22時17分

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記憶。

一ヶ月くらい前に「記録」という題がでてきたと思う。
記憶と記録。同じ意味合いのようでいて、若干の誤差がある。記憶は人間にだけできて、記録は人間以外でも使えるようにしたものだ。記憶は見えない。記録は記憶を見える化したものも含まれる。
見える化とは、形だ。本来見えないものを見えるようにする。大幅な簡略化。文字、数字、記号。それ故時間。過去現在未来。だいたいこれらは記憶を見える化した形。概念的の形も含まれる。
記憶は、ある種存在不明の無形遺産である。

記憶は見えない故に「憶えている」ことに主眼を置いていて、感情的なものほど頭に残りやすい。トラウマ、恐怖的出来事、象徴的脱皮。あるいは自身の欠点。
自分の欠点ほどよく見えるものはない。長所短所は記憶の積み重ねでできている。過去の積み重ねにより、現在の視点では「自分のこの部分が短所だと思います」と自認することができる。自認できなければ相手に伝えることはできない。だから性自認が問題になっている。

いつまでも自己が見えず、日々の記録のまま、置いてきぼり。人生という名の列車に乗り遅れた。それなら諦めて別の手段を探せばよいが、乗車したら心苦しい。切符を買った記憶が無い。いつどこで誰が……無賃乗車。
いつ降りればよいのか。今か。天候・現在地、あるいは時間、それらを見る余裕すらない。
そうして罪悪感にさいなまれ、窓を開ける。身を乗り出す。乗り出そうとする。助けられる。でも。
人身事故のために懺悔して、自らを刹那的な向こう見ず。ちょっと希望的な路傍の花に憧れて、それで。

記録の積み重ねでは考察はできても、それをフィードバックして改善することは難しい。しかし、記録はある程度ズルができて、例えば四捨五入。数や形を簡略化し、丸くする。

記憶の改ざん、というのが人間の得意とする特徴の一つだ。過ぎゆく現実を過去の形に置き換えるために、視覚的・聴覚的・感情的などの情報に分解する。あとで記憶として思い出せるようにする。
要素を記憶域へ格納し、短期記憶から長期記憶へと移行する際に、頭は思い出す光景を予め定めて、思い通りにする。因果を逆転させる。過去があって未来があるのではなく、未来を見据えて過去を改ざんする。それが記憶。
よく記憶が色褪せていくという表現があるが、元々記憶は褪せていると思う。自分自身が色を付けたのだ。
子供の頃に見た44色の色鉛筆。それを使って、鉛筆画を描いているにすぎない。色のついた芯が削られ紙につく。俎上される。見様見真似です。何を描いてもA評価。子供だから、落書きなほど褒められる。

それで時は未来。
「あなたは過去に何色を使いましたか?」とへたくその絵を見ながら問い質される。それが、人間が作り上げた文化、人間らしい文化なのであります。
そもそも記憶は見にくい醜い。多面的に乱反射。色を付けたら、そのようにしか見えなくなる呪い。

3/26/2025, 9:47:30 AM