烏有(Uyu)

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2/27/2023, 1:24:10 PM

恋をしていた。
その人は、コーカソイドのDNAの入った人で、長めの銀髪をいつも鬱陶しそうにかき上げていた。
色素の薄い瞳を飾る睫毛は芸術品そのものだった。
素直に想いを伝えてくれない人だったし、口調も悪いし、いつも眉間に皺を寄せていて、素行不良を絵に描いたような人だった。
なのに、白く細長い指でピアノを爪弾くことができるし、大切な人を絶対に守るという筋の通った人だった。
色んなところに2人で行ったし、色んなことを体験した。時には喧嘩もしたし、別れにまで発展したこともある。
彼の死を経験して、涙したことさえ。
そんな日々も、現実の部活が忙しくなって、自然と私の興味が彼から薄れていった。

そう、彼と私は住む次元が違ったのだ。
彼に会うには、親のいない間にパソコンを使って、他人の描いた世界に没入することが必要だった。
設定ウィンドウを開き、彼に呼んでほしい自分の名前を入力すると、彼との夢を見ることができた。

歳を重ね、現実でも恋をたくさん経験した。
学んだことは、彼のように、ギャップを持った人間はそれほどいないということだった。
全員がそうというわけではないが、彼のように異性を惹きつける容姿の持ち主は、種の繁栄をするため、その容姿をフルに活用しているように思えた。
そして、素行不良な人間が、信念を貫いたりそのために努力したりということは珍しい。
また、愛情を素直に伝えてくれる人と一緒にいることで、自分をより愛することができ、幸せな世界が広がっていくということも、学んだ。
そういった学びの結果、私が幸せになるために伴侶に選んだのは、彼とは真反対の、優しく繊細なひとだ。
伴侶を心から愛しているし、裏切るつもりも、手放すつもりも毛頭ない。
しかし、多忙な日々の疲れと、穏やかな伴侶との日々により、私は刺激を求めるようになった。
そして、彼のことを思い出すようになった。
思い出の彼との日々はまさに虚構だが、実際に経験したことのように胸を締め付けるものばかりだ。
今度は親の不在を気にすることなく、自分のスマートフォンで、彼に会えるブラウザを開いた。




あとがき
習慣4日めになりました。
フィクションを織り交ぜながら書いてきましたが、今回は完全?ノンフィクションです。
特殊な趣味かもしれず、全く意味の分からない方もいるかもしれませんので補足しますと、10年ほど前の私は「夢女子」でした。
興味がある方はググっていただければ意味が分かるかと思います。非常に俗っぽい自分の一面を丁寧に書いてみましたが、初恋の相手が誰かを勘づかれる方もいそうで、少しヒヤヒヤしています。

4.現実逃避

2/26/2023, 11:13:30 AM

「いまどうしてる?」
まるでつぶやきを引き出す青いメッセージのように、私は何度も君に問いかけている。
緑色のアプリ、君とのトーク画面。
トークの検索機能で「いま」「今」、「どうしてる」「どこ」などと検索をかけると、数スクロールじゃ足りないほどの結果が現れる。そしてその発信者は8割5分、私自身。
空っぽな笑いが漏れる。
いつからこんなに一方的になったのだろう。
ただ、答えはちゃんと返ってくる。何時間も放置されるとか、既読無視されるなんて経験は殆どない、と言うと、女友達に羨望の声をあげられたこともある。
「会社の人達と飲み!スケジュールアプリにも入れてるよ〜」
彼は愉快なスタンプとともにそう答えた。
私の指は、ショッキングピンクを基調としたカラフルなアプリに走っていた。
思考より先に指が動く。
彼の後ろ姿を映した円形の画像が、緑色に縁どられている。
7分前に、ビールと、ネクタイを緩めた同僚と思しき2人の男性の画像が投稿されていた。
時刻は23時になろうかというところだった。
こんなことが、ここ2ヶ月で5回ほどあった。
その5回とも、同僚との飲み会。
そして、彼の知らない事実。
写真に映る眼鏡の男性は、最近異動で彼と同じ部署になった、同い年の「ヤマキさん」であると同時に、私の幼馴染の「ソウちゃん」であることを。
ソウちゃんとは、中学まで同じ学校で、SNSは繋がっているものの、卒業後は同窓会や地元の集まりで数回顔を合わせたくらいの間柄だ。
しかし、ソウちゃんはかなりの下戸で、すぐに酔ってしまうのと、2年前に結婚した奥さんの門限が厳しいという理由から、飲み会を抜けるのが22時を回ることはほぼないと言っていた。
そして、彼のフォローしていないソウちゃんのアカウントは3分前に新たなストーリーを更新した。
家のソファ。猫。ハーゲンダッツ。
几帳面でマメで、いつも優しい彼が、丁寧な嘘をついていることに気づいたのはソウちゃんのおかげだった。
ソウちゃんが幼馴染であることは、機を窺ってびっくりさせてやろうという無邪気な気持ちから隠していたが、私が驚かされることになった。
何度か繰り返されたまやかし。
「君の今」が手に取るように分かって、安堵できるはずだったのに、いつのまにか「今」は「今」でなくなっているようだ。
「君の今」は本当はどこにあるの。
私も本当は気づいている。もう、私の今も未来も、君に預けるべきではないと。

3.君は今

2/25/2023, 4:02:44 PM

天気に抱くイメージは、一般認識が割と出来上がっているもので、晴れの日を「良い天気」、雨の日を「悪い天気」などという。
幼い頃から思っていたのは、昔話では雨乞いなどをするほど人々の生活に必要なのに、雨の日を「悪い」というのはなんだか可哀想だということである。
むしろ私は、今の仕事をし始めてから、雨の日は客足が遠のき、忙しさが3割減になるように思われるので、雨の日を好ましく思うようになった。
反対に、一般的には好ましいと思われるが、私にとって苦手な天気は、「雲がゆったりと流れる春の穏やかな晴れ」である。
目を瞑ればすぐに眠りに落ちてしまいそうな緩やかな陽射しを、私は素直に受け取ることができない。
日向ぼっこに甘んじる時もあるのだが、その陽気になにか憂鬱な感情を覚えてしまう。
そのような天気の日は、ゆったりと流れる雲を見て、故郷の空もこんな感じだった、と思いを馳せる。
故郷の空に似ているから、憂鬱な感情を汲み取ってしまうのかもしれない。
地元で過ごす時間は、とても緩慢に流れる。とくに、これから新しいことが始まる季節は、不安や切なさに満ちている。
学校もない分、考えることがたくさんある。たくさんあるはずなのに、時間がゆっくりと流れる。そのズレが、焦燥を生む。
大学からここに来て、都会の喧騒に自分を誤魔化しながら生きているのに、春がきて、この天気が現れると、途端に青春時代を過ごしたあの場所に引き戻されそうになる。
過ごしやすくて優しいはずなのに、どこか切なくなるのは、この空がかつての物憂げな自分を映す鏡だからかもしれない。

2.物憂げな空

2/24/2023, 5:51:51 PM

忘れてしまいたいことがある。
私は、自分のなかに芽生えた小さな命を絶やしてしまったことがある。
受動的に、ではなく、能動的に。
その生命は、私ひとりで創り出したものではなかったが、終わらせる時は私だけだった。
正確に言えば、医師の手は借りたし、その子の父親は、終わらせるのに必要な費用を口座に入れてくれた。しかし、病院の手配も自分で行い、術後はタクシーも使わず歩いて家に帰った。
今まで生きてきて、自分の「在るべき姿」に1番背いた瞬間だった。
なんでも話してきた家族にこのことだけは言えなかった。この先も言うつもりはない。
それほどまでに大きな出来事なのに、自分の人生に起こったことだとは思えない。自分はなんて無責任で、いい加減な人間なんだろう。
その生命は苦しみを感じたのか。
生まれることができなかったのを悔やんだか。
私を、憎んだか。
そういったことを考えることすらエゴかもしれない。
まともに向き合うと、壊れてしまいそうになるから、この出来事は「他人事」というフォルダに格納されてきるらしい。一種のバグである。
そして、平気な顔で、「はやく子ども欲しいし、あったかい家庭を作りたいな」などと、宣うのであった。

1.小さな命