物心ついた頃には既にたくさんの同胞たちと世界を共にしていた。
狭くて身動きもまともにとれない、そんな場所に押し込められていると気付いたのはもっと後のことだが。
いつも通り1日1回の食事を待っていると、果たして扉から登場したのは知らない顔。
僕たちを見るや否や瞳に涙をためるその女とは裏腹に、怪しい人物だと認識した僕たちは一斉に睨みつけたり唸ったり吠えたり隠れたりして応戦する。
この女性が実は後に救世主として崇められることになるのをこの時の僕たちはまだ知らない。
向かい風がA男に遠慮なく吹き付ける。
急勾配の坂、一歩一歩進んでいるが正直かなり身体に堪える。
それでもこの歩みを決して止めてはならない。
高みを目指してあの方の元へ、仲間との誓いを今こそ守るのだ。
随分早めに来たというのに既に長蛇の列が出来ていた。
最後尾に並び、A男はリュックサックから宝の地図なるものを取り出す。
入念に書き込まれたそれを再度チェックした。
大丈夫、あの方は普段よりもたくさん刷っているとツイートしていたではないか。
自然と早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように深呼吸を一つ。
地方勢にとって都会でのイベントは戦いだ。
飛んでいく交通費、宿泊費。あとは慣れない土地で彷徨いながら人混みに揉まれつつ、着々と削られる体力とか。
そんなものを差し引いてでも今回はどうしても参戦したかった。
同じく地方勢の仲間達の応援と願いとその他もろもろを背負ってA男はあの方に会いにいく。
普段のお礼をお伝えし、必ずや戦利品を持ち帰るからな!
握りしめた拳にぐっと力を込めて開場の拍手がなるのを只管待ち続けた。
……後にコミケの洗礼を受けることになるとは、この時のA男はまだ知る由もない。
童心に帰る、そんな言葉がつい脳裏に浮かぶ。
A子は5年ぶりに昔の仲間と顔を合わせる機会を得た。
……最もそのきっかけ自体は全く喜ばしいものでは無かったのだが。
黒い服に身を包んだ自分達はあの頃とはあまりにもかけ離れていた。
「山田、何で死んじゃったんだよ……」
B男は皆の心の声を代弁するように独りごちている。
まさか久々の再会がこんな形になるとは思わなかった。
空に立ち上る煙を見つめ、そっと目を閉じる。
いつものメンバーと再会させてくれてありがとう、でもこんなのってあんまりじゃないかな。
山田に告白をされたけれども、A子は丁重にお断りした。
その後すぐ訃報が届いたのは果たして偶然なのだろうか。
今となっては全てが闇の中、死人に口なしとは正にこのこと。
A子達の時間は子どもの頃の無邪気に遊んでいたあの時から止まったままになってしまった。
子ども達がバタバタと帰り支度を始めている。
この後どこに遊びに行くか話している者、部活に行く準備をしている者、等々解放感に満ち満ちているこの時間が実は好きだ。
そんな賑やかな声を聞きながら、俺は自分の部屋と化している準備室へと歩を進める。
インスタント珈琲をお気に入りのマグカップに注ぎ、ホッとひと息をつく。
さあ飲もうと口をつけた瞬間、遠慮がちにノック音。
折角良い時間を過ごしていたのに……とほんの少し残念な気持ちを誤魔化すように扉を開けに行く。
「……来ました」
何とも間の悪いタイミングでやって来たのはここ最近足繁くやって来る一人の男子生徒、田中。俯いているためその顔は見えないが、滲み出る緊張と興奮を隠しきれてはいない。
「……入れ」
溜息をつきつつ、俺は田中を部屋に招き入れる。普通ならば。生徒が放課後やって来るということは何か授業で分からないことを聞きに来るのが常であろう。
しかしこの生徒の目的は明確に違う。部屋に入った瞬間、後ろ手で鍵をかけたのだ。
「先生……」
ゆらり顔を上げた田中は鼻息が荒い。理由は簡単、今から行われるこの行為を既に熟知しているからだ。
「僕、この時間が待ち遠しくて待ち遠しくて」
田中に腕を引っ張られ、来客用のソファーに沈められる身体。嗚呼、逃げ出したい。こうなった経緯を思い出すだけで吐き気がする。
前言撤回、放課後なんて大嫌いだ。
緑と赤とうっすら黄色の織り交ぜられたカーテン
胸の奥を大きく揺さぶられ、込み上げる涙を抑えることができない
そうだ、ずっとこれが見たかったんだ
僕はゆっくり目を閉じる
嗚呼、北欧まで来た甲斐があったというもの
ふわふわと揺れるカーテンは夜を美しく彩る
本当ならばこの感動を共有していたであろうあの子の分まで存分に堪能しようではないか
ぽっかり空いた心の隙間を埋めるように、僕は上を向いてひたすらカーテンに思いを馳せる