになるだろう。
bye bye…
ニュースを見ていたら、関東準大手の新京成線の名称が来月から無くなるらしい。正確に言えば京成グループの一部となる吸収合併なのだが、駅ナンバリングや駅名簿が張り替えられ、テーマカラーが一新される。駅の雰囲気が変わらないようで変わるようだ。
路線名は京成松戸線。
新京成って京成の仲間でしょ、と思っていたので、これはこれでいいかなって思ったが、地元民は突然のことで戸惑っているだろう。
別路線の路線図も残さず張り替えられる。新京成という名をこの世から無くそうと躍起になっている。結構大ごとのようだ。地元民の一部撮り鉄は、ブログにて新京成の名前が取り去っていくさまを、写真と文章で克明に残していく。過渡期、そう言っていた。
テーマカラーはジェントルピンクと呼ぶらしいが、それからブルーになる。
車体のピンク塗装もブルーカラーになる予定だ。すべての車体を来月一日から、とはならなそうだが、徐々に塗装工事を施して、一本ずつ無くしていくのだろう。
鉄道むすめというのがあって、新京成にはピンク髪の女の子キャラが駅員服で勤めている、という設定があるようだが、これはどのようになるのだろう?
京成に移るのか。でも、新京成のマスコットキャラは卒業するらしいから……。
悲しいお題だ、書いていて思ったけど。卒業式とかけているのだとは言え。電車の広告で、
「卒業は終わりじゃない。新たな始まりだ」
とキャッチコピーで謳っていた。卒業式で貰う筒を持って、卒業生たちが集まって、集合写真の被写体となっている。キャッチコピーのように思っているのは、手前側の人間だけではないか。奥の人ほど小さくなる。これも過渡期……懊悩とした。