先生、これ返す。
冬休み明け、生徒がモコモコの手袋を差し出してきた。冬休み前に生徒に奪われていた手袋だった。
いや、お前もらうねって言ってたじゃん。手袋を受け取りながら、生徒を見る。正直、返す気があったことにびっくりだ。
手袋を渡して用は終わりかと思ったが、生徒はなかなか俺の前からいなくならない。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「ううん、別に」
「じゃあ早く教室に行けよ。遅れるぞ」
「うん」
頷くが、生徒はまだ動かない。
「用があるんだろ」
もう一度言えば、生徒はポケットから何かを引っ張り出して、俺の右手に握らせた。
「これ」
「ブレスレット?」
「プレゼント」
「……俺、お前に誕生日言ったっけ」
今日は俺の誕生日だった。だけど、コイツの前で誕生日の話をした覚えはない。
生徒は、知り合いにちょっと、とだけ呟いた。知り合いって、と聞く前に、右手を包み込んで俺をジッと見てくる。
「おめでと、先生。毎日それ付けてね」
「あー……うん、善処はする」
へへ。生徒はようやく満足したらしく、手を離して教室に走っていった。
手の中に手袋とブレスレットが残る。俺は、迷わず両方ともポケットに突っ込んだ。
この世界は、お前が思っているより優しくない。俺にできるのは、特別扱いをしないでただの生徒として扱うことだけだ。
ごめんな、と口の中で言う。恐らく毎日は付けられないだろうブレスレットが、ちり、と音を立てた。
どうして自分には力が無いのだろう。
どうして自分には時間が無いのだろう。
『売り切れました』のPOPを見るたびに、自分の無力さを骨の髄まで叩き込まれる。
「また……限定品……買えなかった」
わたしは、限定品と名のつくものに嫌われている。
食品もコスメも、服も文房具も生活用品でさえ、買いに行けば必ず売り切れている。
目の前で商品が売り切れた時は、そういう星の元に生まれたのだと自分を恨んだ。
神はいない。なんなら、運もない。
「いっそ清々しいよね、そこまでいくと」
彼氏が声を押し殺しながら笑う。昨日買えなかった限定ポテチの話をしたら、先の発言が出た。誠に遺憾だ。
「わたしだって、好きでこんなギャグみたいな展開を受け入れてるわけじゃないんだけど」
「きっと、ギャグ漫画の主人公になれるよ」
「あんまり嬉しくないな、その褒め言葉。……褒め言葉か?」
さあ、と彼氏は首を横に傾ける。悪気が無さそうなのが憎らしい。
「まあ、褒め言葉と思ってよ。それより、渡すものがあるんだ」
リュックサックをぐるんと前に持ってきて、彼氏は中からポテチを取り出した。わたしが昨日買えなかった、限定ポテチ。
「…………」
「どう?」
「最低で最高」
「ありがとう」
「褒めてない」
さすが、神にも運にも見放されたわたしとは正反対の彼氏。わたしがギャグ漫画なら、彼は少女漫画の主人公になれる。
どうして彼は、こうもわたしを喜ばせるのが上手いのか。
「ちなみに、なんでわたしが買えてないと思ったの?」
「だっていつも言ってるじゃん。そういう星の元に生まれてきた、って。だから、買える星の元に生まれた俺が買うべきかなって」
「やっぱ最高か、わたしの彼氏」
「今度は褒めてるよね?」
「褒めてる」
ポテチの袋を左右に引っ張って開ける。
時間も力も無いわたしだけど、彼氏にだけは恵まれたようだ。
「はい、おとしだま」
今日で5回目。お母さんについてまわって、いっぱいおとしだまをもらった。全部で2万円。
なにを買おうかな。
新しい服? 新しいくつ? ゲームもほしいし、本もほしい。ともだちが持ってたフデ箱もほしい。おかしもいっぱい買いたい。どうしようかな。2万円って、どれくらい買えるのかな。ぜんぶ買えたりするのかな。
夢はどんどんふくらんでいく。
「おとしだま、どうだった?」
お母さんがチラッと手元のおとしだまの袋を見てくる。
えーとね、とかぞえる前に、
「半分は預かるからね」
とお母さんが言った。
半分。2万円の半分だから、1万円。半分になったら、なんだか少なく感じる。
「えー半分?」
「何言ってんの。全部なんて怖くて持たせられないでしょ」
「…………はぁい」
急に、さっきまでの夢がはじけて消える。
1万円。1万円じゃあ、ぜんぶは買えないよね。
おとしだまの袋と、お母さんを順番に見る。
お母さんのいじわる。まだ、もうちょっとだけ、夢をみていたかった。
身長が2センチ伸びていた。
渡された健診結果を見て、つい唇を噛む。
「お、169センチ? でか」
私の健診結果を覗きこんだ男子が、けらけら笑った。
「うっさい」
女子にしてはデカい。そんなのは分かっている。キラキラフリフリ、女の子らしいのが似合わないのも分かっている。身長順で1番前になれないのも分かっている。そんなのは、小5で160センチを超えた時に諦めた。
でも、私はどうしても、1つだけ諦めきれない。
「何センチだった?」
クラスで1番背の高い男子が、近寄りながら聞いてくる。
「169」
「伸びたんだ? 俺184だった」
「そっちも伸びてない?」
「うん、まあ1センチだけだけど」
彼は、まだ伸びんのかな、と上に手を伸ばして笑う。
できれば伸びないでほしい。私の身長も、彼の身長も。
男女の理想の身長差は15センチだと聞いたことがある。
今、ちょうど15センチ差。
これ以上差が開いても縮んでも、私はきっと彼に女の子として見てもらえない気がする。
だから、健診のたびに思う。お願いだから伸びないで。ずっとこのまま、理想の差のままでいさせて。
「寒い!」
「言うなよー。寒くなるだろー」
後輩が大声で叫ぶものだから、思わずその丸い頭を叩いてしまう。
後輩はパッとこちらを振り仰ぐ。赤い鼻と、白い息。
「先輩! 叩かないでください!」
「んー、ごめん」
「それと、寒いものは寒いんです! 身体めちゃくちゃ冷えてるんです!」
紺色のコートに白のマフラー、もこもこの手袋まで装備しているのに、後輩は犬のように叫ぶ。
はいはい、と言いつつ、俺もすん、と鼻を鳴らす。寒さが身に染みてきた。
「さみ」
「あっ、ちょっと先輩!」
後輩に乗っかる。あんなに身体が冷えてると言っていた割には、ちょっとばかしぬくい。
「は、な、れ、て、く、だ、さ、いー!!」
「そんなつれないこと言うなって……お前ぬくいんだよ。あと柚子の香り。俺好き」
「何言ってんですか!」
後輩の右ストレートが腹に入る。くの字に折れ曲がっている間に、後輩は俺の手からすり抜けていった。
「さっさとコンビニ行きますよ!」
「はいはい」
叫ぶ後輩の、頬まで赤くなっている。
さらに寒くなったかな。コートに手を突っ込んで、後輩を追いかけた。