「困りましたわ。ええ、困りました」
「どうしたのです、お嬢さん」
海岸沿いに座り込んで嘆いていると、空色の服を着た青年が声をかけてきた。どこかの制服なのか、上下空色、帽子も空色。
「友人に手紙を届けたいのだけど、私はこれ以上動けないの。とても困っているわ」
「手紙ですか」
「ええ、そう」
青年は、私が持っている手紙をジッと見たあと、私の視線に合わせてしゃがみこんだ。
「僕が届けましょう」
「貴方が? なぜ?」
「僕は郵便屋です。それに、貴方のご友人が住む場所まで、飛んでいく羽根もある」
彼の背中から、真っ白い翼が広げられる。触れたら消えてしまいそうなほど、柔らかそうな翼だ。
「あら、そうなの。奇遇だわ」
「ええ、本当に。なので、手紙をお預かりします」
「お願いね。友人は空の上の、鈴白というお店にいるわ」
彼はおまかせを、とはにかんで早速空に向かって飛び立った。白い羽根が傍に落ちてくる。羽根を手に取り、太陽に透かしてみる。やはり、消えてしまいそうなほど美しい。
「羨ましい……私にも、羽根があったなら」
海の底に住む私と、空の上に住む友人。私たちが会えるのはこの海岸でだけ。それも月に一度か二度。
それ以外は手紙でやり取りをしているけれど、今のところ自分が海岸のどこかに手紙を隠して、相手が隠された手紙を見つけて持って帰るしか方法がない。すぐに届けたい時は、どうしても焦れったいのだ。
だから、私は悔しい。羽根があったなら、私はもっと自由なのに。
「……いけないわ。海が荒れる前に早く帰りましょう」
風が徐々に強くなる。
私は無事手紙が届くのを祈りながら、海の底へと帰った。
「やあ、幽霊部員くん。今日は何用かな」
部室に入った途端、逆光を味方にして微笑むメガネ女が目に入る。どっかのアニメで似たような場面があった気がする。
「用がなきゃ来ちゃダメなのかよ」
「いいや? キミは一応部員だから、問題はないけども」
「だろ?」
近くにあった椅子を引いて座り、スマホをいじる。
メガネ女はツッコむことを諦めたのか、息を吐いた後、床に積まれた本を適当に机に広げた。
パラパラ。本のめくれる音だけがする。
十分くらいスマホをいじって、顔を上げる。メガネ女と目が合った。
「なんだい?」
「いや、別に」
「ふぅん」
「…………なんだよ」
「いや、キミ、意外とこの部室が好きだよなと思って」
「は?」
スマホが手から滑り落ちそうになる。慌ててバランスを取って、もう一度「は?」と言えば、メガネ女はニタリと笑った。
「最近よく来るだろう? わざわざ、私しかいないこの部室に、幽霊部員のキミが」
「それはっ……」
「よっぽどこの部室が好きなんだな」
そっ、と口から漏れる。
それは違う。って言いたいけど、コイツは多分言ったら気付く。いくら鈍感でも気付く。好きなのは部室じゃない。
どう言えば誤解が解けて、多少なりとも伝わるのか、悩んだ末。
「…………お前に会いたくて来てるんだよ」
「は?」
メガネ女の素っ頓狂な声がする。
自分で言った言葉を思い出し、頭の中で繰り返して、俺も「は?」と素っ頓狂な声が出た。
もしや、好きと言うよりも恥ずかしいことを言ってしまったんじゃないだろうか。
バイト先の事務所の机の上。見慣れないB5ノートが1冊。
新しい引き継ぎノートかな、と思いながらパイプ椅子を引いて座る。まあ、私には関係ないし。
休憩時間には、ネイルとスマホのチェック。それ以外はやらない。せっかくの休憩時間がもったいない。
だというのに、私はノートに手を伸ばしていた。
休憩時間、残り5分。
ノートは、どうやら誰かの日記らしかった。左上に日付が書いてあり、日付の下にはズラッとその日の出来事が並んでいる。
「ん?」
パラパラとめくっていると、『クリスマスデート』の字が見えた。思わずそのページを凝視する。
『クリスマスイブ』『イブの意味』『先輩がデートに誘ってくれた』などなど、覚えのある単語が並んでいる。
そういえば。私は、クリスマスイブにイブの意味を後輩に調べてもらって、そのあと後輩をデートに誘った。デートといってもイルミネーションを見て、ファストフード店でだべったくらいの、可愛くないやつ。
そのデートの話が、ノートに書いてある。『嬉しかった』『楽しかった』『先輩はもしかしたら、』
「おつかれさまでーす」
バン!
勢いよく日記を閉じた。思ったより大きい音が鳴った。
「おつかれー」
冷静に、ネイルを弄っているフリをして、私は返事をする。
事務所に入ってきたのは後輩だった。日記の持ち主。デートの相手。
「先輩、休憩あと何分です?」
「2分」
「そうですか、ちょっと残念」
残念って何が。日記の続きが頭にチラついて、「そうだね」なんて適当な言葉を返す。バレていない。日記を読んだことは、多分バレていない。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「……いってきまぁす」
椅子から立ち上がり、私は事務所をあとにした。
そのまま、トイレに寄って鏡を見る。
「……ウケる。顔真っ赤じゃん」
こんなんでこの後のバイト、大丈夫なんだろうか。
『先輩はもしかしたら、』
あの続きはなんなのだろう。
閉ざされた日記の、爆弾みたいな1行が頭に残って消えなかった。
ピュウ。わたしの耳が音を拾う。
もはや冬ではないのか、と思うほど冷たい木枯らしが、わたしの頬も鼻も耳も全部撫でて、過ぎ去っていく。
「もうそんな季節かぁ」
両手を擦り合わせて摩擦熱を起こしながら、わたしは校舎裏を覗いた。
「いたいた」
金髪、ピアス、煙草。おおよそ学校には似つかわしくない若い用務員さん。わたしは密かに番長と呼んでいる。
「ゲ、見つかった」
「焚き火してるー」
「誰にも言うなよ?」
「それ言ってほしいやつ?」
笑いながら番長に近寄れば、彼は違う、と首を振った。
「バレたら俺がクビになるし、お前も共犯で名前出すから、まあ謹慎になるだろ」
「うっわ、最悪。じゃあ言わない」
しゃがんで焚き火にあたる。番長は、ん、とだけ返して、横に置いていたトングを焚き火に突っ込んだ。
まさか。
「やきいも……作ってる?」
「そう。食うか?」
「食べる」
ガサガサ。焚き火の中から、焦げたアルミホイルが出てくる。それがわたしの足下に置かれる。
「熱いから冷ましてからな」
「はーい」
なんだかんだ言って、面倒を見てくれるあたり、番長は優しい。
「もういい?」
「ん」
アルミホイルを取って、やきいもを半分に割る。甘いいもの匂い。湯気が焚き火の煙に混ざって消えていく。
「はい」
半分を番長の口元に持っていけば、少しだけ視線をさ迷わせた後かぶりついた。
「んま」
「ね」
やきいもを食べながら、立ちのぼる煙を目で追う。ピュウ。音がまた鳴ったけれど、寒さは感じなかった。
この人といる時は、木枯らしなんてへっちゃらだから不思議だ。
可愛いものが好き。美味しいものが好き。
可愛くて、美味しいものはもっと好き。
「あ、新作」
最近、学校の近くにケーキ屋さんができた。
一度も入ったことはないけれど、大きな窓ガラス越しに中のショーケースを見るのが好きで、できてからは毎日通っている。
今日出た新作は、ショートケーキ。真っ白の生クリームに全て覆われた、贅沢なショートケーキ。でも、さすがに窓ガラス越しじゃあ、分かるのはそれくらいだった。
「いちごの周りにも何かあるっぽい……なんだろ、ここからじゃ見えないな……」
うーん、でも、うーん……と、べったり中を覗きこんでいると、扉が開いた音がした。
「君、毎日来てるよね? 中、入らない?」
ショートケーキと同じ、真っ白の服のお姉さんが出てきた。お店の人だ。慌てて、言い訳を考える。
「あの、すみません、その、見てただけで、えっと」
我ながら、言い訳が下手すぎる。
お姉さんは、目を丸くしてクスリと笑った。その笑顔が月のようにとても美しくて、思わず言葉を失う。
「せっかくだから見てないで食べてよ、新作」
「えっでも、お金……」
「あたしの奢り。カヨちゃん、後で払うねー」
と、レジの人に声をかけるお姉さん。カヨちゃんと呼ばれたレジの人は、二つに結んだ髪をぶんぶん振って、全力で拒否していた。
でも、お姉さんはお構いなし。強引に店に引っ張られ、店内飲食用の席に座らされ、新作ケーキを目の前に置かれる。
「どーぞ」
白いクリームに全身覆われたケーキ。いちごの周りは、アラザンとハートのチョコレートが散りばめられていた。
「かわいい……」
口に出してから、あ、とお姉さんを見る。お姉さんは、ただ置かれたケーキをジッと見るだけで、さっきの「かわいい」は気にしていないようだった。
慎重に、ゆっくり、ショートケーキを味わう。生クリームの濃厚さと、アラザンの食感が混ざりあって、不思議な感じ。たまにチョコレートも顔を出す。
「どう?」
「おいしい、です」
「ふふ、でしょ?」
今度からは、見てるだけじゃなくて食べて行ってよ。
お姉さんが微笑む。肩に乗った金髪が滑り落ちて、さながらビーナスのようだった。
お礼を言って、お店を出る。お姉さんは、わざわざ店の外に出て手を振ってくれた。
「また明日ね、少年!」
手を振り返して、僕は駆け出す。
可愛いものが好き。美味しいものが好き。
可愛くて、美味しいものはもっと好きだし、それを作り出す美しい人を、今日好きになった。