烏有(Uyu)

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3/4/2023, 10:28:38 AM

別れを告げるため、私は黒のワンピースに腕を通した。
君は遠くに行ってしまった。


「聞いた?アッキーとゆりちゃん別れたらしいよ」
私達が付き合って間もない頃、同じサークルの同期カップルが別れた時、君は言ったよね。
「聞いた聞いた!…なんかゆりちゃん、浮気してたらしいじゃん。」
「えっまじで?!意外すぎるね…。」
ゆりちゃんは、黒いサラサラのストレートヘアがチャームポイントで、厳しい門限をしっかり守る真面目なお嬢様という印象だった。
「まじで、浮気とかする奴ってきしょすぎるだろ。」
珍しく君は、軽蔑と嫌悪を隠すことなく表現した。
そういえば以前に、君は他の誰にも話したことがないことを教えてくれたよね。
君のお母さんが、幼い君を残して、お父さんではない男の人のもとへ行ってしまったこと。
お父さんは上手く君を育てることができずに、ほとんどをお祖父さんとお祖母さんの家で過ごした幼少期。
私もね、高校生の時に二股をかけられて、すごく辛かったって話をしたよね。
辛い思いをした私達2人は、お互いの一途さを信頼していた。
そのはずだったのに。

「…もう別れたいんだ。」
付き合って1年半が過ぎた頃だった。
「…なんで。」
「嫌いになったとかじゃないんだけど、もう疲れた。」
そう言って君は去った。
たくさん泣いた。
1ヶ月くらいすると、泣くのにも飽きてきて、君のいるサークルにも顔を出せるようになった。
だけど…。
「聞いた?」
「え、なに?」
サークルでいちばん仲のいい友達、さな。
さなの真剣な表情と声のトーンに、急に心臓が大きな音を立て始める。
「落ち着いて聞いてほしいんだけど、じゅんとミタちゃん付き合ってるらしいよ。」
君と、1つ後輩の女の子が付き合い始めたことを教えてくれた。
「しかも、もしかしたら、あんたと付き合ってる時とちょっと被ってるかもしれないらしい。」

うーん。
私は、君にすべてを開示したつもりだった。
全幅の信頼を置いていたし、性格や考え方が似ている君を、もう1人の自分であるかのように思っていた。
でも、そう捉えていたのは私だけだったんだよね、きっと。
自分と同一視していた君の考えていることが分からなくなったことは、恐怖だった。
きっと、君は死んでしまったんだと思う。
大好きだった君は死んでしまったんだ。
だって、君は傷ついた経験があるんだから、人にそんな思いはさせないはずだよ。
きっと、今「水谷潤也」として生きている人は、君ではないの。
君の身体を借りているだけの偽物。
大事な君の身体で、君ではない振る舞いをするなんて絶対許せない。
だから、私が終わらせにいくね。

真っ黒なワンピースに、白い真珠のネックレス。
小ぶりなバッグに、買ったばかりの刃物を潜めた。
大好きな君にさよならを言うために、2人の思い出が詰まったマンションの部屋に来たよ。
大丈夫。合鍵を返す前に、複製しておいたから。
チャイムは鳴らさないで入るからね。

9.大好きな君に

3/3/2023, 2:12:38 PM

「はい、これお土産。」
謙也くんは私の右手をスッと取ると、可愛らしい小さな包みをポンとそのてのひらに置いた。
「っありがとう!!」
謙也くんなら絶対に買ってきてくれるとは思っていたけど、いざ貰う時には少しびっくりしてやや大袈裟な反応をしてしまった。
謙也くんは、この数日前に修学旅行から帰ってきた。
同じ学校の同じ学年に在籍する私はというと、出発前日に高熱を出して泣く泣く修学旅行を諦めたのだった。
謙也くんは当然のように、彼女である私に、旅行先のテーマパークの人気キャラクターのマスコットをプレゼントしてくれた。
やや大ぶりで、人形といっても過言ではない。
修学旅行のあった秋限定のもの…ではなく、オールシーズン使えるような、かといって定番すぎるデザインではない衣装を着たマスコット。
謙也くんに貰ったものをずっと鞄に着けていたい私の気持ちを、彼はちゃんとわかってる。
絶対大切にするんだ。
そう思ってたのに。

約5ヶ月後の今日。
私はマスコットを手放してしまった。
今日は顧問が休みのため部活が急遽なくなり、謙也くんと2人でカラオケに行くことになったのだ。
カラオケに行くのは実に3週間ぶりで、テストも終わって、春の陽気が顔を出していて。とにかく、私は浮かれていた。
ブンブンとスクールバッグを振り回して、大袈裟にスキップしたり、無駄にジャンプしたり。
「危ないやろ、そんなことしてたら転けて川に落ちるよ。前見て歩いて。」
謙也くんの狭めの眉間に少し皺が寄る。
「だって嬉しいんだもん、カラオケだよ。久しぶりの!」
そう言ってスクールバッグを持つ手を後ろから前に150度ほどブゥンと振り回した。
遠心力で、パッとバッグが手を離れた。
「あ」
バッグは、私たちの立っている橋の欄干に賑やかな音を立てて弾けるように地面に落ちた。
「ほらあ言わんこっちゃない。」
私はすぐに駆け寄って、衝撃でジッパーの広がったバッグからはみ出ている教科書をもとに戻そうとする。
謙也くんもため息をつきながら、それを手伝ってくれる。
あれ、なんか違和感。
「デイジーちゃんがいない…。」
彼がくれたマスコット、デイジーちゃん。彼女はオレンジの鮮やかな衣装を着ていたので、ネイビーのバッグによく映えた。
いなくなったのはすぐ分かった。
バッと立ち上がって欄干から川を覗き込むと、笹舟のようにサラサラと、オレンジの塊が遠ざかっていった。

「もう…元気出しなって。」
私は申し訳なさと悔しさと悲しさで言葉を発せなくなっていた。
「うぅ…。」
うめき声に似たものだけが意識しないままに放出される。
「なんかあれ、流し雛みたいだったな。」
「…なにそれ。」
「知らん?流し雛って、雛人形のもとになったヤツ。女の子の厄とか災難を移して川に流すの。身代わりになってくれるんだって。」
「へー…。男の子なのに、よく知ってるね。」
「まあね。ねえちゃんがいるからかな。あと婆さんがそういうのにうるさかった。」
何とか私のテンションを取り戻そうと、声をかけてくれる。優しい謙也くん。
「…でも、本当にそうなってくれたらいいな…。」
謙也くんは独り言みたいにボソッと呟いた。
「え?」
「あ、いや、なんか、修学旅行も熱出していけなかったし、この前も部活で怪我してたやん?あと、宿題忘れたりテスト範囲書き忘れたり。この前なんか事故りかけてたし。良くないこと続いてるからさ。デイジーちゃんが引き受けてくれたらいいのにな。」
私の不注意のせいで、彼が買ってきてくれたお土産を失ったのに、怒りもせずに、こんなことを言う謙也くんを、ぼうっと口を開けたまま見つめてしまった。
私の幸せを、どうやら心の底から願ってくれているみたいだ。
少し濁った穏やかな川の流れを下っていく、デイジーちゃん。
何となくだけど、この光景、死ぬ前にもう一度思い出すかもしれない。いや、思い出したい。
高校生から付き合って添い遂げられるカップルがどれだけいるか分からないけど、私の無事をこんなにも願ってくれる人がいたってことを、死ぬ前にもう一度思い出したい。
たとえ私の機嫌を取り戻すための出まかせでも、この人は悪い出来事をプラスに変えてくれる人だ。
こんなに素敵な人を目の前にして、いつまでもグズっていられないな。
「ひなあられ食べたい!」
「ん、カラオケは?」
「スーパーでひなあられ買ってから行こっ。私、白い柔らかいやつが好きだから、それ以外全部あげるね。」
「えぇ……」
今日はひなまつり。
女の子の無事と健康を祈る日。

8.ひなまつり

3/2/2023, 12:23:33 PM

「無人島になんかひとつだけ持っていけるとしたら何を持っていく?」
目の前に座っている男が私に問いかけた。
男は私に好意を抱いているようで、しつこいほどよく話しかけてくる。無下にするほど嫌ってはいないが、授業終わりや休みの日をこの男に使うほどは好んでもいない相手なので、何度かこうして学食のテラス席で昼食を共にしている。半ば無理矢理同じ席に座ってくるとも言うが。
会話の内容は、大体が質問攻めで、この男は将来インタビュアーになりたいのかというほど毎日大量の質問を浴びせてくる。
ちゃんと回答はしているつもりだが、愛想よく話すこともしないので、ここまで脈のない相手に何度もタックルすることのできるこの男の前向きさや楽観的なところは羨ましいと思えるほどだ。
「本かな。」
端的に答えた。
「あーたしかに、鈴木さんらしいな。」
男は大きく頷く。
「心理テストってわけじゃないけど、なんとなく、その人の大事にしてるものがわかる気がしねえ?」
「…?」
いつになく真剣な表情だったので、まともにその言葉の意味を考えてしまった。
「無人島なんて絶望しかない場所で選ぶものなんだから、日常的にそれを拠り所にして生きてるのかなって思うんだよなあ。」
「え、そこまで考えてなかった。」
無人島。人のない島。そこに行けば誰にも邪魔されることなく、自分のしたいことができ、喧騒もなければ人間関係なんてまどろっこしいものに縛られずに済む。
「やっぱり鈴木さんて面白いこと言うなあ。」
「はぁ?」
「人間は社会的動物って言うじゃん。無人島で1人で生きていけると思うの?メシ確保したりとかさあ。」
「…たしかに、誰にも縛られないバカンスくらいの気持ちだったわ。それに、本や映画は好きだけど、娯楽でしかないかな。」
私が言葉を発する度に、いろんなバリエーションで驚いた表情を見せる。私にはない表情筋が備わっているんだろう。
「じゃあ逆に、鈴木さんにとって、希望って何?」
希望か……。
今に満足してるから、特に浮かばなかった。
「絶望してないから、希望もないかな。」
その時、男は唾を飲み込んで、今日1番驚いた顔をした。
「強いて言うなら、ずっと人に合わせたり、集団行動したりとかが苦手だから、そういう時は絶望感あるね。自分の時間を確保するのが私の希望…って言えるのかな。本とか映画はそれを実現するための手段的な?」
この男と話す時間で1番饒舌に話してしまった。
「…なるほどなあ。俺、鈴木さんみたいになりたい。」
そう言うと、スッと席を立って、彼は去っていった。
うーん、むしろ、ありがちな無人島の質問で、絶望とか希望とか考えたことある人の方が少ないんじゃないか?と突っ込みたくなったけど、次に会う時にはもう忘れてるだろうな、私が。
私は彼を、能天気で自信に満ち溢れた男だと思っていたけど、そんな彼の「絶望」が何なのか、とても知りたくなった。
彼が無人島に何を持っていくのか、今すぐ追いかけて行って聞こうかと思うほど、引っかかった。
無人島を「絶望しかない場所」と表現した彼の、絶望から生まれるたったひとつの希望を、知りたいと思った。

7.たった一つの希望

3/1/2023, 2:25:41 PM

抗いがたい。
何とも抗いがたい。
けたたましい音が部屋じゅうに鳴り響く。
その音源を必死に探り当て、何とか止めようとするが、ぼうっとした頭ではうまく操作できない。
もとはといえば自分のせいで、この爆音が響いているため、昨日の自分を恨む。
しかし、どうしようもない。
やっとのことで音を止めると、うめき声に似た声を漏らしながら頭を持ち上げた。
スマホのアラームのスヌーズ設定を解除し、頭部に続いて上半身を持ち上げようとするが、ニュートンもびっくりの重力が働き、なかなか起き上がれない。
スマホをもう一度見て、時間を確認する。
もう起き上がらなければ。
ベッドから抜け出さねば。
この天国から抜け出さねばならない地獄よ。
「…ん?」
スマホには大きな書体で7時が表示されている。その下に上にそっと表示されている、「土曜日」の文字。
今日が休みであると理解した瞬間、上半身は重力に抗うことをやめ、ボスンという音を立てて崩れ落ちた。
やろうと思っていることはたくさんあるのに、結局それを叶えることのできないまま終える休日がこのところ毎週続いている。
この目覚めたタイミングで、気合いで身体を起こし、掛け布団を突っぱねて、ベッドから脱出した方がいいに決まっているのだ。
でもそれでは平日と同じではないか。
休みの日には、欲望のままに惰眠を貪るという贅沢をすべきなのだ。
瞼はもう一度、まどろみに落ちた。

6.欲望

3/1/2023, 7:47:48 AM

国公立大学の合格発表は遅すぎる。
3月に入ってからの発表だし、後期試験との間隔が短すぎる。
正直私は、前期で受かった気もしないのに、燃え尽きていた。
燃え尽きて、最後まで踏ん張れずにいた。
それでも卒業後の学校へ毎日通い、机に向かうフリをしていた。
そんな日々のなか、今日だけは、家にいた。
合格発表の日だから。
こたつのなかでスマホを触る。
合格していれば一人暮らしをしなければならないほどには遠いところの大学なので、発表を見に行くということはしない。
というか、近くても、落ちている可能性のほうが大きいのに、他の人と見る気になれない。
動画を見て、気を紛らわす。
合格発表は11時だ。
まだ少し時間があるな、時計を見ながらそう思った時だった。
ブロロロ…とバイクの音がする。
そして、家の前で止まった。
心臓の音も止まりかけた。
バッとこたつ布団を捲りあげ、そこから脱出する。
かつてない勢いで階段を降り、チャイムが鳴るのとほぼ同時に玄関のドアに手をかけた。
あまりにも早い応答に、一瞬目を丸くする配達員。
名前を確認され、私は込み上げる喜びを隠しきれず、ほぼひったくるように郵便物を受け取った。
1年間の努力が実った。
同じく志望校に合格した友達と連絡を取り、先生に報告するため、学校へ向かうことにした。
私は汽車で通学をしていたため、急いで駅に向かった。
春になればもう、次の便まで40分も待たなくていいんだ。
大学のあるところは比較的都会だから、列車は電気で動いているし、ワンマン列車なんてものはないだろう。
3年間慣れ親しんだこの通学手段が、急に遠く感じる。
この汽車の匂い、ドアの開く時の音、ボックス席の窓側に座ったときに差し込む陽の暖かさ。
すべてを噛み締めるように、シートに座った。
向かう先は通いなれた学校。
しかし心は、遠くの街を見据えていた。
どんな家に住もう。どんな人に会うのだろう。バイトは何をしよう。
希望に満ちている。

5.遠くの街へ

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