まにこ

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9/3/2024, 9:34:17 PM

人からの評価がどうも気になってしまう質のようだ。
「上手く立ち振る舞いができたかな」「あの人に嫌な思いをさせてしまったらどうしよう」
その性質は自分の作る創作物に対しても同じである。
「上手く書けたかな」「この作品が誰かに不快な思いを抱かせてしまっていないだろうか」
それこそ何の評価も得られないことだってザラにある。
「あの人みたいに上手くできない」「何だか置いていかれているみたい」
私はじりじりした思いを抱えたまま、何の気なしにテレビをつけた。
「紫式部の書く源氏物語、これが当時はとてもウケたんですよねえ」「今では古典の授業で出てくるだけでも難しくって、何なら学生に疎まれることもあるというのに」
目から鱗だと思った。今まで張り詰めていた自分の身体が気持ちが、しゅるしゅる萎む風船みたいに力が抜けていくのを感じた。
何だ、人からの評価も千年経てばこんなにも変わっちゃうんだ。そんなら大衆の反応なんて取るに足らない物じゃないか。
「人の評価を気にせず、自分の心の赴くままに書きたい物を書けばいい」
ようやっとこの言葉をすこんと私の中に落とし込むことが出来た。創作物なんて結局は自己満で良い。
きっと紫式部だって自分が楽しくて書きたいものを書いていた。そしたらたまたま当時の人達にウケたってだけなのだ。
今こうやって私が書いている文章も、千年経てば評価はガラリと変わるはず。人からの評価なんて、時と共に移りゆくものなんだ。
紫式部には申し訳ないが、他人からの評価という些細なものに振り回されていた自分に気付けて本当に良かった。

9/2/2024, 10:44:22 PM

ずぅっと真っ暗な闇を手探りで歩いていた。
右を見ても左を見ても後ろを見ても前を見てもとにかく闇、一面の闇。
B男は時々何かに躓いて転びそうになったり、ぶつかって尻餅をついたりして、どんどん傷は増えていく。
そうしながらでも、とにかくがむしゃらに前へ前へと歩くしかなかった。
しんどい時は立ち止まって休んでも良いという選択肢を、その時は知る由もない。
漸くどこかの大通りに出た。薄らぼんやり電灯がポツリポツリ立っている。
他にも同じように歩いている人達が見えた。
「おぉい」思いきって声を掛けてみる。
そこにいる数人がこちらに気付いてにこにこと手を振ってくれた。
嗚呼、やっと分かり合える人達に会えたのだ。
B男の心にぽっと明かりが灯る。
後ろを振り返ると、相変わらずぽっかりとした闇が口を開けて彼の帰りを待っていた。
―もうあの頃には決して戻らない
傷だらけの足で大きな一歩を踏み出した。

9/1/2024, 9:04:45 PM

自他ともに認める未読無視の天才だ、とA子は思う。
LINEというやつはお手軽で且つ厄介なコミュニケーションの代物だ。直ぐに返信するつもりが無くても間違って画面をタップしてしまったらあわや一巻の終わり。相手側に既読がつき、一刻も早く返信しなければならないと思わせる魔力のようなものがある。
「既読 つけずに 読む方法」
スマホで未読無視のやり方を検索してからは、彼女はいつもそれで内容を確認しているのだ。
中には先に既読だけ付いて、時間が経ってゆっくり返信が来る人もいる。相手から来る分にはそれで構わない。しかし自分がそれをやるとなると、どうもそわそわして落ち着かない心持ちになってしまう。
結果、一日の未読無視が一週間になり、気付いたら一ヶ月放置する形になっていたなんてのもザラにある。
無論、それはLINEの内容にもよるし、早めの返信が必要だと感じた場合はそれに限ったことではない。
その点昔は良かった。ガラパゴス携帯なるものを開いてドキドキしながらお互いにメールを送り合う。
そこには既読表示も何も無い。どことなくせっつかれるような気持ちにもならず、自分のタイミングで返事をすることが可能だった。
かと言って今更過去に戻るわけにもいくまい。何もLINEそのものを否定しているつもりは無いし、今でも十分にその恩恵に預かっていると思う。
ただ、一時社会問題にもなった既読表示のアレ。既読が付いたらすぐに返信しないといじめられるとか、未読無視はそれよりも質が悪いとか何とか。
読んだ、読んでいないにいちいち振り回されること自体に辟易する。
A子はB男からのLINEのトーク画面を開いた。
……既読はまだ付いていない。じりじりした気持ちを抱きつつ、再びネットサーフィンに勤しむことにした。
後に彼女は男から実はブロックされていたことを知るも、まだ期待と不安を胸にひたすら既読がつくのを待ち続けているこの時間は、ある意味で幸せなことなのかもしれない。

9/1/2024, 12:00:50 AM

いつも何かに追われているような気がしていた。若しくは潰されそうになる感覚。
一体俺は何と戦っているんだろう。
ひたすら弱者が搾取され、強者がそれを我が物顔で踏み躙る世の構造。
だから俺は力が欲しかった。早く完全な姿になりたかった。
でも本当は違った。そこに求めているものは無いし、そもそもそんなものを求めていること自体が本来の自分では無かった。
それを優しく教えてくれた相棒。
不完全な僕のままでいい、そこに人間の本質がある。
見えるものだけに縋る必要なぞ無かったんだ。
「……ありがとな」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量。いや聞こえてなくったって構わない。
僕は自分よりも亭亭たるその背中に、感謝の気持ちを込めてそっと手を回した。

8/31/2024, 12:44:18 AM

初めて手にしたのは、親がどこからか見つけ出してきた物だった。
それはスッキリとした清涼感のあるシトラスの香りで、どこか背筋が伸びるような気がする。……気に入った。
耳の裏にほんのり付けると良い。
どこかで聞き齧った情報を頭の引き出しから引っ張り出し、一、二滴振って耳の裏に塗り込む。
今日は休日で部活だけの日。
誰かに気付いてもらいたいような、それでいて誰にも気付かれてはいけないような、少し大人になれた特別感を抱いて自転車を漕いだ。
「オッサンの匂いがする」
部室の扉を開けた先輩の開口一番がこれだった。
後々よくその香水を見るとメンズ向けだったことを知るのだが、この時の少女はまだ知らない。
耳の裏には太い血管が走っており、香水が揮発するのに非常に向いていた。要はめちゃくちゃよく香ったのである。
「ねえ、何でこんな臭うん?」
大きな声で眉を顰めた先輩がキョロキョロと辺りを見回す。
他の部員達は不思議そうに目と目を合わせている中、少女は顔を真っ赤にして俯くことしかできない。
少女はアレルギー性鼻炎で、あまり自身の鼻が利かなかったのも良くなかった。
「……あー、もしかしてそう?」
鼻の良い先輩に早々にバレてしまい、それ以上は追及されることも無く終わったのだが、この一件以降少女が香水を使うことは金輪際無かったそうな。

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