今日は早く帰れそう。
そうメッセージを送ったら、速攻既読がついた。数秒して、『待ってる』と返事が来る。これは一分一秒でも早く帰らなければ。
定時で仕事を終わらせ、電車に飛び乗って彼女の待つ部屋に向かう。カンカン、ヒールの音が静かなアパートに響く。
二人で借りている二〇五号室。あたしは、階段を上っている間に準備していた鍵を鍵穴にぶっ刺す。鍵を抜いて扉を開ける。
「ただい」
「おかえりー」
言い切る前に、抱きつかれた。どうやら、玄関で待っていたらしい。改めて、ただいま、と言い切る。
「なぁに、佐和。随分甘えんぼじゃん」
「……早く帰ってくるの久々だから。今日は良いでしょ?」
頬にキスされ、あたしは思わず笑った。
「ご飯食べてからね」
「ん、了解」
「今日なに?」
「おでん」
「いーね」
二人でくっつきながら部屋に入る。今日は早く帰ってこれて良かったな、と彼女の体温を感じて思った。
「ご主人様、お時間です」
メイドが淡々と告げる。ベッドから起き上がり、メイドの顔を見る。感情のない冷めた目だ。朝から見るものではない。
「今日の予定は?」
着替えながら問うと、メイドは姿勢を崩さずに答えた。
「11時に倉橋様と商談、13時半に浅井様とご会食、それ以降のご予定は今のところございません」
「じゃあ乗馬の時間を取ってくれ。2時間でいい」
「かしこまりました。では16時からでいかがでしょうか」
「それでいい。それと、何度も言うがご主人様ではなく祐介だ」
俺の言葉に、表情一つ変えず頷く。
「かしこまりました」
本当に分かっているのだろうか。
感情のない冷めた目、淡々とした機械音声。アンドロイドの彼女は、なかなか呼び方までは直さない。
人間だった彼女は──アンドロイドの元になった彼女は、いつだって俺を「祐介様」と呼び、笑顔が素敵な人だった。俺を独りにしないと言ってくれていた。なのに。
「ご主人様、お時間です」
「分かっている。何度も言うな」
「申し訳ございません」
顔が同じなだけで全く違うメイドは、やはり無感情で頭を下げる動作をするだけだ。思わず舌打ちをする。
「申し訳ございません」
「もういい。遅れるから朝食を準備させろ」
「かしこまりました」
深く頭を下げ、メイドは部屋を出て行く。
開けたままになった扉に向かって、再び舌打ちをした。
「アンドロイドになってまで、1000年先も一緒にいるという約束を守られても、俺は嬉しくないんだよ」
ふと中庭を見ると、しゃがんで土いじりをする生徒が見えた。もうすぐ昼休みも終わる時間だが、一体何をしているのだろう。
「おーい、昼休み終わるぞー」
声をかけると、生徒はパッとこちらを振り返って、手をブンブン振った。その手には何かが握られている。
なんだ、あれ。よく目を凝らすが、さすがに距離があって見えない。そのことに気付いたらしい生徒が、駆け寄ってきた。
「先生、見てみて!」
「何それ。花? だよな?」
「そ。あげる」
ん! と差し出された花をとりあえず受け取る。小さくて青い花。こんな花が中庭に咲いていたなんて、知らなかった。
「これなんて花?」
「……」
「え、なんで急に黙るんだよ」
「……俺も知らないんだよね。せんせー、調べたら教えてよ」
じゃ、教室戻るね。
生徒は走ってその場からいなくなった。俺の手に小さくて青い花だけが残される。
「……絶対知ってるだろ、あいつ……」
まあ、調べるくらいなら自分でやってもいいか。
花をクルクル回しながら、俺は職員室に向かった。
青い花の名前と花言葉を知り、頭を抱える5分前の話である。
ぎぃぃぃ。
通り道の公園から、錆び付いた音がした。
使う人がほとんどいない場所だから、風でも吹かない限り音すらしないはず。
興味本位で公園を覗くと、あたしの店に毎日来ていた少年がブランコに座っていた。そういえば最近は店に来てなかったな、と思う。ぎぃぃ、と錆び付いた音がまた響く。
「おーい、少年!」
声をかけると、少年はパッと顔を上げた。ブランコから立ったり座ったりと慌てて、足がもつれてその場に転ぶ。
途中まで近寄っていたあたしは、少年の傍に駆け寄った。
「おいおい、大丈夫か君」
「あ、はい、すみません。大丈夫です」
膝についた砂を払い、少年は顔色をサッと変えた。
「えっと、あの、ごめんなさい。僕、その」
「何に対して謝ってるんだ? むしろ、あたしが声をかけてごめんなんだが」
「そっ、そうじゃないんです……あの、最近行けなくて」
「ああ、そのこと」
別にそれが何だって話なのだが。人には都合ってもんがあるから、毎日来れる方が珍しいのだ。
とはいえ、確かに理由は気になる。
「あたしのケーキに飽きた?」
「いえ! そんな訳ないです! お姉さんのケーキ大好きです!」
「じゃあ……何?」
「その…………」
ぽつり。何事かを呟いたが上手く聞こえなかった。
……ばなんです、と。ば、なんです。…………虫歯?
「アッハッハッハッハッ!」
「わ、笑うことないじゃないですか!」
「あはっ、はー、すまん……そりゃ、毎日ケーキを食べりゃあそうなるな。あはは」
「だっ、だから、その、しばらく行けなくて」
「うん、うん、分かった。それじゃあ、虫歯が治ったらまたおいで。特別なケーキを作ってあげるから」
少年の目が期待でキラキラ光った。
うん、やっぱりこの目が好きだな。早く虫歯を治してくれよ。
「ようやく辿り着いた」
勇者が目の前の城を見上げるのに倣い、魔法使いも隣で顔を上げる。冒険に出た時は多かった口数も、今はかなり少なくなった。それは、世界の変わりようを目の当たりにしたからであり、仲間たちとの別れがあったからである。
「長かったですね」
「ああ。結局、最後はお前だけが残ったな」
「まあ、仲間たちのように復興支援に力を注ぐよりは、貴方の力になる方が良いかと思ったので」
「そうだな……だいぶ助けられたよ。ありがとう」
「感謝は戦いが終わってからにしませんか?」
確かに、と勇者は剣を抜く。
「行こう」
幾度となく見た勇者の背中に、魔法使いも自然と笑みが零れる。勇者に応え、魔法使いは杖を持ち直した。本当に、長い旅路だった。
「まさか世界一周旅行になるとは、思ってもみませんでしたよ」
呟いた声に、前を行く勇者が笑った。
青い空。見慣れた街の中に建つ、穢れを知らない純白の城。旅立つ時にも訪れた、始まりの場所であり終わりの場所。
世界を混乱させていた元凶が、始まりの地にいるだなんて勇者も誰も知らなかった。
城から何百人もの兵士たちが出てくる。
「さあ、最後のひと暴れだ!」
剣がぶつかり合う音がする。
魔法使いも攻撃魔法を放ち、勇者の後を追った。
長い旅路の果てに待つのが見知った人間との戦闘だなんて、これが物語なら酷いエンディングだな、と微笑みながら。