「命が燃え尽きるまで」を現実世界でやったら人生終わるんだよね。
今はもう過ぎ去った時代、昭和・平成時代には「24時間戦えますか」なんていうキャッチコピーが流行った。
戦わなければ、生き残れない……!
栄養ドリンクのキャッチコピー。
企業戦士、勤労礼賛、サビ残は当たり前。
結果、リストラや人件費削減などにより「失われた30年」などと言われる不況になってしまった。
「命が燃え尽きるまで」
この言葉は、話がファンタジーであるほど似合っていて、しかしながら、現実の一部地域はこの事実がある。
過去は言葉通りに過ぎ去るよりも、ファンタジーに溶け込ませたほうがいいな、と思う。
だから、ファンタジーに熱血さのある場面がところどころに出現するのだろう。そう思った。
夜明け前の薄明時刻。
東の空から新たな光が供給されて、暗き黒の領域の一部が濃紺になってきている。
浮かんでいた小さな雲の存在が目立つようになって、夜が明けてくることを空が自覚する。
深夜のコンビニで、「夜明け前」という酒を買ってきた。
名前の通り、これは夜明け前に飲むのがいいと思って寝ずの番をしていたが、バカなことをした。
名前の通りなことをせず、安酒の通りにすればよかった。けれど、その後悔の記憶は、真上で展開される夜のよろけ具合を見ると、どうでも良くなってしまった。
磨かれたグラスに「夜明け前」を注ぐ。
日本酒の香り高い空気と共に、吸う。
鼻から鼻腔を通り、喉の細胞で香りを味わう。鼻の中を通る淡い香り。
一口味わうように飲むと、山田錦の澄んだ深みを感じて、空を見上げた。
夜明け前から夜明けに推移した、明るい青が見えた。
本気の恋は、この場で発表するほどのことではないと思うので、退散したいと思いたい。
他の人の投稿でお腹いっぱい。
日めくりカレンダーみたいに、一日ごとに誇張した日付を破り捨てるほど、僕は暇じゃなくなってしまった。
百均の廉価で質素なカレンダーがいい。
インク量を使わず、画像素材も飾りも要らない。
壁掛けカレンダーがいいや。
月一回、月を変えるときだけ。ビリッと破く。
そのほうが爽快だし、手応えがある。
一日一回とはいえ何回もやると飽きてきて、途中で苦行になってしまう。
そうなると日めくりカレンダーは、ただの置物。
いつしか主に見捨てられたようになって、何年前の日付を指してるんだよってなる。
回数制限って、なんか深い。
喪失感。
僕はまだ見てないのだが、「有吉の夏休み」という番組にて某芸人の姿を番組スタッフが編集で消したらしい。
それで、SNSでは「◯◯を探せ!」が開催された。
いかにも悪趣味な遊び方をしているが、出演者の一部がいじったことで容認された見方がある。某芸人だから、笑えるならそれでいいと僕は汲み取った。
まるで出演してないような、声の痕跡がどこにもない。
現代の編集技術は進歩したなあ、昔はテロップを重ねて強制的に隠してたのに。
これが「本場の消しゴムマジックで〜」かな。
意外と人ひとりを消すのは容易なことではないのだが、そこはプロ。90%くらいは消えている。
でも、マジックも限度があったようで、店の鏡に写っていたり、腕の一部が消し忘れていたり。
あるいは、妙に画角がおかしい部分があったり、二画面構成で何かを映さない仕組みにしていたり。
番組は旅行記みたいなものだから、ロケ地巡りのそれぞれで出演者たちの集合写真を撮って、それをアルバム風に見せるのだが、どの集合写真も一人分のスペースがある。
みんな笑顔で笑っているのに、そのスペースに対して誰も指差しせずその状況を受け入れている。
誰かが写真を破って背景を付け足した。それで妙なスペースが生まれた。
これを喪失感と呼ぶかは微妙なところだが、何かを失ったのは確かだと思う。
補うのは、今は反省の時間。
視聴者には当然見えない。
だから、あれこれ不備を探したくなるのかな。