「はい、これお土産。」
謙也くんは私の右手をスッと取ると、可愛らしい小さな包みをポンとそのてのひらに置いた。
「っありがとう!!」
謙也くんなら絶対に買ってきてくれるとは思っていたけど、いざ貰う時には少しびっくりしてやや大袈裟な反応をしてしまった。
謙也くんは、この数日前に修学旅行から帰ってきた。
同じ学校の同じ学年に在籍する私はというと、出発前日に高熱を出して泣く泣く修学旅行を諦めたのだった。
謙也くんは当然のように、彼女である私に、旅行先のテーマパークの人気キャラクターのマスコットをプレゼントしてくれた。
やや大ぶりで、人形といっても過言ではない。
修学旅行のあった秋限定のもの…ではなく、オールシーズン使えるような、かといって定番すぎるデザインではない衣装を着たマスコット。
謙也くんに貰ったものをずっと鞄に着けていたい私の気持ちを、彼はちゃんとわかってる。
絶対大切にするんだ。
そう思ってたのに。
約5ヶ月後の今日。
私はマスコットを手放してしまった。
今日は顧問が休みのため部活が急遽なくなり、謙也くんと2人でカラオケに行くことになったのだ。
カラオケに行くのは実に3週間ぶりで、テストも終わって、春の陽気が顔を出していて。とにかく、私は浮かれていた。
ブンブンとスクールバッグを振り回して、大袈裟にスキップしたり、無駄にジャンプしたり。
「危ないやろ、そんなことしてたら転けて川に落ちるよ。前見て歩いて。」
謙也くんの狭めの眉間に少し皺が寄る。
「だって嬉しいんだもん、カラオケだよ。久しぶりの!」
そう言ってスクールバッグを持つ手を後ろから前に150度ほどブゥンと振り回した。
遠心力で、パッとバッグが手を離れた。
「あ」
バッグは、私たちの立っている橋の欄干に賑やかな音を立てて弾けるように地面に落ちた。
「ほらあ言わんこっちゃない。」
私はすぐに駆け寄って、衝撃でジッパーの広がったバッグからはみ出ている教科書をもとに戻そうとする。
謙也くんもため息をつきながら、それを手伝ってくれる。
あれ、なんか違和感。
「デイジーちゃんがいない…。」
彼がくれたマスコット、デイジーちゃん。彼女はオレンジの鮮やかな衣装を着ていたので、ネイビーのバッグによく映えた。
いなくなったのはすぐ分かった。
バッと立ち上がって欄干から川を覗き込むと、笹舟のようにサラサラと、オレンジの塊が遠ざかっていった。
「もう…元気出しなって。」
私は申し訳なさと悔しさと悲しさで言葉を発せなくなっていた。
「うぅ…。」
うめき声に似たものだけが意識しないままに放出される。
「なんかあれ、流し雛みたいだったな。」
「…なにそれ。」
「知らん?流し雛って、雛人形のもとになったヤツ。女の子の厄とか災難を移して川に流すの。身代わりになってくれるんだって。」
「へー…。男の子なのに、よく知ってるね。」
「まあね。ねえちゃんがいるからかな。あと婆さんがそういうのにうるさかった。」
何とか私のテンションを取り戻そうと、声をかけてくれる。優しい謙也くん。
「…でも、本当にそうなってくれたらいいな…。」
謙也くんは独り言みたいにボソッと呟いた。
「え?」
「あ、いや、なんか、修学旅行も熱出していけなかったし、この前も部活で怪我してたやん?あと、宿題忘れたりテスト範囲書き忘れたり。この前なんか事故りかけてたし。良くないこと続いてるからさ。デイジーちゃんが引き受けてくれたらいいのにな。」
私の不注意のせいで、彼が買ってきてくれたお土産を失ったのに、怒りもせずに、こんなことを言う謙也くんを、ぼうっと口を開けたまま見つめてしまった。
私の幸せを、どうやら心の底から願ってくれているみたいだ。
少し濁った穏やかな川の流れを下っていく、デイジーちゃん。
何となくだけど、この光景、死ぬ前にもう一度思い出すかもしれない。いや、思い出したい。
高校生から付き合って添い遂げられるカップルがどれだけいるか分からないけど、私の無事をこんなにも願ってくれる人がいたってことを、死ぬ前にもう一度思い出したい。
たとえ私の機嫌を取り戻すための出まかせでも、この人は悪い出来事をプラスに変えてくれる人だ。
こんなに素敵な人を目の前にして、いつまでもグズっていられないな。
「ひなあられ食べたい!」
「ん、カラオケは?」
「スーパーでひなあられ買ってから行こっ。私、白い柔らかいやつが好きだから、それ以外全部あげるね。」
「えぇ……」
今日はひなまつり。
女の子の無事と健康を祈る日。
8.ひなまつり
3/3/2023, 2:12:38 PM