22時17分

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9/20/2024, 9:56:51 AM

時間よ止まれ。
心のなかで念じたら、本当に時が止まってしまった。
 
えっ、ウソ、あれっ。
内気な小学生は保健室の中で慌てている。
自分以外の人間は皆、音が溶けるのを待つ指揮者のように静止してしまった。
 
体重計に乗ろうと片足立ちになっている生徒。
身長計の棒を下ろしている最中の、看護師と生徒の対話。集団行動の静寂になっていない静寂。
体重を測り終わって友達の輪に合流し談笑している集団。口を開けたままニヤつく同級生。
戸惑いつつも、強制静止の食らった保健室の隙間を縫い、廊下に出る。やはり時は止まっている。
次のクラスの見ず知らずの人たちが、列をなしている。林立する彫刻の森のように。
無造作に並べられ、視線があちこちに飛んだままになっている。
 
保健室に戻り、ドアを閉めた。
彼女はくくっと声を出し、そして笑った。
とても気分が良かった。
自分以外のみんなが止まってしまった。
面白い、面白い、わっと笑う。
 
学校でこんなに笑うのは、初めてかもしれない。
ざっと記憶を見積もっても、少なくとも3年は経っているだろう。
嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴。
私をいじめた。見捨てた。見て見ぬふりのクラスメイト。先生。教頭。校長。
保健室に逃げ込み、保健室登校をしようとしたのに、慰めるどころか上から目線で説教をした保健室の先生。親指のような器の小さい親。

彼女が好きなのは勉強くらい。黒板くらいだった。
でも、この日は不運なことに、大好きな算数の授業を潰して、健康診断をしている最中である。

小学生は目が悪くて、壁にかけられたランドルト環がぼやけて上下左右がわからなかった。
わからなくてわからなくて仕方がなかった。
目を凝らしても見えない。
そんな精神でいられない。
こんなの、見えたって意味がない。
そろそろメガネを作らなければ、という現実を殺したかったから念じた。そしたら止まった。

夢を見ているかもしれない。それでもいい。
色のない世界に生きていたんだから、時が止まったっていいじゃない。ねぇ、そうでしょ?
 
近くの彫刻に足を運んだ。
特に見覚えのない命だった。
手のひらを伸ばし、指が触れた。
硬い。それはそう。
彫刻の顔、耳、エラの部分、下顎、そして首。
首に手をやる。
リボンを結ぶときのように。
将来のための新婚ごっこをするように。
ネクタイを結ぶように。
両手を添えた。
そして、一気に力を込めた。
握力計を両手でズルをするように……

……破片が散らばっている。
うわばきを履いているのに足元が痛い。痛いという感覚が罰として下った。身体を貫いてくる。
でも、いいや。
投げ飛ばすように赤いうわばきと赤いソックスを脱いだ。裸足のまま歩く。

それから1000年くらい、彼女は神さまのせいにした。
こうなったのは神さまのせい。
一人って、こんなにも楽しいんだ――と、まだ一人で笑っている。彫刻の首を縊(くび)り殺して回っている。

9/19/2024, 9:55:57 AM

夜景を見る人それぞれに、客観視の概念があると思う。
海側、二階席のグリーン車。東海道線。籠原行き。
その人は製造業の工場派遣をしているというのに、行きと帰りの通勤電車はグリーン車を使っている。

早朝は小田原行きの東海道線グリーン車。
夜7時、つまり現在時刻は籠原行きの東海道線グリーン車。
それに乗って、都会に帰るのだ。

新幹線を使えばいい。普通車のすし詰め状態のくぐもった声。
それらを無辜の民のように聞き流して、お茶のペットボトルを一本飲む程度の有意義な時間を過ごす。
帰りは駅弁を買い、グリーン車で食す。
……ことができればいいが、そんな贅沢、いつもできるわけではない。

藤沢市の住宅地を見渡した。
川崎工業地帯を見やった。
品川駅越しの高層ビル群、高層ビル街を眺めた。華やかなイルミネーションのように、建物自体に光が咲き散らばっている。人の営みが纏わりついている。

夜の都会は眠らぬ。どうしてかと思考を巡らす。
残業手当のために居残っている同胞か。
あるいは家族の団欒のために漏れる光か。
それから夜景をデザートとして、夜のディナーを戴いている富裕層たちか。
無人の建物の中にいるロボットの電源装置か。
昼夜逆転した夜勤バイトの疲れた香りか。
かつて遊んでいた子供の年齢で塾に籠もる自習室から漏れる光か。
誕生日を祝う、ろうそくの光。
投げ出したPCの見えない印。


そんな意味を持たすなこの光たちに。
たった2秒の過ぎゆくグリーン車の、眺める車窓のために、人間たちはいつものように意味を持たし、意味を投げ出している、という夜景。
東海道線車内の横揺れを感じる。グリーン車だから、音は若干抑えられている。
ペットボトルの蓋を開け、薄っぺらいお茶の味を味わう。まもなく新橋、新橋です。

9/17/2024, 2:37:19 PM

花畑ほどの数の真実が虹の下に群生していたとしても、花の色は決まっているという。
あか、あお、きいろ、むらさき、藍色。

仮に虹の道を進むことができるなら、半透明色たる虹の下から花畑を見下ろすことができる。
なんてきれいなんだろう。
そんなことを思う人が、人の世の0.0003%ほどの人間がいたとして、花畑たちはゆらゆら揺れていることだろう。
穏やかな風に吹かれ、自由に花粉を飛ばし、生物の侵略もない。あるのは移り変わる季節のみ。
一年草、二年草、多年草。いつしか木も生えるだろうが、それでも花畑から逸脱するかといえば、そんなことはないのだと思う。

僕は虹の道より、地上を選びたい。
花畑をかき分けて、気に入った花束を作るようにしてみたい。
そういえば、そんなことは花屋でもできる。
けど、花屋ではできないことを、花畑では感じることができる。きっと花の香りに包まれているようなのだ。
それは、今の人たちには幸福に感じられるかもしれない。
……幸福ってなんだろう。

9/16/2024, 2:39:38 PM

空が泣くのはどうしてなのか。
今までこんなことはありえないことだ。
もちろん、海面が蒸発して雲ができて……ナドというものではない。そんなことで空は泣かない。
雲が勝手にできて、雨を降らしているだけで、空は本来泣かないものだ。
空の色合いが毎時間に変化する。虹色の構成する色全ては体験したし、その色に属する雨の色が雲もないのに落ちてくる。酸性雨。喜ぶ雨とは到底思えない。
空は、泣いているのだ。理由究明が各地方で叫ばれた。

旅客機のパイロットがある日突然発見した。
空と宇宙の間にある成層圏にて、いびつな雲の形があったとの目撃情報があった。
あとでそれは天空に描かれたある種の文様(魔法陣)であることが後世にてわかり、世界に激震が走った。

世界中の研究者たちが一丸となって原因究明すると、どうやら海の底に鍵があると目論んだ。
こぞって、賞金稼ぎなどのトレジャーハンターたちが、冷たい氷海の中へ無謀な潜水を披露したり、国盗りレベルの設備投資額でゴリ押して、水中深くまで専用の潜水艦を沈ませたりもした。
すべては海の底にある。深海生物を蹴散らし、まだ奥へもっと奥へ……。
その言葉を信じて数々の人たちは挑戦し、そして自然に敗れた。深海は過酷な環境だ、なにせ人が住むような快適な場所ではない。
だから、二度と浮上することは叶わなかった。

空が泣いた1年後、空を見上げた。
青い空が広がっている。青い空?
どうやら空は泣いていない。
なぜだ?
わからない。
なら、どうして空は泣いたのだ?
それもわからない。言語を喋る口も聞くための耳も鼻もないから。
地上の人たちは訝しがっていた。それだけで済んでよかったと空は思った。

空が泣く、その理由は一つだけ。
宇宙がなくなっていたからだった。

9/16/2024, 9:20:04 AM

君からのLINEが届いた時、私は人を殺している途中だった。

文章にすれば驚くものを書いているかもしれない。
しかし事実だ。
さして物騒なものではない。
ファンタジーのように残忍の夜の帳が下りた世界観ではない。
それとはスケールが違う。かなり小さいものだ。
魔王なんていない。勇者なんていない。皆殺しにあう村人などはいない。しかしそれでも人は死ぬ。

何も知らない人によっては、人を殺していると捉えられるだけで、当事者の女たちと私との間では、命が宿る袋の中を淡々と掃除しているだけ、という認識でいる。
金を支払えば私はこれをする。
そうでなければ、目の前の患者はいずれ精神的鬱で、母子ともに死んでしまうだろう。

いわゆる医者という、職業をしている。
産婦人科医。
しかし、経産婦のような命を出迎える、ありがたい光景を生業としているのではなく、薬物を使って計画殺人に加担している、ようなものだ。
それは産みたくないという女性の意志を尊重していると、私が思っているため。
それの名前は特になく、単なる子宮内容物であり。
命なんていうものは、人間たちの思い込み。それを単純に感じる日々。

まだ腹は膨れていない彼女に麻酔薬を吸わせた。
股を開かせ、金属状のくちばしで入口付近を無理やり開く。
無理やりやられて出来てしまったから、というのが本日の来院理由。よくある理由だ。
開いて覗いた。
好きでもない人の、粘膜色を覗き込む作業に、劣情を催すほどの若い年齢でもなくなった。
医療用の吸引器のスイッチを入れた。
風の音の吸い込みとともに、冷たいはずの機械を滑らせて、ものの一分二分で終わってしまった。
その時刻に、君からのLINEがあったのを知った。

「やっと妊娠したみたい」

そう書いてあって、既読をつけてしまったことに後悔している夜9時。

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