遠くの空で、雷が鳴った。
窓から見えるのはまだ曇り空で、雨は降っていない。降っていれば、もう少し早くこの部屋を出られたのに、と思う。
ベッドの上の知り合い──私の彼氏の友達は、大人しい寝息をたてていた。彼氏に勧められた睡眠薬は、だいぶ強力なようだった。
「恨みはないけど」
キッチンから持ってきたナイフに力を込める。
大丈夫。私ならできる。彼氏だってそう言ってくれた。
ここに来る前、彼氏が囁いた言葉が私の耳の奥で響く。
愛があれば何でもできる?
君に会えてよかったよ。
二つ上の先輩がそう言うものだから、明日世界が終わるのかと聞いた。先輩は違う、と少し高い声で笑う。
「世界は終わらないよ。ほんの少しだけ、旅に出る人がいるだけさ」
「それは、先輩が?」
「さあ。どうだろう」
はぐらかす割に、その通りだと目が言っている。
「ただ、言える時に言わないと後悔するから」
「それもそうですね。じゃあ、先輩」
「ん?」
「戻ってきてくださいね、絶対」
善処するよ。先輩は、また少し高い声で笑った。
次の日、先輩は旅に出た。風に身を任せ、屋上から。
こうも簡単に世界は終わる。こんなことになるなら、旅に連れてってと言えば良かった。
好きだ、と伝えた日から、何故か生徒に避けられている。いつもの好き好き攻撃もないし、放課後教室に居残ることもしない。わざと受けていた補習も、ここ最近は文句なしの100点ばかり取るから開かれていない。
間違いない。避けられている。
「いた」
「ゲ」
ようやく彼を捕まえたのは、あの日から二週間経った日の放課後だった。
俺の声を拾うなり、彼は背中を向けて走りだそうとする。その背中のシャツを引っ張って引き止める。
「今、ゲって言った?」
「いっ、言ってない」
「なんで避けるの?」
問いかければ、彼の目が泳ぐ。
「だって……先生、迷惑そうだったじゃん……」
「は?」
「苦しそうに言ったじゃん、好きって」
あーーー、と心の中の俺が叫んだ。なるほど、俺の表情で誤解したのか。なるほど、なるほど。
「お前は……なんで普段あんだけ好き好き言っておいて、いざ言われたら引くんだよ……別に迷惑じゃないって」
「だって」
「迷惑そうに見えたなら謝るよ。でも、もう逃げないから。ちゃんと向き合うって決めたから」
まあ、世間様へのあれやそれ。面倒事は尽きないだろうから、しばらくは二人だけの秘密になるだろうけど。とは、今は言わないでおこう。やっぱり嫌なんじゃんって思われたら嫌だし。
不安そうに俺を見上げながら、「本当に……? 本当に好き……?」と言ってくる彼に、俺は微笑んだ。
「本当に好き。だから、そんなに泣きそうな顔するなよ」
そう言ってやれば、ようやく彼は満面の笑みを浮かべた。
「大変大変! 遅刻しちゃう!」
真っ暗な星一つない夜の中を、少女は駆けていた。
彼女の先輩や同輩はすでに準備を終え、規定の時刻を待っている。願いを詰めるためのボトルを忘れなければ、彼女は今頃仲間たちと談笑しながら、規定の時刻を迎えていたはずである。
「間に合え〜〜〜!」
集合場所に滑り込む。まだ笑い声が聞こえる。ギリギリ間に合ったらしい。
彼女は自分の名前が書かれたスクーターに乗って、息を整えた。あと数秒。
『星の子達よ、時間です! 行きますよ!』
時間になった。最年長の先輩の合図と共に、一斉に地上へ向かう。彼女もグ、と足に力を込めて、思い切り空を蹴る。
星の子である彼女たちが、年に一度行う行事。願いを集めながら地上に向かって、その願いをボトルに詰めたらまた同じ道を戻る。星集めの儀式、と誰かが言っていた。
「いっぱい願いを集めるぞ〜〜!」
彼女の叫びは、地上には聞こえない。代わりに、彼女の体が叫びに呼応して一際輝く。
それを見た人々は、こう言うのだ。
「あ、流れ星!」
ルールその1、鬼を決めます。
「って、なかなか残酷じゃない?」
息を切らしながら、副担任が笑った。
うちのクラスに来て数日だというのに、教師を巻き込んで鬼ごっこが開催される点にはツッコむのを諦めているあたり、馴染むのが早いと苦笑する。そして、先程の副担任の問いかけに数秒頭を使った。
「確かに。仲間はずれを決めるわけですからね」
「そう。お前は人外だって遊ぶ時に言われるの、普通に考えたら怖いよね」
「ええ……それに、昔の人はなんで鬼ごっこって名前にしたんでしょうね」
「というと?」
肩で息を始めた僕に、副担任の視線が降り注ぐ。
建物の陰に隠れた僕らは、息を整えて会話を続けた。
「だって、ごっこって真似みたいな意味だから、鬼の真似ってことですよね。わざわざ仲間はずれを決めたのに、どうして遊びの名前はその異形の名前にしたんでしょう?」
「なるほど、興味深い視点だね。鬼が交代するのも不思議だし……何かしら理由はあるんだろうけど」
「じゃあ、生きて戻れたら調べますか」
「そうだね」
唸り声が頭上から聞こえ、僕らは二手に別れた。
鬼ごっこ。うちのクラスにおける鬼ごっこは、一般的に流通しているそれとは少し違う。鬼となってしまった生徒の、鬼の衝動を抑えるための遊び。追いつかれたら終わりの、命懸けの遊び。
「死なないように頑張ろ」
副担任が別れ際にサムズアップしたので、僕もサムズアップを返して走った。