千歳緑

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4/7/2026, 1:43:16 PM

沈む夕日


 夕暮れの。
 日が隠れて完全に夜に成る直前の、紫の空が好きだ。

 橙や紅の強烈な光から薄く引いて、紫苑へ、群青へ、漆黒へ。
 変わっていく色彩の中で、小さな真珠を放ったように、明星が一つ。
 一等綺麗な空のキャンバス。



 一番よく見ていたのは、中学の時。
 体育館に制服のまま胡座をかいて、友達とくだらない事を話し合った。長方形の窓から空が変わって、ポストカードみたいだと言った。
 人生の中でも、一番感性が高かった頃。

 現在、空をあまり見なくなった。特に夕暮れは。
 あの頃の友達は、今どこにいるかもわからない。
 それでも、たまに紫の空を見ると体育館の匂いがする。上履きの擦れたゴムの匂いが。



 今度、空を見に行こう。
 天気予報を見て、西の窓が大きなホテルに泊まろう。
 完全に日が隠れてから夜の街へ行き、飲み屋で一期一会の友達に逢いに行こう。

 人生の夕暮れにはまだ早い。
 あの頃と同じとは言えなくとも、まだ私はくだらない話をして笑っていたい。
 

4/6/2026, 1:50:02 PM

君の目を見つめると



 馬鹿なことをしたと思う。
 突然現れた白馬の王子様に身を委ねてしまえば、幸福な未来は約束されていたはずなのに。
 間男を呼び、行為を見せつけるという最悪な方法で裏切ったこと。
 死刑は確定されただろう。運が良ければ、国外追放か。
 それでも、後悔はない。



 王子の目を見つめた瞬間、わかってしまった。
 この人は汚いものを見たことがない。
 母親の死を、継母の冷遇を、父の放置を、継姉の嫌がらせを知った私と違う。
 キレイなものに囲まれて育ち、その世界は悲しみはあれど恨むべきものはないと信じている。
 汚してやりたいと思った。
 好意を向ける者には、必ず同じように返してくれると信じている貴方。
 その慈悲に満ちた目を汚したい。
 愛に溢れる目を黒く染めたい。
 キレイなものしか映さなかった目を、キタナイもので染め上げたい。
 私の手で。私の身体で。 



 そして、私を見つめて欲しいの。
 顔や見てくれだけじゃない、私のキタナイ部分まで。
 表面だけ見ないで。
 感情を向けて。
 怒りでいい。憎しみでいい。
 貴方の真っ直ぐな感情を、私だけに向けて。



 あの家族達みたいに。
 『私』をここにいない者ように、
 見ないでください。
 

4/5/2026, 11:43:34 AM

星空の下で



 少年は貧しかった。
 朽ちていくしか未来のない集落に生まれ、親もなく、余裕のない大人達から優しさなぞ期待していなかった。
 独りで見る夜空は、星が細やかに瞬いていた。

 少年は死体を漁った。
 背徳はあるものの空腹がそれに優る。死者には無用の服やわすがな貨幣で食い繋いだ。
 生き残る術を得た少年に、星が励ましているようだった。

 少年は盗賊になった。
 食わねばならない、他人なぞ知ったことかと己れを鼓舞した。助けてくれない大人から盗み、やがて一人をナイフで刺した。
 初めて殺しをした夜は、星など見れなかった。

 少年は傭兵になった。
 碌に稼げない盗みより国という後ろ盾を利用することにした。長年のナイフ捌きの経験は少し学べば立派な戦力になった。
 学ぶことが多すぎて、夜通し訓練した。



 戦場は生きるか死ぬかだ。
 国は少年ーーいや、青年になったーーを使い捨ての駒にしか見ていなかった。
 高額な報酬と引き換えに、己れの命は保証出来ない。
 けれどもそれは、子どもの頃と変わらない。
 生きる為に殺す。躊躇いなんてない。
 男だろうが女だろうが、善人だろうが悪人だろうが関係ないし、興味もなかった。
 むしろ盗賊だった頃と違って罪にはならない。金すらもらえる。
 青年は殺した。何人も何人も。
 青年が生きただけ、死体の山が築き上げられていった。



 ある夜、ふと天を見上げた。
 星が綺麗だった。……気味が悪いぐらいに。
 数が多い。灯りのない生まれ故郷でも、ここまでではなかった気がする。一つ一つの光は大きく、小さく、様々で。
 意外と個性的なんだな、と思った。
 そして、ふと思い出してしまった。他の国の傭兵仲間が話していた言葉を。

ーー星は、死んだヒトが成るんだって。

 ひ、と声を上げる。
 多い。数が多い。
 一つとして同じではない輝きを持つ星が。  
 青年にのしかかるように、天から輝く。
 囁くように。
 話しかけるように。
 何かを、訴えてくるように。

 無数の星が。




 

 明くる朝。
 青年は行方不明になった。
 周りにいた傭兵達にも、最後の姿を見たものはいなかった。



 ただ、夜中に泣くような叫びを聴いた者が、幾人かいた。

4/4/2026, 2:18:02 PM

それでいい

 …なんて言っておいて

 私がほんの少し、頑張れば

 貴方は喜んでくれるはずだ
 
『頑張ったからこれ以上は…』って

 優しい言葉をありがとう



 でももう少し、この階段を歩かせて

 脚ばパンパン、息も途切れ途切れ

 それでもあと一歩、あと一歩

 高い所で貴方を見下ろしたい

 こんなに登れたんだよって報告したい

 見渡す景色を教えたい



 貴方はきっと同じことを言うでしょう

『すごいね。頑張ったね』って

 私が登らなくても休んでいても

 同じ言葉をくれるんでしょう



 でも、笑ってくれるでしょう?



 誰よりも何よりもその笑顔の為に

 ほんの少しだけ、歩かせて

 貴方が思うより大きくなった、成長した私を

 いつか貴方の元に帰らせて






 …ま、脚を滑らせたら元も子もないから

 背中だけは、見守っていてくださいね

4/3/2026, 2:01:07 PM

1つだけ



 少年は飴玉を1つだけ、盗んだ。
 露天商の主人が目を逸らした隙に、山積みにしてあったものを。
 皿の上で太陽光に当たりきらきらと輝く、赤や緑や黄色の球体は、貴族が身につける宝石のように綺麗だった。
 貧しい家に生まれた少年は、甘味なぞ食べたことがない。美しい飴玉は、憧れの塊だった。

 きっと、1つだけなら分からない。

 気がつけば少年は右手にそれを握りしめ、走っていた。
 何色を盗んだのかは見ていなかった。
 街の路地裏に隠れて、手を開こうとした時。

「おい、そこの」

 血の気が引いた。見回りの兵士だ。
 厳つい顔に、腰に剣を下げている。大柄なその姿は少年に近づくと暗い影を作った。

「手を出せ。両方だ」

 少年は震えながら言われた通りにした。
 取り上げられる、だけで済まないだろう。両の手を切り落とされるかもしれない。
 恐怖に目をぎゅっと瞑って、手を開いた。



 重みを感じた。
 恐る恐る、まだ繋がっている手を見るために、目を開けた。
 飛び込んだのは、色彩。
 赤、緑、黄色。光が当たる球体が、たくさん。溢れんばかりに。
 少年の手の中に、確かにあった。

「2度目はないぞ」

 呆ける少年に耳打ちすると、厳つい顔の兵士は去った。
 その後ろ姿に、何度も何度も礼を言う。
 安堵と喜びと反省とが混ぜ込んで、ただ泣いた。



 手の中で、最初に盗んだ飴玉は何色かわからなくなってしまった。
 1つだけの小さな罪は、大きな優しさで塗り潰されたのだから。

 

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