昼下がり。
少し運動がてらにでも、と近場のモールに足を運んでいた。あいにくの曇り空で足許の道路も色を濃くして。それでも、それ故か、モールはそこそこの人で賑わいを見せている。
地団駄を踏んで駄々をこねている子もいれば、上目遣いでねだる人もいて。
「人に買わせて手に入れたものほど、一瞬の高揚感と急転直下の冷め具合を見せるものはないよね」
「冷たい人ですねぇ」
「もちろんそうじゃない人もいっぱいいるけど」
寒がりなあなたは屋内だというのにマフラーに顔を埋めて、ぶるっと身体を震わせた。
その腕に提げているマイバッグがカサリと音を立てる。中身は小一時間悩んで見極めた、新作のコーヒー豆。
かくいうわたくしの腕にも、あなたを待たせて選んだ茶葉が。
「お腹すいたね」
「フードコートに行きましょうか。お店に入るのもいいですね」
「ん~……あ、あそこのお店、少し前にテレビでやってたとこ。おいしそ~って話してたよね、行ってみない?」
「いいですね、行ってみましょう」
いつものフードコートで不動の一食で満たされるのも好きだけれど、たまにはこういう冒険も不安と期待に踊らされて嫌いではない。
ガラス越しに見える店内には老若男女問わず多くの人の団欒。なるほど、皆さまあのテレビの紹介を覚えていたということでしょう。
席が埋まっていれば諦めようと話していたけれど、幸いなことに空きがあった。案内されたテーブルに向かい合って座り、メニューを。
今晩の献立も加味してメニューを厳選するあなた。さー、と目が文字を追って脳で処理して。
……なんだか、見てしまうんですよね。
「あれ、メニュー見ないの?」
「えぇ。テレビで気になったので、調べていたんです。それ、と決めていますから」
「用意周到。ん~もうちょっと待ってね」
「一等を見極めるのも楽しいですよね」
モールの中庭。
季節柄、見るものは少ないけれど、それでもベンチや芝生に座って楽しげにしている人たちの姿が見える。
もう少し季節が当たっていれば、きれいな紅葉が見れたはず。
「あ、ライブアイドルがライブしてる」
あなたの声につられてそちらを見ると、確かに小さなステージの上でふわりとした衣装をまとって、元気に歌う姿があった。
彼女たちは笑顔を振りまいて場を盛り上げ、その声が響くたびに、観客からは応援が飛び交う。
ペンライトを振っている人。
タオルを振り回す人。
統率の取れた動きをする人たち。
それぞれの楽しみ方で、応援の仕方で、同じような感情が世界観を生み出している様は心地がいい。
動き回るたびに少しだけ弾む声が、なんだかリアルで思わず聴き入ってしまう。
すると珍しいことにあなたは足を止めた。
「あのね、ちょっと見てくる。待ってて」
「えぇ。足を踏まないように踏まれないように、気をつけて下さいね」
「うん」
近くのベンチに腰を下ろして、人波に紛れてゆくあなたの背中を見送る。
すぐに帰ってくると思っていたのだけれど。
一曲、二曲、三曲……、結局あなたが戻ってきたのは三十分のライブが終わってからだった。
マフラーも上着も腰に巻いて、腕まくり。
グループ名の入った法被。
【LOVE】と書かれたタオルを首に。
推し色のペンライト。
フンス、フンス! と楽しそうなお顔で。
「あのね、ハマった!」
「おやおや、まあまあ」
あの短時間で何をどうやって収集したのか、止まらないグループの情報、全種揃ったブロマイド、親衛隊の予定。
わくわくと瞳を輝かせて一直線なあなた。
そんなお顔を見ているわたくしの顔も、あながち同じようなものなのかも知れませんね。
#I LOVE...
「ねえッ、起きて! 起きて起きて!」
「ふぁ……なんれふかぁ」
眠たくて眠たくて。
視界の十分の一だって見えやしない。
寝る前に点けていた暖房のタイマーもすっかり消えているらしく、もう、もう寒い。なのに、あなたはせっかくあたたまった布団からわたくしを引き摺り出すのですから。
それでも眠たくて。あなたが何か言っているけれど、耳にすら入ってこない。
テキパキと服を着替えさせられてゆく。
「裏起毛のズボンね、はい、履いて!」
「……んー」
「首と背中とお腹にカイロ貼っとくね。あとはい、ハクキン持って」
「ふぁ」
「寝ないで寝ないで! ヒートテック着た? セーターとベストとはい、ダウンジャケット。コートは防水しといたからこれ着て。マフラーとね、お手々出して? んふ、ほら、椿の耳当て買ったでしょ?」
裏ボアのスノーブーツ。
スマホだけ持たされて腕を引かれる。
もこもこと着膨れ抜群で鼻上までマフラーの姿。そのおかげで冷気は入ってこない。少し冷える目許に、けれどあたたかさ優って。
手を引くあなたに合わせてかろうじて足は動いている状態。
サクッ、サクッ、雪を縮める音。
ボタボタッ、どこからか雪が落ちてまた溜まってししおどしのよう。
前を歩くあなたが「わっ」「やばっ」「つめたい!」と語彙力のない語彙で騒いでいるのを、どこか遠くから聞いている心地。
六一年式の老体に最新のスタッドレスとチェーンを付けて。わたくしの膝の上にとす、とカゴが。「落とさないでね」、暗に寝るなと言われてしまった。
とても難しい要求ですねぇ。
ガタガタ、ゆらゆら。
調子のいいエンジン音とともに眠りを誘うゆりかご。ガラスを打つ雪も耳心地がいい。
「ね、あれめっちゃきれいだよ!」
「えぇ」
「やば! 大通りも除雪できてない!」
「……そうれすね、ふあぁ」
「信号機って夜に見るとなんかちょっと怖くない? 夜の緊急外来的な」
「――――――え、なんれすか?」
どんどんと重力が斜め後ろにかかってゆく。それなりの勾配を上っているよう。背もたれにいい感じに身体が収まって。
ゆっくり息を吐けばすぐにでも。
こてん、と意識なんてなくなってしまう。
揺れがなくなったことにも気づかないで。
ふとあなたの声がして落ちていた瞼がまた少しだけ開いた。
「こっち来て」
「ふぁ」
「足許凍ってるから気をつけてね」
「ふぁい」
「ここに座って? はい、コーヒー。あ、まだカイロあったかい……ね、大丈夫」
アウトドア用のローチェア。
足底からザリザリ、と氷を削るような音が。くすくすと笑うあなたが「あとでアイススケートしてもいいかもね」と冗談っぽい声。
防寒具に顔を埋めてあたたかな空気が肌に触ってゆく。
それでも、あなたが上を見るように言うから。
ぼやぼやと全体にモザイクがかかったような視界が一瞬だけ、それに焦点が合う。
「きれい」
深い深い濃紺にちりばめられた恒星の数々。
それらを邪魔する無機質は一切ない。足許から楕円形にずーっと広がる鏡。縁取る陰は不規則に、満遍なく生えて。
冷たい青色の冷気が辺りを統一している。
息をすればそこに白い靄が差す。
よくよく見れば、濃紺にはみどりがかったカーテンが透かされていた。
「きみとこれが見たかったの」
「……ふふ、きれいですものね」
「あのね、星の光はねぼくたちに見えるまで二千年もかかるんだよ。だから、いまもまだ星が生きてるのかは、この瞬間じゃわかんないの」
「とおいですね……どうやって、知りましょう」
「あのね、すっごく簡単。二千年後にね、ここに来ればいいの」
「にせんね……ふぁあ」
「――――というのを思い出したんです。いま」
「ふぅん。長い夢だったの?」
「さあ、どうでしょう」
あたたかいダイニングで、あなたと向かい合って紅茶を。ふと遠い記憶のような映像を思い出したものだから、聞かせてみればズズッと音をたてて、ティーバッグまで吸い込んでしまう。
顔を顰めながらあなたはわたくし越しに窓の外を眺めている。
チラ、と視線を寄越してくるから。
辿ってみせれば、
「ね、ほんとかどうか、確かめてみよっか」
「どうやってですか?」
「すっごく簡単。そこに行けばいいの。ちょうど頃合いでしょ」
目を細めたあなた。
カップから外れた口許を見て、――――ああ、と頷いてしまうのです。
#ミッドナイト
あなたがずっと「ゔぁ」「ゔあ」と言っている。身体に括りつけられたハーネスを手が白くなるほど握って。前屈みになって足の底で踏ん張る姿は、なんだか少し……滑稽。
言い出したのはあなたなのに。
大きな橋の上。
そこから生まれる娯楽なんて、ひとつ。
「もうそろそろ飛んだらどうです?」
「一緒に飛んでよぉぉおおっ!!」
「嫌ですよ。わたくし、一回飛びましたから」
「ゔぁあ」
ハーネスが取れたらどうしよう。スタッフさんが確認して。ゴムが伸びて切れたら! スタッフさんが確認して。川に落ちたら、死んじゃう! こんなけ確認したんだから落ちませんよ、と宥めて。
ひとりずっと尻込みするものだから、見かねたスタッフさんが「押そうか?」「や゛め゛て゛ッッ」好意を無下にして。
それでも飛ぶ気。
諦めてハーネスを外す選択はしない。
風が吹くたびに竦み上がって、プギーと鳴いているのに。おかしな人。
「もう背中を押してもらいなさいな」
「ちょっ、一回ッ、一回だけっ、お手手握ってぇっ、お願いしますッ」
「はいはい」
「あ゛ぁ゛あ゛ーーーッ、あ゛ったかい゛ッ」
「飛ばないと、次の挑戦者さんが待ってらっしゃいますよ」
「あ"あ"ッッ、うしろの人ッ! ごめんなさいぃッッ」
一歩ようやく踏み出して、飛び降り台の先まで。じっと下を睨むあなたは一歩うしろに下がりそうだったから。
背中に手をやって退路を断つ。
ビクッと怖怖振り返ったあなたに、精一杯の笑顔を贈りましょう。
するとあなたったら失礼。
顔を引き攣らせるなんて。
「ほら、スタッフさんと押してあげますから」
「ヤヴァイすっごく安心するッ安心するけどッ、足場ないのほんとッッ!!」
「はい、いきますよー」
「エッ、ぼくのタイミング――――」
「さーん、にーぃ、いーち、いってらっしゃいませー」
「ゔぁぁぁああああア゛ッッッッ」
一気に重力に引き寄せられていった。人は自然の前に無力だというのを傍から痛感。
水面ギリギリで打ち返されたように、クルクルと回りながら上に引き戻されて。あなたの声が寄せては返すを繰り返してゆく。
なるほど、見ているほうはこんな気分なのですね。だから有名人がやらされるわけだ。
吊り上げられて橋の上に戻ってきたあなたは、ぎゅっとハーネスを掴んだまま。
テキパキと解放されて。
わたくしの腕に掴まって膝をガクガク笑わせている様子は、まるで産まれたての子鹿。……もしくはアイススケートリンク場のあなたにそっくり。
やっぱり、「ゔぁ」「ゔあ」と鳴いて。
何でしょう、そういう生き物に見えてきますね。
「も゛う゛、絶対ッお手手ッ、離さないでッ」
「おや熱烈」
「すっごくドキドキしたッ、死ぬかもしんないッて頭ん中で遺書つくったッ」
「書いてないも同然ですよ」
「あ゛〜〜〜〜ッ、めっちゃよしよしして!!」
「はいはい」
「もう絶対やんないけど、砂浜の中からコンタクト探しだす確率くらいは楽しかったッ」
「それ楽しいんですか?」
「地面があるって、ほんッッと偉大ッ! 当たり前って失って取り戻したすぐはほんと、安心感半端ないッ」
結局、帰りは運転を交代。
あんな足でアクセルとブレーキを踏まれたらたまったものじゃありませんもの。
落ち着いたあなたはガブガブ水分を摂っていますけれど、コンビニも探しておいたほうがよさそうですねこれは。
生きてることのしあわせを口遊んでいたかと思えば、今度は重力の均衡が少しでもズレることを恐れ始めて。
忙しいですね。
わたくしにそんな聞かせても、内容を理解できていませんから、議論できませんよ。
#安心と不安
コロン、とカラの紙コップが手から滑り落ちた。毛足の短いくすんで汚れた絨毯。所狭しと並んだ何列もの赤い劇場用椅子。
ねむけ眼のぼやけが引いてゆくのと同じように、照明がゆっくりと辺りに色を戻して。
馴染んでいた。
溶け込んでいたと言うほうがいい。そいつの輪郭はすべて、のっぺりとした暗がりから急に凹凸を帯びていった。
横にいると視界にチラつく。
前にいると頭が邪魔。
俺の居場所はそいつの後ろの列すべてになった。だから、斜め後ろの席。ワンコインで誰もが忘れたような古い映画を上映しているオンボロ映画館。繁盛しているわけもない。
ガラ空きのシアタアで「つまらない」そうのたまうのは、もう、地球が23.4度傾いているのと同じくらい当然。
「……なぁ、もう一本観てくのか?」
「まさか。今度のは明治期の売れない物書きのドキュメンタリイですよ」
さっさと出てゆく。
入れ替わりで入ってきた女の子の揺れる真っ白な髪を追っていると、あいつの声で意識が戻された。
チケット売り場の一角。
野菜売りが得意そうなおやじ。そのカウンタアの前であいつは頬杖をつき、ぼやいていた。
「こんにち、学割くらいどこにだってあるでしょうよ。ねぇ」
「うぉ、おお」
突然の同意の強要に、間抜けな応答。
おやじは俺を一瞥してから鉢巻ごと頭を掻いて唸った。呻吟のような低い声。
「たかが五百円だらぁ」
「されど五百円」
「そげな大事な五百円ならば、猶のこと値下げすーわけにはえかんな」
「私が見出す価値に便乗するなんて常套句、時蕎麦くらい通用しませんよ」
同時にふたりが俺に目配せをした。
なるほど、おやじが俺に試食品だとか言ってポップコーンを渡してきたのも学割はお前にも適応するんだぞとこいつが暗に言ったのも、これのためか。
今日に限って後払いとか言ってたのも。
ひとり得心。
俺は言を俟たない態度でこいつのとなりに並び立ち、充分に時間を使って、五百円玉を取り出す。カウンタアに置いて指先で差し出してやれば、満足そうにおやじはそれを、チンっとレジに収めた。
「まいどあり」
「それで?」
こいつの顔を覗き込む。
鬱陶しそうに身を引いたので、俺は紙コップをこつんと現わしてやった。中には運よくポップ種が残っている。
ギッと俺を睨んだこいつ。
「ああ、嫌だ嫌だ」とわざと大振りに口にして、二千札をカウンタアに叩きつけた。
きれいな捨て台詞を吐いて外へ出て行ったのを、俺はおやじとほくそ笑む。
たまに裏切っておかないと、割に合わないからな。
開けておいてくれてもいいものを、扉がバタンと閉じた。気の利かない奴。仕方がなく俺は実にすばらしい映画館の扉を押して出る。
薄暗い。
赤みの強い橙色が空を支配して、陽光がビル群を影に沈めている。そのせいでここら一体は影に埋もれ、ビルの間から射し込む強烈な光の束があいつを一層暗い黒に染めていた。
輪郭が陽光で囲まれて。
まさに暗闇と話している気分。
悪魔的、神秘的とも言えるのだろうか。
そんな空間にさも陰気くさく佇むあいつは、白々しいほどしおらしく「負けてしまいました」と。
「友人で賭け事をするからだ」
「おや今更」
カラカラと笑う影。
ふと足許に落ちた一枚を拾ってやった。くしゃくしゃになった診察券。
「もういいだろ」
「それは捨てました。くずかごにでもやって下さればいい」
「こんな個人情報を堂々と」
そう堂々と。
これのためだけに仮病を使い、堂々と詰襟をまとって俺の家路を邪魔する。
どうせなら昼間のうちに行けばいいものを。
「一緒に行ってやろうか」
「嫌ですよ、お前を侍らすなんて」
「侍らねえよ。となりでいいだろ、となりで。一日使って駄々こねてんじゃねえよ」
「余所事に」
「他人事だからな」
黙りこくった影は、ぬぅっと闇から色を集めて。
乱暴に診察券をひったくった。
詰襟のホックを外すと、ギッと強い眼光。反射させるまで湿ってるじゃないか。
口をへの字に曲げたまま、また陰に隠れようとするから、「こっちだろう」と連れ戻してやる。
今度は顔が表情が陽光に晒されて。
「あ゛ーーー、鬼ぃ~~~っ」と仰け反るお前には、俺はさぞかし菩薩に見えるだろう。
#逆光
真っ暗真っ暗。何も見えない。
カツン、カツン、コツ、コツ――――そんな音が導になっていて、何の苦もなく歩いている。
そうしたら急に身体を引かれて「あぶないよ」って。色々と経験から危ないものを想像して次の言葉を待つ。
「車がね」と。
なるほど、確かに走行中の車からは音を立てられない。立ったらよほど狭い道か、引かれる寸前。
お礼を言ったらくすぐったそうな声。
「ちゃんと腕に絡ませておいて」
ちょっと叱責。
お小言。
「わっ」
「動いたら逃げるからね、じっとして」
座っている。膝の上に何かが、何かの重みが。
四つの……足? ふにふに、ぐいぐい、と太腿の肉を潰してこねて。何かが動くたびにさわさわと、ふわふわなものが床を掃除するみたいにすべって。
手を誘導されたら不思議。
やわらかくて硬い丸い形状。その奥にあたたかさ――人肌よりも高い温度。それがぐりぐりと掌を触ってくる。まるで、いつもみたいに頭を撫でている感覚。それよりもうんと小さいけれど。
驚いていると掌に何かのせられた。
これは……何? ころころ小さい粒でざらざら。弾力があるけれど指の腹で挟んで力を入れてしまえば、どうやら脆いみたい。
それが何個もぼろぼろとのってくる。
「ひゃっ⁉」
膝の上を占領していた何かが、掌の粒を……たべている? 咀嚼音。ぴちゃぴちゃ、ぺろぺろ、と掌を舐められているみたいで。
「こ、これは?」
「かわいい子犬。ごはん食べてるよ」
「このざらざらを?」
「そ。舌ですくって、ぺろり、むしゃむしゃ。人間がつくった犬のごはん。見た目は……うーん、食べるものに困ったらたべる……かなぁ」
え、そんなものを食べさせているのかと思わず絶句してしまう。
シートに腰かけて。ぐ、ぐ、とお尻を落とし込む。声の誘導を頼りに手を伸ばせば、ツルっとしているようでそうでもない円形のもの。くるりと手を這わせて、真ん中に続く線が延びていて。
辿って凹凸。
押し込んでみて、もう少し力を、
プ〜〜〜〜ッッ‼‼
「⁉」
耳をつんざく音。
キーンと耳奥でいつまでも残響して。身体が強張っているのに頭はクラクラ。
でも、いつも聞いている音。
そう言えば、「いつもじゃないよ。危ない車がいるときだけ」と言うから、危ない車だらけの道なのかと。
「みんな、車乗ると性格変わっちゃう。ほんと、困っちゃうんだから」
なんてまるで他人事。
身体をシートに強く捕まえられて。ガタタタ、と音を立てながら重力に逆らってゆく感じ。となりに座って大声。「怖かったら手、つないでいいんだからねッ‼」って、そっちからつないできて。
まわりからもざわざわと落ち着かない声色。
何の隔たりもない風がビュービューと頬を打って髪をさらって、声を一瞬で奪って。
ガタタタタ――――、ガッチャン。
停まった。
不思議に思っていれば、「落ちるよ! ゔぁ、落ちるからね‼」「え」と言いかけた瞬間――――重力に下へ下へ落とされてゆく!
悲鳴、悲鳴、悲鳴!
叫んでいれば口が乾いて、けれど口を噤んではいられない。
お腹の奥の奥、浮遊感に何とも言えない縮こまり方をしている。不思議って思うほどの余裕もない。
乱暴な父親に上に投げられて、やさしく受け止められたあの感覚に近い。
ビクンッ‼――身体が竦んだ。
いつの間にか目を瞑っていたみたい。視界は45度傾いていた。見慣れた視界。すべてのものが定位置に、そんなきれいな片付いたお部屋。
もぞ、と横になっていることに気づいたの。
「おや、起きましたか?」
「……ん」
かけてくれていた毛布。起き上がってベッドの端に座れば、横にきみがいた。
膝の上に本を乗せて、指を滑らせて。
でもお顔はこっちに向いている。
閉じられた瞼。ふる、とたまに睫毛が震えているけれど、それだけで表情がつくられてゆく。
「あなたったら、わたくしのベッドを占領するんですから。気持ち良さそうにして」
「んふ、実際気持ちよかった」
「落ちている夢でも見ましたか? ビクッとしていましたよ」
「んー、最後はそうだったかも」
「どんな夢でした?」
思い返せば不思議。
よくよく思い出せない。でも、これだけは覚えていたの。
「きみの夢」
とってもすてきな夢だった。
#こんな夢を見た